第159話 社畜と聖女の逃避行
「私の秘密について、お伝えしなければならないことがあります」
現実世界にアンリ様を連れて行くにあたって、俺は自分が何者なのかを打ち明ける必要があった。
と言っても、大それた話ではない。
自分が別の世界からやってきた人間だということ、それだけだ。
魔眼の話は伏せておいたが、まあこれは別に構わないだろう。
最初、アンリ様は俺が魔族かアンデッドの類だと疑っていたらしい。
まあ、キメ台詞のつもりで『この世から去ってもらいます』などとアホなことを口走ってしまったのでそう思われても無理はない。
そのせいで彼女が本当に命を差し出そうとしたのはさすがに想定外だったが……どうにか止めることができた。
確かに俺が全面的に悪いのだが、それにしても覚悟キマりすぎだろこの人……
この世界の人の死生観は現実世界のものと違う。
今後はこの手の言動に気を付けなければ。
あとクロもあらためて紹介した。
もっとも、アンリ様はクロが仔狼と巨狼の姿を行き来しているのを見ていたから、こっちは話が早かった。
この世界では魔物使いが職業として一般的に知られているからな。
「……まさかとは思っておりましたが、ヒロイ様は異世界の方だったのですね」
俺の話を聞き終えると、アンリ様は深くため息を吐いてからそう言った。
もっとも、彼女の動揺はほとんど見られない。
むしろ、腑に落ちたような様子だった。
「……かなり突拍子もない話だと我ながら思うんですが、驚かないんですね?」
「もちろん驚きはあります。ですが……得心がいったというのが、今の正直な気持ちです」
アンリ様はそう言って俺を見つめた。
なんかさっきより信頼に満ちた目をしている気がするのだが気のせいだろうか。
彼女は言った。
「ヒロイ様は、『勇者』の存在をご存じでしょうか? 異界より召喚された、黒髪黒目の民です」
「……ええ、存じております」
勇者の英雄譚は、以前ロルナさんより聞いていたから知っている。
そして 『やはり』と思った。
ノースレーン王国は、国が存亡の危機に晒されたときに異世界から『勇者』を召喚してそれに対処した……という話だが、その召喚元の世界は俺たちの住む現実世界だったというわけだ。
まあ、なんとなく察してはいたけどな。
前回は十年くらい前だったっけか?
ちなみに今回は……まだみたいだ。
そこで彼女が俺をどう見ているかに気づいた。
「……念のため申し上げておきますが、私は『勇者』ではありませんよ」
「そっ、それは……そうですよね! 勇者として召喚される方は、いつの時代も十五、六の少年少女だったと聞いておりますし」
あっ、今ちょっとガッカリしただろ!
たしかに俺はちょっと左目が魔眼なだけのただの社畜でおっさんだから、別にガッカリされるのは無理もないのだが……取り繕ったようなフォローはちょっと傷つくのでやめていただきたい……
まあ、アンリ様も年頃の女の子ではあるし、同じ年代のイケメンとかに助けてもらう方が嬉しいのだろうけどな。
そこは俺で我慢してもらうしかない。
「……ともかく、アンリ様には私の世界に来てもらいます。これまでより少々不自由かもしれませんが、そこならばこの国の人間の手は及ばないはずですから」
「……このご恩は、絶対に忘れません」
「その言葉は、すべてが無事片付いたあとに改めて頂ければ。さあ、行きましょう」
「はい!」
俺が差し出した手を、アンリ様はためらいなく握り返してきた。
彼女の小さな白い手はしっとりしていて、少しだけひんやりしていた。
◇
俺とアンリ様は『ボイラ祭祀場跡』を足早に出た後、そのまま祠の森までやってきた。
彼女はあてのない巡礼の旅を続けていたため、基本的にすべての荷物を持って出歩いている。
おかげでジェントの街まで戻る必要はなかった。
