第144話 社畜、思いとどまる

「わぁ、久しぶりだねぇ~アラタさん。元気してた? はい、鍵。お部屋は二階に上がって、階段からすぐ左の『ツバメの巣』ね」


「ありがとうございます。……ええ、何とかやってます」



 リンデさんは俺の顔を見て驚いてはいたものの、仕事自体は手慣れた様子で進め、すぐに鍵を渡してくれた。



「クロちゃんも『使い魔』扱いでお部屋に入れるけど、粗相したら弁償だから気を付けてね」


「分かりました」


「フス!」



 足元から勢いのある鼻息が聞こえてきたが、多分『誰がそんなことするか!』といった抗議の意思表示だなこれは。


 まあ、俺はちゃんと分かってるから……



 それにしても、この宿『渡り鳥の寝床』でもスウムと同様にクロと一緒に部屋で過ごせるので助かった。


 どうやらこのジェントの街は冒険者が多くやってくるらしく、魔法使いなどの『使い魔』は本人の荷物とみなし部屋に連れていくことができるのだそうだ。


 俺とクロには大変ありがたいルールである。



「それでは、本日からしばらくお世話になります」


「はーい、ごゆっくり! あ、この後時間ある? 私もうすぐ仕事上がるから、もしまだならご飯一緒に付き合ってくれない? この街、あんまり顔見知りがいなくてさー。屋台街、案内するよ!」


