第156話 社畜、高難度ダンジョンを駆け抜ける

「邪魔だッ!!」



 ――バシュッ!!


 目の前に現れた巨大な蟹の魔物――大岩ガザミを『魔眼光』で消し飛ばす。



 このダンジョンの構造そのものは、他のものとそう変わりはない。


 だが、俺と巨狼したクロを手こずらせるというほどでない。


 一点、違っている点があるとすれば……奥に進むにつれ仕掛けられた罠の殺意がやたら高くなっていたことだろうか。



「ガウッ!」


「うおっ!?」



 いきなりグン! と首元を引っ張られ、急ブレーキが掛けられる。


 次の瞬間ガコン! と音がして、両側の壁から無数の槍が突き出してきた。


 どうやらクロが事前に罠の予兆を察知して、俺の襟を噛んで引き止めたらしい。


 このまま突っ込んでいたら完全に串刺しになっていた。



「クロ、助かったよ」


「……フスッ!」


「ごめん、もうちょっと気を付ける」



 クロに『しっかりしろ』と怒られつつ、額に浮かんだ冷や汗を拭いとる。


 しかしせり出した槍を迂回して進んだところで、足元の石畳に違和感があった。


 頭上でゴリゴリ……と重たい音がする。


 天井を見上げる。


 なんか……さっきより低くね?


 と思った瞬間、勢いよく天井が落下してきた。



「クソ、二重トラップかよっ!!」



 もっとも、これはクロに助けられる前に反応できた。



 ――ズズン!



 すばやく前方へ回転するように回避。


 直後、背後でものすごい音が響いてきた。


 うつぶせのまま背後を振り返ってみれば、十トンはありそうな一枚岩が俺の居た空間を完全に押し潰していた。



「あっぶねぇ……!」



 さすがにあんな重量物が降ってきたら、いくら強化された俺の身体でも受け止めきれるか分からない。


 もちろん試してみようとも思わない。



 落下してきた天井は魔法で制御しているのか、俺の見ている前でスルスルと上に戻っていった。


 ものの数秒で何事もなかったかのように通路が開ける。



 どうやら最初の罠は囮で、本命はこっちの吊り天井だったようだ。


 今から思えば、突き出してきた槍はそれほど速くはなかった。


 微妙に回避できなくもない罠を回避して、ホッとしたところを吊り天井でペシャンコにする……という魂胆だろう。

 

 それにしても、嫌らしい配置だ。



「…………」



 ちなみにクロは俺より一足早く安全地帯に着地していたが、助ける必要はないと判断したようだ。


 鼻息を一つしてから、『早くいくぞ』と言わんばかりに背を向けた。



「よし……急ごう」



 とはいえ、そう簡単に速度が上がるわけでもない。


 通路は古びた石造りの遺跡なので、継ぎ目や亀裂だらけ。


 これではどこが安全で、どこが罠なのかの判別がつかない。


 もちろんしっかり観察してみれば、罠と思しき場所には泥や埃が溜まっていなかったり色が違ったりするので見分けがつくし、マッピングスキルで逐一確認して進めば事前に発見できる罠も多いのだが……


 今はそれらを確認する時間すら惜しかった。


 これまでも、俺とクロの身体能力や反応速度ならば、どうにか力技で切り抜けてこれたし……



「…………」



 いや、ダメだ。


 少し冷静になろう。



 アンリ様の救出は一刻を争う。


 万が一にも罠に引っかかって時間をロスするわけにはいかない。


 急がば回れ、だ。



「……すう……はあ……」



 その場で深呼吸をして、気持ちを落ち着けた。


 これから先は、もっと慎重に進むようにしよう。


 結局それが一番の近道なのだ。




 ◇



 

