第161話 社畜、ニヨニヨする

「アンリ様、お寒い中恐縮ですが……少々お待ち頂けますか? 庶民の長屋ゆえ、少々散らかっておりまして」



 コンビニで買い物をしたあと自宅のアパートまで戻ってきてから、まずはアンリ様には少し待ってもらうことにした。


 寒い夜中で申し訳ないのだが、男の一人暮らしは何かと見られなくないものが多い。


 しかし彼女はキョトンとした様子で小首をかしげた。



「……私は気にしませんよ? 元々修道院育ちですし、巡礼でいろいろな家屋を訪れたこともあります。多少の乱雑さは慣れておりますよ」


「いえいえいえいえ! とにかく、ほんの少しだけお待ちください! ほら、クロはアンリ様と一緒にいてあげて!」


『……フスッ』



 不本意そうにクロが鼻息を鳴らす。


 分かるぞ。『別によかろう』のフス! だ。



 アンリ様はそう言うものの、さすがに彼女くらいの年頃の子を上げるには、俺の部屋は『散らかり過ぎている』。


 何が言いたいかというと、壁に貼り付けたアニメのポスターやデスク周りに置いた美少女系のアクスタ等を見せるのはまずい。


 どれも雑誌の付録とかマンガの特典などだから健全なやつだし、数も大してあるわけではないのだが……


 学生時代からのオタク友達ならばともかく、『普通』のお客さんを上げるにはふさわしくはない。



 余談だが、クロはあまりその手のアイテム類に興味を示したことはない。


 確かに人の姿を取るときは女性だし性別も雌で間違いないのだろうが……そのあたりは人よりも狼としての性質が強いのだろう。


 とにかく。


 アンリ様に見られたら困るものは、ポスターは手早くたたみ、アクスタ系はまとめてからクローゼットの奥に押し込んだ。


 よし、これで当面はOKである。


 幸い、しばらく家を空けるつもりだったのでゴミ出しやキッチンや風呂・トイレなど水回りの掃除は完璧にやっていた。そっちは問題ない。


 エアコンの暖房をオンにしてから、改めてアンリ様を呼びに行く。



「大変お待たせしました。さあ、中へどうぞ。申し訳ありませんが、わが国の文化では、家の中では靴は脱ぐことになっております。あ、スリッパが必要でしたらこちらをお使いください」



 異世界の宿は普通に土足だったが、ジェントの街を歩いている冒険者や商人の中にはサンダルのような足が露出するタイプの靴を履いている連中もいたから、そこまで裸足に忌避感はないかと思う。