もっとも、今までお世話になっていた修道院のターシャさんに別れの挨拶ができないことを彼女は残念がっていたが……状況が状況なだけに、そこは我慢してもらうしかない。
先日のように祠の足元の石蓋を開け、地下室へと入る。
祭壇の奥にあった木箱をどけると、淡く光る魔法陣が姿を現した。
「ここが異世界への入口なのですか?」
「いえ、ここからさらに別のダンジョンを経由して、そこから『異世界』へと入ります。……これまでに転移魔法陣の利用をされたことは?」
「これが初めてです。一部のダンジョンに存在していることは、知識としては知っているのですが……私自身は、ありません」
彼女は少し緊張しているようだ。
特に必要もないのに、俺の服の袖をつまんだままである。
無理もない。
ただでさえ『異世界』への旅行だというのに、その方法がこんな小さな魔法陣に載ることだからな。
まあ、実際に異世界へと通じるのはダンジョンの『扉』なわけだが。
そういえば、あれらも転移魔法陣と同じ原理なのだろうか。
ふとそんなことを思う。
もっとも、今は考察している暇はない。
俺は魔法陣の設定をアンリ様も使えるように調整したあと、彼女に手を差し出した。
「では、行きましょう。念のため、私にしっかり掴まっていてください」
「はい!」
何を勘違いしたのか、アンリ様が俺の胴体に腕を回して強く抱きついてきた。
目もギュッと瞑ったままだ。
かわいい。
……が、魔法陣に載る前にそれをやられるとこっちが動きづらい。
「あの、別に私を抱きしめる必要はないですよ。魔法陣に載りづらいですし、普通に私の手か腕を持つだけで十分です」
「えっ!? あっ、失礼しました……!! つい、不安で……」
俺に言われてパッと離れるアンリ様。
この人、結構ドジっ子なのかもしれない……
そんな様子をクロが虚無みたいな目で見ているのが、なんとも居たたまれなかった。
転移魔法陣は問題なく動作した。
俺、クロ、そしてアンリ様で『祠の森』から直接メディ寺院遺跡最深部へ。
アンリ様はいきなり周囲の様子が変わったことに驚いていたが、それ以外に……転移したあと、特に自分の体調に変化がないことに安堵したようだった。
最深部から入口までの二度目の転移は、むしろどんな変化が起こるか期待していたようで、目を開いたままワクワクした表情を見せていた。
「凄いですね、転移魔法陣というのは……! なんだか、お腹のあたりがヒュンとします……!」
「楽しんで頂けたようで、なによりです」
最後の転移魔法陣から降りた彼女は、まるで遊園地のアトラクションに初めて乗った子供のようなはしゃぎようだった。
そこで思い出す。
彼女も聖女などという大層な肩書を持ってはいるが、まだ十六歳の女の子なのだ。
あとはこの調子で現実世界の様子を素直に受け入れてくれればいいのだが……
「お待たせしました、アンリ様。この扉を開けば、私の住む世界です」
言って、俺は目の前の扉を指さした。
木製の、古びた扉だ。
この異世界と現実世界を、本当の意味で隔てる境界。
俺は扉のノブを回し、ゆっくりと開いた。
ひんやりとした冬の冷気が足元にまとわりついてきた。
外は真っ暗だった。
「ここが……ヒロイ様の世界。……ずいぶんと暗い場所ですね。まだダンジョンの中なのでしょうか?」
「いえ、外ですよ。暗いのは今が深夜だからです」
異世界と現実世界とは半日程度の時差があるからな。
もっともそのおかげで出入りを誰かに目撃されることはなかった。
「ようこそ、『日本』へ」
俺は先に外に出て、ダンジョンの出口に立つアンリ様へ手を差し出した。
彼女は一瞬ためらったが、すぐに笑顔になり俺の手を取ってくれた。
「……お邪魔いたします」
言って、彼女は外へと足を踏み出したのだった。
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