 魔物については、奥に進むと急に強そうな個体が出現するようになった。


 だが、通路の向こうから襲ってくる分には相手の間合い外から『魔眼光』で撃破できるのでそれほど苦労はない。


 依頼書にあった『大岩ガザミ』は入口付近では軽トラほどだったが、今は二トントラックくらいの大きさがある。


 しかし、手こずるほどではなかった。


 蟹卵もしっかりゲットできたし、依頼の方は問題ないはずだ。


 他の魔物は昆虫とか甲殻類が巨大化したようなものが多かったが、形状も挙動もただのバカでかい昆虫や蟹の類だ。


 気色悪い見た目をしている以外は特に障害にならず、ガンガン倒していく。



 もっとも、今までのダンジョンの傾向からすると妙に魔物の出現率が低かった。


 アンリ様を追う連中が倒していったのだろうか?


 ダンジョンの魔物は死ぬと消滅するので痕跡は残っていないが……間違いなく、連中の手により駆除されている。


 その証拠に、内部の部屋には魔物の残骸こそなかったが壁面や柱に傷がついていたり、崩れていたりする箇所が見受けられた。


 それに、誰かが負傷したと思しき血痕が床に付着している部屋もあった。


 ここがダンジョンである以上、しばらく人通りがなければ元通りになっていなければおかしいはずだから、少なくとも数時間以内に誰かが訪れているはずだ。


 ただ、俺たちがいくら奥へと進んでもアンリ様どころか誰の人影も見つけることができなかった。



 もしかしてこの痕跡は別の冒険者たちのもので、アンリ様は髪の毛を斬り落とされたところで敵に捕まり、ダンジョンから連れ去られてしまったのではないか……と不安がよぎったのだが、ここまで進んでしまっては引き返すより奥まで確認した方が早い。


 結局、そのまま最奥部と思しき大空間まで到達することになった。



「ヤバそうなのがいるな……」


「…………」



 最奥部は、神殿のような広大かつ荘厳な空間だった。


 その天井に、巨大な『異物』がへばりついている。



 百足ムカデだ。


 もちろん魔物だ。


 体長は少なく見積もっても三十メートル近くはある。


 胴回りは下手な大木よりもずっと太い。



 深緑の背甲に、毒々しい橙色の無数の肢。


 口元で蠢く牙は巨大で、その先端からは毒液らしい粘液が糸引いている。



 ムカデのその口元には何か赤黒いものがぶら下がっていた。


 おそらく人間の上半身だ。


 捕食される前に毒でやられたのか、あちこちが醜く爛れている。


 よくよく視線を床まで下げてみれば、もう一人もいた。


 もっともそいつはすでに食い散らかされた後らしく、バラバラの残骸だけだった。



「うぶ……」



 あまりに凄惨な光景に、思わず口元を覆う。


 今までもヤバそうな魔物やら妖魔やらと戦ってきたが、食事中・・・の魔物と対峙するのは初めてだった。


 さすがに……これはキツい。



「……アンリ様、生きててくれよ」



 そう口にしつつも、最悪の結末が脳裏をよぎる。



 ……いや、待て。


 こういうときこそ、冷静にならなければ。


 俺は巨大ムカデを睨みつけながら、静かに息を吸って、吐いた。


 大丈夫だ、落ち着け。



 あの魔物が食っているのは、少なくともアンリ様じゃない。


 服が違う。


 床に散らばっている方もそうだ。


 ローブを着ていないし、転がっている頭部にへばりついている髪は黒に近い灰色だ。


 彼女じゃない。



 それに……そう、まだやることがある。


 『マッピング』だ。



 コイツは探査範囲内の生命反応を確認する機能が備わっている。


 さすがにここから神殿内部全体を確認することはできないが、どこかに隠れていればすぐに見つけることができる。


 大丈夫だ、落ち着け。


 どんなにデカい図体でも、所詮は昆虫だ。


 一瞬でカタを付けてやる。



「――『魔眼光』」



 限界までチャージした一撃を、巨大ムカデの脳天にぶち込んだ。

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