第123話 社畜と心の変化

「お、俺の手がああぁぁーーッッ!?!?」



 俺の胸倉を掴んでいた男が絶叫する。


 手を握り潰したせいですっかり細く・・なってしまった手首の下あたりをもう一方の手で支えながら、涙と脂汗を浮かべていた。


 よろよろと後ずさり、腰が抜けたのかそのまま地面にへたり込み悶絶している。



 やりすぎたかもしれない……とは思ったが、案外心は平静だった。


 これが『魔眼』の影響なのか、それとも異世界でのあれこれのおかげで荒事に慣れてしまったからなのか。


 いずれにせよ、今は相手に怪我を負わせたことに対する罪悪感よりも、暴漢を制圧できたことによる安堵感の方がずっと大きかった。



「……は、はぁっ!? ウソだろ、なんだよお前!」



 横から声がしたので視線をやれば、桐井課長と揉み合っていた方の男が手を止め引きつった顔でこちらを凝視していた。


 まあ、それはそうだ。


 中肉中背のおっさんが、そこそこ体格のいいチンピラの手首を一瞬で握りつぶしたらそんな顔にもなる。


 とはいえヤツの立場からすれば、こちらに注意を向けるのは悪手でしかない。


 それを見逃すほど、うちの課長はおっとりした性格じゃない。



「隙あり!」


「うげっ」



 これ幸いと、桐井課長の当身あてみが男の鳩尾に突き刺さった。


 たまらず目を剥き、膝から崩れ落ちるチンピラその2。



「確保!」


「ぎゃっ!?」



 桐井課長はそのまま素早く男のバックを取ると、片腕をねじり上げ地面に押さえつけた。


 制圧完了だ。



 小柄な体格とはいえ、彼女も元魔法少女。


 力を失ったとはいえ、その胆力も戦闘力も格闘家並みだった。


 と、そこで彼女の視線が俺に向く。


 鋭い視線だ。



「廣井さん、お見事ですがまだですっ!」


「えっ」


妖魔・・は倒しきるまで安心してはダメです。それは多分……寄生型です!」


「えっ!?」



 思わず声を上げてしまうが、こんな状況で桐井課長が冗談を言うわけがない。


 足元を見れば、手首を潰され悶絶していたチンピラその1の様子がおかしかった。



「ぐぎぎ……痛てぇ……いだ……いだいだいだだだいいいだだだダダダ――」



 地面にうずくまりガクガク震えているのだが、人間の首って……こんな変な角度に捻じ曲がったりするものなのか!?


 それどころか男の手足をはじめ、全身がバキバキと音を立て妙な方向に折れ曲がり、捻じ曲がり始めた。


 つーか……コイツのタトゥー、こんな顔半分を覆ってたっけ……



 あと、俺の左目もなんかチリチリしてきた。

 

 この感じ――


 なるほど、そういうことか。



「おごっ……ぎぎっ!? がああぁっ!? やめっ、たすけ、ぎゃあっ!?」



 男の身体から鳴ってはいけない音が鳴るたびに、喉の奥から苦鳴が漏れる。


 この異変が、コイツの意思によるものではないことは明白だった。



 よくよく見れば、先ほどまでは首までしか彫られていなかったタトゥーは顔だけではなく、手足の先まで侵食していた。


 まるで生きているように、そいつがウネウネと動きながら男の身体を覆い、その形状を変質させていく。


 気が付けばタトゥーの男はすでに人の形をしていなかった。


 今や路地に転がっているのは、奇妙な蔦状の物体が表面を蠢く奇妙な球体の何か・・だ。



「ひっ、ひいいいいぃぃーーーー!?!?」



 桐井課長に押さえつけられていたチンピラその2が悲鳴を上げる。


 俺や課長は妖魔を知っているからそこまで驚くことはないが、確かに初見なら見るだけでガリガリ正気度を削られそうな光景ではある。



「こっちの人は寄生されていないみたいですね……はぁっ!」


「えぐっ」



 桐井課長が、制圧済みの男の首に手刀を落とす。


 男がぐるりと白目を剥き、動かなくなった。

 

 それが彼女なりの慈悲なのか口封じなのかは分からなかったが、こちらとしてもあまり横で騒がれても迷惑でしかないからな。


 妥当な判断だ。



 というか首元を素早くポンと叩いただけなのに昏倒するのはどういう原理なのか。


 何かマジカルな要素が働いているのか秘孔的なポイントを突いたからか。


 いずれにせよ鮮やかな手並みだ。



「お見事です、課長」


「どういたしまして」



 桐井課長がぐったりした男から離れると、『寄生型』に目を向け言った。



「……『蔦の妖魔』、ですね。おそらく廣井さんの攻撃で防衛本能が活性化して『防御形態』に変化したのでしょう。こちらから近づかなければ危険はないはずです。宿主になったこの人は気の毒ですが……」



 以前読んだマニュアルによれば、『蔦の妖魔』はこっち側・・・・ではそこそこ見られる妖魔らしい。


 たしか『魔眼』の情報では、『シック・ヴァイン』とかいう異世界産の魔物だったはずだ。


 放っておくとこんなエグい状態になるのは知らなかったが。



 つーか、この状況になったのって……



「もしかして俺のせい……ですか?」


「いえ、それはありませんよ」



 桐井課長がきっぱりと否定する。



「寄生されたばかりならば、いくら酷い傷を負ってもここまで一気に侵食が進むことはありません。ここまで酷いことになるには……少なくとも寄生されてから一週間くらいは経っているはずです。だとすれば、廣井さんが反撃しなくても、ちょっと躓いて膝を擦りむいた程度でも一気に侵食が進む可能性がありました」


「なるほど……」



 確かにそれならばもう完全に手遅れだ。


 もしコイツらが先日の強盗犯で、逃亡中だったとすれば……その先で人目のつかない場所の廃屋なんかに身を隠していたのかもしれない。


 妖魔が潜んでいるとも知らずに。



 課長が続ける。



「この妖魔は放っておくと宿主の精神を支配して、別の人間に寄生するため種を植え付けようとする習性があります。でも廣井さんが攻撃したことでこの状態に移行するともう移動はできませんから、このまま討伐して終わりです。ちょっと硬いですが……。これ以上の被害が食い止められたのですからむしろお手柄ですよ」


「そ、そうですか」

 


 桐井課長がそういうのならそうなのだろう。


 なんかホッとした。



 と、そんな会話を交わしていた、そのときだった。



 ――キン!



 周囲の音が消失する。


 同時に、かすかにあった人の気配も完全に消え去った。



「はあ……これで本当に終わりですね」


「そうみたいですね」



 桐井課長が周囲を見回して、ほっと息を吐く。


 この感じ……間違いなく『遮音結界』だ。


 となれば、そこで転がっている妖魔の気配を察知した魔法少女とマスコットの仕業だろう。



「あっ、いた……今日の第一妖魔はっけーん……って、あーっ!? なんで二人が一緒にいるのよ!?」


「あっ……桐井さん、廣井さん、お疲れ様です!」



 はたして雑居ビルの上から声とともに、二人の少女が降ってきた。



 一人は生意気そうな戦槌持ち、片方はゴスロリ衣装で鎌を持っている。


 ミラクルマキナにゴシックセイラ。


 両方とも顔見知りだった。


 そういえばこの界隈は彼女たちの管轄だったっけ。

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