「は、はあ」



 まさかの申し出に一瞬面食らう。


 しかしすぐに、そういえばリンデさんってこんな感じの人懐っこい性格だったなぁ……と思い出す。


 そのせいか、集落の方でもいつも住人がやってきて宴になっていたからな……



 俺としても、見知らぬ土地で顔見知りに食事に誘われてしまえば、断る理由が見つからない。


 おまけに美人さんと異世界の屋台街で食べ歩き……である。


 どうして行かずにいられようか。



「だ、ダメ?」


「……いえいえ! こちらこそ、ぜひよろしくお願いします」



 俺が少し黙っていたせいかリンデさんがおずおずと聞いてきたが、返事を聞くとすぐに笑顔に戻った。



「オッケー任せて! じゃ、支度できたらフロントで待ち合わせね」


「了解です」




 ◇




 その後部屋に荷物を置いてからすぐにクロと一緒にフロントまで降り、仕事上がりのリンデさんと合流。


 そのまま二人と一頭で夜の街へと繰り出した。



 ジェントの屋台街は、城門近くの通りから一本奥に入ったところにあった。


 日本で言うところの『横丁』のような猥雑な雰囲気の中、様々な料理を出す屋台を物色しながら串焼きやらハンバーガー的な料理を購入。


 通りの真ん中に設置してあるテーブル席に座ると、めいめい食事を始めた。



「――なるほど、ご親族の方が経営されているお宿でしたか」


「そゆこと。他の人たちは結構ジェントの外に散っちゃったから、今いるのは私だけでさ。ぷはーっ、生き返るぅ!」



 リンデさんは仕事上がりの開放感からか、エールらしきお酒をグビグビと飲んでいる。


 というかこの人、食事が始まるやいなや結構大きな木製ジョッキで立て続けに三杯くらい空けているけど大丈夫だろうか……


 もちろん俺も同じジョッキで飲んでいるのだが……状態異常に耐性が付いているせいか、ほろ酔いの手前くらいからさらに酔う気配が全くない。


 エール自体はぬるかったが、それなりに美味い。


 度数はビールより少し高めだろうか。



「ささ、アラタさんももう一杯いっとこ?」


「ちょっ、リンデさん飲み過ぎですよ!?」


「いいじゃんいいじゃん、ジェントの地エール、すごく美味しいんだよ? ほら、乾杯!」



 言って、リンデさんがジョッキを掲げつつ俺にしなだれかかってくる。


 というかこの人、テーブルの向かいじゃなくてなんで隣に座ってるんだ。


 まあ、悪い気はしないが……


 ちなみにクロは俺の膝に乗り、彼女を鼻先で押しやろうと頑張っていた。


 まあ仔狼姿なのでまったく功を奏していなかったが。



 そんなグダグダなリンデさんだったが、雑談の中で彼女やスウムの人たちの置かれている境遇などをある程度聞くことができた。



 まず、俺が泊まることにしたあの宿は、リンデさんの親戚が経営しているのだそうだ。


 彼女はこの街に避難してきた後すぐにこの宿の一部屋を借りることができたのだが、その代わりに仕事を手伝っているらしい。


 もっともここ最近は宿の仕事にも慣れ、外観の整備とか建物内部の清潔感の維持に魔法を使ってみたりといろいろ頑張っているそうだ。


 宿の外観を見たときに感じた雰囲気の良さは、どうやら彼女のセンスが存分に活かされた結果だったらしい。


 俺があそこを選んだのは、ある意味必然だったようだ。



 ちなみに彼女は冒険者ギルドの職員でもあるので、この街の支部で仕事をすることもできたそうだが……宿の手伝いが存外に忙しく、ギルドの方でも無理に顔を出すこともないと言われたこともあり、そのまま宿の仕事だけをしているそうだ。



 他の住民の皆さんについては、ひとまず全員この街に避難したそうだ。


 一応仮住まいは準備されていたそうだが仕事までは用意されておらず、その後すぐに周辺で暮らす家族だとか親類などを頼って散っていったらしい。


 スウムの集落に避難命令を発したのは王国騎士団だそうだが、残念ながらその後のフォローまでは手が回らなかったようだ。


 まあ事態が事態だけに、その辺は仕方ない気がする。



「もし魔王軍の脅威が去っても、あそこに戻ってくる人はあんまりいないかもね……」



 リンデさんは注文した川魚の串焼きを齧りつつ、寂しそうにそう呟いていた。




 ◇




 ……その後は特に何かあるわけでもなく、部屋へと戻った。



 リンデさんも仕事上がりでお疲れだったらしく、食事の途中から子供みたいに屋台飯を頬張りながらウトウトしていたからな。


 まあ、地エールをジョッキで七杯も飲んでいたことも原因の一つかもしれないが。


 いずれにせよ。


 そんな彼女をどうかしようと考えるほど俺は鬼畜ではない、ということだ。



 強いて何かあったかと言うならば……眠気と酒でグダグダになった彼女を支えながら宿に連れて帰ったことくらいだろうか。


 彼女が滞在している部屋まで運んでベッドに寝かせ、あとはフロントの夜勤のおばさん(リンデさんの叔母さんにあたる方だそうだ)に引き継いで終了だ。


 ……彼女は元冒険者でギルド職員と宿の女将を兼務していたタフな女性だが、戦争から逃れる形で避難してきたうえ親戚の元とはいえ慣れない環境での生活を強いられており、それなりに心労が重なっていたようだ。


 本当にお疲れ様、である。



「さて……明日からどうしようかな」



 自分が宿泊している部屋のベッドに腰掛け、膝に乗ってきたクロの毛並みを堪能しながら考える。


 すでに湯浴みと歯磨きは終えている。


 就寝の準備は万端だ。


 だが、まだ寝るわけにはいかなかった。



 明日からどうすべきか……と言うのは実のところ、かなり深刻な問題だった。


 というのも、流れに任せるまま、このジェントの街まで来てしまった……というか連れてこられてしまったが、よくよく考えれば現実世界に帰るためには寺院遺跡まで戻らなければならない。


 当然、王国騎士団の皆さまの目に触れないように、だ。


 もちろん『隠密』などで気配を隠しながら向かうことはできなくないが……万が一見つかると、いろいろ面倒なことになるのは間違いないだろう。


 そこでジェント周辺に転移魔法陣を設置しようと考えたのだが、その設置場所をどう確保するのかが問題だった。


 さすがにこの宿に敷設するわけにはいかないし、街のすぐ外というわけにもいかないからな。



 いや、待てよ。



 ダンジョン……そう、ダンジョンだ。


 その奥ならば、転移魔法陣を設定しても見つかりにくい。


 そして俺はスウムの村で冒険者の登録をしている。


 この街でダンジョン探索系の依頼を受けても問題はないだろう。



 もちろん、あれば、だが。


 こればかりは冒険者ギルドなどで情報収集をしてみないと分からない。



「よし、当初の目的は決まりだな」



 明日は冒険者ギルドに向かい、可能ならばダンジョン探索の依頼を受ける。


 そして探索ついでに可能ならば魔法陣を敷設して寺院遺跡までのショートカットを開通させる。


 これでいこう。

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