第126話 社畜、匂いを嗅がれまくる

「ただいま……クロ?」



 会社から帰宅し自宅の扉を開けたら、なぜかクロが人の姿で玄関に立っていた。



「お主、女の匂いがするな」



 で、腕組みしつつフンフンと鼻を鳴らしながらそんなことを言ってくる。


 つーか、なんかご機嫌斜めなんですけど……!?



「な、何の話だよ」



 本当になんの話だ。


 クロは魔狼だからか、普通の犬と同等かそれ以上に鼻が利く。


 今日一日で俺が誰と会ってきたかくらいは分かるはずだ。



 一応俺の方でも、今日会った人を思い出してみる。


 まずは桐井課長。


 あとは、書類提出の件やらなにやらで他部署との打ち合わせがあったので、そのへんの方々。



 ちなみに打ち合わせは女性だけでなく、俺と同じおっさん社員も同席していた。


 まさかおっさん社員が実は魔法少女の中の人で……さすがにそれはないか。



 それ以外だと……食堂のおばちゃんとか?



 ああ、それと帰りがけに朝来さんと加東さんにばったり出くわした。


 これから巡回に出かけるそうだ。


 どうやら二人は先日の一件から仲良くなったそうで何よりである。



 それはさておき。


 漠然と『女の匂いがする』と言われても、心当たりしかない。



「とりあえず上がるぞ」


「待て」



 このまま玄関で向かい合っているのもなんなので靴を脱いで奥に向かおうとしたところで……むんずと肩を掴まれた。



「うーむ、よく分からぬ……もう少し嗅がせろ」



 そのままグイと引き寄せられ、胸元やら首筋の臭いをフンフンと嗅がれてしまう。



「クロ!?」



 バクン、と心臓が跳ねあがる。


 今のクロは、妖艶な女性の姿だ。


 顔がやたら美形なのはもちろんのこと……出るところは出ているわけで(もちろん引っ込んでいるところは引っ込んでいる)。


 鼻を近づけて顔回りの臭いを嗅がれるということは、体勢によっては出てるところ・・・・・・をダブルでむぎゅっと押し付けられることもあるわけで。


 あと、服は着ているものの地味に露出が多い。


 これまでは元の姿を知っているせいか、人化してもどうとも思っていなかったが……さすがにこれはちょっと刺激が強すぎる。


 

「クロ、とりあえず着替えさせてくれ!」


「むう……我も時間がないのだ。あともう少しだ。もう少しの辛抱だ主よ」


「なんの辛抱だよ! もう終わり! 終わりです!」


「ぐぬ……」



 さすがに腕力勝負だと人化したクロより俺の方が強いらしく、どうにか引き剥がすことに成功。



「はあ、はあ……いったい何の真似だ」



 つーか、誰かに匂いを嗅がれまくるのってめちゃくちゃ恥ずかしいとか無駄な知識が一つ増えてしまったよ……


 狼姿のクロにならいくら匂いを嗅がれてもなんとも思わないのになんだこの差は。



「いや、な……」



 一方、クロは妙に小難しい顔をして唸っている。



「実はな、主よ。お主の嗅ぎなれた匂いの中に女の匂いというか、発情香が含まれていた気がしたのでな」


「……はつ……じょう?」



 予想外かつあんまりにもあんまりな発言がクロの口から飛び出した。


 ……なんだ発情香って。


 いきなり生々しいワードが出てきて主はビックリだよ。


 まあ、人外らしいセリフだとは思うけどさ。


 人間風に言い直せば、『恋する乙女の香り』……とか?



 いずれにせよ、そんなものに心当たりなんてあるわけがない。



 ……いやまさか。



「…………」



 ……いやいやいやいや!



 やっぱり、見当がつかないったらつかない!


 俺は頭の中に一瞬浮かんだ失礼すぎる考えを慌てて打ち消した。



 いや待てよ。



 もしかして……今日打ち合わせしたオッサン、外回りに出ていたときにいかがわしいお店で遊んでいたとか……!?


 そういうタイプにはぜんぜん見えなかったけどな……


 見た目は誠実そうな感じだったし。


 いや、待て待て。


 そう見えて、実は……



「ぬう……我には分かるぞ。お主が完全に明後日の方を向いた推理をしていると」


「だったら誰だよ」


「……分からぬ」


「分からぬのか」


「我の鼻は万能ではない。会ったことのない者の匂いを、誰、と特定できるわけがなかろう」


「そりゃまあそうか」



 だが、それならば……その匂いとやらは、駅前で飲み屋のお姉さんらしき方とすれ違った時にちょっと肩が触れてしまったから……とかかもしれない。


 いや、普通にさっきすれ違ったカップルの女性の方、という説の方が自然だな。



 いや、これもどうやら違うみたいだ。


 クロが『また見当違いの推理をしているな』みたいな目でこっちを見てるし。


 彼女はハァ……とため息を吐いてから続けた。



「主よ。お主が人族の女を魅了する男であるという事実は、従魔の我にとってはとても誇らしいことだ。だが……」


「だが?」


「お主の伴侶となる者は、我にとって第二の主となる者でもある。お主の決めた者を我が否ということはないにせよ、せめて一度は会わせてほしいのだ」


「お、おう」



 なるほど、そういうことか。


 ようやく合点がいった。



 クロは俺に恋人ができたと怪しんでいる。


 そして、そっちに関心が行ってしまうのを心配しているらしい。


 確かに最近はお留守番をお願いすることが何度かあったし、そう思われても仕方ないかもしれない。



 とはいえ、別に隠すでもなくそもそもそんな人いないんだけどな……


 いずれにせよ、これ以上クロを心配させるわけにもいかない。



「分かったよ。俺はお前が一番大事だからな。もしそういうことがあれば、ちゃんと連れてきて紹介するよ」


「……うむ。ならば、よい」



 俺がそう言うと、クロは満足げに大きく頷いてから仔狼の姿に戻った。



「それじゃ、人化して疲れたろうしさっさとメシにしようか。今日は牛の切り落としが安かったから沢山買ってきたぞ」


「…………!」



 帰りにスーパーで買ってきたビニール袋を掲げてみせると、クロが目を輝かせて尻尾をブンブンと振った。


 やはりクロは色気より食い気だ。



 とはいえ、いろいろ俺のことを心配したり考えてくれるのはすごくありがたいことだ。


 大事にしていかないとだな。

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