第121話 社畜と三十分前行動

「クロ。なんか俺……デートに誘われちゃったよ」


「……フスッ」



 家具類やグッズなどを買い込み自宅に戻ったあと。


 まだかまだかと玄関で待ち構えていたクロに、自宅のドアを開けるなり話しかけてしまった。


 案の定クロは「なにをいっているのだ」とでも言いたげな様子で鼻を鳴らしただけだ。



 もちろん俺も本気でデートだとは思っていない。


 相手が会社の上司である以上、単に今日の件のお返し、という意味合いだと思うし。


 桐井課長も『今日のお礼で』と言っていたしな。


 さすがに、ここで勘違いするほどおめでたい頭をしていない。



「…………」


「ああ、悪い。とりあえずベッドに持っていこうか。ソファは明日届くから待ってろ。フカフカだから絶対気に入るぞ」



 言いながら靴を脱ぎ、荷物を部屋に運び込む。


 その足元をまとわりつくようにクロが後をついてくる。可愛い。



 ちなみにソファは配送にした。


 さすがに手で持って帰るのは厳しかったからだ。


 もちろん強化された身体能力的には担いで持って帰ることは余裕で可能なのだが、電車内に持ち込むのはいろいろと厳しいサイズだからな。



 ということで、持って帰ってきた分のクッションをベッドに並べてみる。


 うん、色合いは問題ないな。


 この手のセンスはあまり自信がないが、うまく部屋の様子とマッチしているように思える。



「…………!」



 クロも気に入ったらしく、フンフンと匂いを嗅いだあと、ピョコン飛び載って早速丸くなった。


 どうやらお気に召したらしい。


 一安心である。


 よくよく見ると、座ったままで真っ黒い画面のテレビをじっと見ている。


 これは点けろ、ということか。


 ベッドの前のテーブルに置かれたリモコンを手に取り、ポチッとオンにする。



 というか別にテレビを観るのに俺の許可なんていらないんだし、自分でリモコン操作すればいいのに。


 そもそも俺が不在にしている間、点けっぱなしにしておいても構わないんだが……


 まあ、クッションが居心地よくて動きたくない気持ちも分かるけど。



『きょう未明、市内のコンビニで強盗傷害事件が――』


「あれっ」



 オンになったテレビには、ローカルのニュースが映っていた。


 昨日の夜は全国系チャンネルで深夜アニメをチェックしていたはずだが……と思ったあと気づく。


 どうやらクロは俺が帰ってくるまでテレビを観ていたようだ。


 やっぱり退屈だったのかな。


 買い物を済ませたらすぐに帰ってくるつもりだったが、桐井課長の介抱で帰ってくるの遅くなったし。



「とりあえず昼飯にしよう」



 俺は昨日仕込んでおいたクロ用の食事を準備したあと、冷凍庫に備蓄してある冷凍食品の封を開け、電子レンジに放り込んだ。




 ◇




 翌週の平日は不思議と早く過ぎてゆき、あっというまに次の土曜日がやってきた。


 その間、桐井課長とはごく普通に仕事をして、週末の予定もまるで仕事の延長のように淡々とやりとりをしたのだが……



「あっ廣井さん……もしかして待たせてちゃいましたか?」



 息を少し弾ませながら待ち合わせ場所にやってきた桐井課長は、いつものオフィスカジュアルとは違った大人系ゆるふわファッションに身を包んでいた。


 いつものふんわりした長い髪はそのままだったが、ゆったりしたジャケットにロングスカートが印象的だ。


 いわゆる十代や二十代の気合の入ったファッションとはまた違ったものだが、これはこれで桐井課長のイメージにぴったりというかいつもの五割増しくらいで女子力がアップしているように見える。


 ……とはいえ、齢三十五のおっさんにはレディースファッションの流行りなんぞ分かるはずもなく。


 ただただ可愛らしいな、と思っただけだ。



「……いや、俺も今来たところです」



 しばし見とれてから、言葉を発する。



 実際、今来たところである。


 というか絶対遅刻しないようにかなり早めに到着したつもりだったのに、待ち合わせ場所に着いたその数十秒後に桐井課長がやってきたからな。


 早すぎだろ……



「うふふ……まだ待ち合わせの時間の三十分前ですよ? 廣井さん、早く来すぎです」


「そのセリフ、そっくりお返しします」


「ふふ、そうでした。なんだか気が合いますね、私たち」


「はは……そうかもしれませんね」



 お互い笑いあう。


 なんだろうこの感じ。


 心理的にも物理的にも、いつもより距離感が近く感じる。


 すっごくデートっぽいぞ……



「さて、少し時間が早いですが予約していたレストランまでそこそこ歩きますので、もう向かってしまいましょう」


「了解です。今日はよろしくお願いします」


「ふふ、そんな畏まらなくても大丈夫ですよ。割とカジュアルな所ですし、結構リーズナブルな価格ですし……あ、口コミによればワインがすっごく美味しいらしいですよ!」


「課長、さすがに今日は飲みすぎ注意ですよ……?」


「だっ大丈夫です今日は倒れるまで飲みませんから!」


「普段はどういう飲み方をしてるんですかね……」



 そんなやり取りをしつつ、肩を並べ歩き出す。


 冬の夕方は日が落ちるのが早い。


 通りはイルミネーションに彩られ、華やかな雰囲気だ。


 行き交う人たちの誰しもが浮かれた様子に見えるのは、俺だけだろうか。


 そんな中、頬に触れるしんと冷えた寒さが妙に心地よい。



 ちなみに桐井課長が予約したのは南欧料理のレストランだ。


 さすが、オシャレなレストランをよく知ってらっしゃる。



 俺なんか駅前のチェーン系レストランや居酒屋くらいしか分からないからな。


 今後はもう少しいろいろな飲食店を開拓すべきかのかもしれない。



「……着きました。ここですね」


「おお、いい感じですね」



 駅から少し離れた場所にあるそのレストランは、桐井課長セレクトなだけあって(?)雰囲気の良い店構えだった。


 手書きの看板には、今日のおすすめメニューとお酒が書かれている。


 この手のお店はおっさんの独り飯に使うにはハードルが高く、なかなか入る勇気が出ないものだが……今日は違う。



「いらっしゃいませ~」



 元気の良い女性店員の声に出迎えられ、俺たちはレストランの中へと入っていった。

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