 アンリ様も長旅を続けているせいか丈の長い革製のブーツを履いていたが、靴を脱ぐことに抵抗感を覚えている様子はなかった。


 彼女はブーツを脱ぐと、俺が出した来客用のスリッパに履き替えた。



「お邪魔いたします……やはり、私のいた世界とはまったく異なる文化なのですね」



 彼女はしみじみとそう言ったが、言葉とは裏腹に表情は明るい。


 境遇からしてもっと落ち込んでいるかと思ったが、存外そうでもないようだ。


 ……これはあくまで俺の推測だが、異国の文化(ここでは異世界の文化、だが)を目の当たりにしたことで、追手が物理的に追ってこれないと確信できたからかもしれない。


 いずれにせよ、俺としても彼女の精神状態をかなり心配していたので少し楽になった気分だ。



「……さて、お腹も減っているでしょうから、食事にしましょう」



 アンリ様をソファまで案内してから、その前にあるテーブルの上にコンビニ飯を並べていく。


 さすがに異世界の聖女様をコンビニ店内に入れていいものか判断がつかなかったので、今回は俺が適当に見繕っておいた。


 内容としては、彼女が食べやすいように異世界でも見かけたパスタ類やポトフなどスープ類が中心に、自分とクロ用には親子丼とおにぎりを買ってきた。飲み物は温かいお茶。


 おにぎりとお茶以外はすでに加熱済み。すぐにでも食べられる状態だ。


 俺はアンリ様とテーブルを隔てて対面に座った。


 隣にはクロが座り、食事の時を待っている。


 すべては万端に整っていた。



「それでは、食べましょうか」


「あの……こちらの食べ物はなんというのでしょうか?」



 と、アンリ様が食卓に並べられた食べ物のひとつを指さした。


 それは俺が食べようと思って買ってきた親子丼だった。



「これは『親子丼』と言います。スクランブルエッグ風の鶏卵で鶏肉をとじ、この国の調味料で味付けしたものです。……食べてみますか?」


「もしよければ、一口だけでも頂けますか?」


「もちろんですよ」



 アンリ様の意外な積極性に内心驚きつつも、台所の引き出しから小皿とスプーンを出し、親子丼を盛りつける。


 別に全部食べてもらってもよかったのだが、彼女の口に合わないと困るし、本人もバツが悪かろう、と考えてのことだ。



「どうぞ」


「ありがとうございます」



 俺は先におにぎりに手を付けることにした。



「いただきます」



 手に取ったのは、梅干し入りのオーソドックスなやつだ。


 ツナマヨとか明太子も悪くはないが、やはりコイツがオールタイムベスト。


 一口齧る。最初に海苔の香ばしい風味が鼻に抜け、次に梅の爽やかな風味と一緒に酸味と塩味が口いっぱいに広がっていく。


 そこからコメをよく噛んでいけば、旨味と甘みが溶け出してゆき、すべてが混ざり合い完璧な味わいが完成するのだ。


 うむ、やはりおにぎりはコレこそが原点にして至高。異論は認める。



 クロはかなり腹が減っていたようで、俺の隣ですでに親子丼をガツガツと貪っていた。


 それでいて、ほとんど周囲にこぼしていないのは魔狼の誇りゆえだろうか。


 俺としては後片付けが楽で大変ありがたい。



 そして、肝心のアンリ様だが。



「異世界の恵みに感謝を……美味しい!」



 親子丼をスプーンで口に運んだあと、すぐにパアッと表情が明るくなる。


 醤油や魚介出汁ベースの味付けは俺の知っている限り異世界にはなかったので、慣れないうち多少の違和感があると思ったのだが……意外と口に合ったようだ。


 彼女は一口めを咀嚼し飲み込むと、すぐに二口めに手を付ける。


 そうしてあっという間に小皿の中身を平らげてしまった。


 そして……もの欲しそうな様子で残りの親子丼に視線を移す。



「あの、よかったらこちらは全部アンリ様が食べてください」


「……! ですが……」



 俺が声を掛けると、彼女はハッと我に返ったあと顔を赤らめてしまった。


 どうやら自分の態度を自覚したらしい。


 もっとも、今日はアンリ様にたくさん食べてもらうためにいろいろ買ってきたわけで。


 客人をもてなすのは、異世界も日本も同じである。


 まあ、その料理がすべてコンビニ飯なのは真夜中なのでご容赦頂きたい。



「いえいえ! そのためにたくさん買ってきたのですから、遠慮なさらず。ささ、どうぞお召し上がりください」


「うぅ……私は聖職者なのに……はしたない女です……」



 などと言いつつ欲望にあらがっているが、そのセリフが出てくる時点ですでに食欲に負けたも同前では?


 それに言葉や表情とは裏腹に、彼女の身体はとても正直だった。


 すでに両手はスチロール製の容器を掴み、自分の方に力強く引き寄せている。


 つーか聖女様、めっちゃ面白いな……



「あの、パスタもスープもありますからね」


「ももも、もちろん頂きます!」


「どんどん食べてくださいね」



 俺は俺で内心ニヨニヨしながら彼女の食事を見守りつつ、おにぎりを頬張り続けたのだった。




※ご注意※

 言うまでもありませんが、クロは魔物なので親子丼のタマネギも平気です。

 普通のワンチャンやネコチャンには与えないでくださいね……!


 また余談ですが、ここ最近は欧米でも自宅では靴を脱ぐ家庭が増えているらしいですね。調べてみると、(こっち側の)世界の半分くらいの国は自宅では靴を脱ぐ派だそうです。

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