第120話 社畜、申し込まれる

「殺してください…………」



 さすがに店員さんの目もあり、場所を家具店からビル最上階に入っている静かな雰囲気の喫茶店に移した。


 ひとまずそこで休憩することにしたのだが……



 一通りの経緯を俺に話した後、桐井課長は両手で顔を覆い血を吐くような声でそう呟き動かなくなってしまった。


 たぶん自分の行いに精神が耐えきれなくなったのだろう。



 ――聞くところによれば、桐井課長は土曜……昨日の夜遅くまで街で友人と飲んでいたそうだ。


 その後、飲み会がお開きになったあとは一応家までは辿り着き眠りについたそうだが……目覚めた瞬間、自分が酷い二日酔いに冒されていたことに気づいたそうだ。


 そして頭痛と吐き気でフラフラになりながらも朝食の用意をしていたところお気に入りのコップやら皿やらを床に落として割ってしまい、それらを以前購入したことがあるこの家具店まで足を運んだとのことだった。


 コップや皿なんて、一日や二日程度なら近所のコンビニで売っている紙コップとか紙皿で凌げばいいのに……と思ったが、もしかしたらその判断力すら残っていなかったのかもしれない。



 いずれにせよ、桐井課長は完全にグロッキー状態でこの家具店までやってきてどうにか買い物を済ませたあと、ついに力尽き気が付いたらお店のテーブルに突っ伏していた……そうだ。



「殺してください……」


「ま、まずは落ち着きましょう。コーヒー、頭痛に効くらしいですよ。砂糖は入れますか? ミルクはどうします?」


「うう……ありがとうございます……ミルクなし、角砂糖三つでお願います……」



 とりあえず彼女をなだめ、すでに注文済みのホットコーヒーにテーブルに備え付けてあった角砂糖を三つ投入してから差し出した。


 もっとも今はホットではなく室温に限りなく近い温度だったが。



 桐井課長はプルプル震える手でコーヒーを受け取り口まで持っていくと、ゴクゴクと一気に飲み干した。



「あの、一気飲みはさすがにやめたほうが」


「だっ大丈夫でゴホッ! ゴホゴホッ……!」



 勢い余って気管に入ったのか、桐井課長が思い切り咳き込みだした。


 あらら、言わんこっちゃない……



「あの、これ」



 急いで卓上の紙ナプキンを引っこ抜き、課長に手渡す。


 彼女は涙目で咳き込みながらも口元を押さえている。



「…………」



 普段のゆるふわながらも確かな仕事ぶりを見せ、現役の魔法少女を瞬殺した課長の威厳はどこにもなかった。


 まぁ見てる分には可愛らしい小動物を愛でている気分なのだが、さすがに今日の課長はポンコツすぎる。


 酒はこうも人をダメにしてしまうのだろうか。


 それならばまだ救いがある。


 だが……



 あまり考えたくないが、彼女の日常生活はこんな感じなのだろうか。


 俺としては桐井課長の仕事ぶりを間近で見ているので幻滅するようなこともないが、この調子だと放って置けなさすぎてヤバい。


 いくらなんでも庇護欲が掻き立てられすぎる。



 …………。


 …………やめだ。


 これ以上考えると明日仕事で会った時にどういう顔をすればいいか分からなくなってしまう。



「はあ……どうにか落ち着きました。そういえば廣井さんは何か買い物の途中ですよね。もしかしなくても、邪魔をしてしまった気が……」



 と、少しだけ正気を取り戻した桐井課長がハァとため息をつき、申し訳なさそうな表情で尋ねてきた。



「いえ、気にしないでください。俺の買い物よりも課長の体調のほうがずっと大事ですから」


「……ぶほっ!?」



 俺が何気なく言った言葉のどこが刺さったのか、コーヒーをすすり始めた桐井課長が再び咳き込み出した。



「だ、大丈夫ですか!?」


「ごほっ、だ、大丈夫……ごほっ! です……!!」



 こんなに顔が真っ赤になるまでむせているなんて、この人どれだけコーヒーに嫌われているんだ……


 仕方ないので席を立ち、桐井課長の背中をさすってやる。


 はぁ……これではどっちが上司なのか分からないな。



「うぅ……今日はさすがにやらかしすぎました……」



 しばらくしてどうにか落ち着きを取り戻した桐井課長が、シュンとした様子になる。


 だがすぐに顔をあげ、どことなく羨ましそうな表情で俺を見つめてきた。



「廣井さんは優しいんですね。普通、ここまで上司が醜態を晒していたら少しは引いたり軽蔑したりするものだと思うんですけど」


「まさか! ……と言いたいところですが、家具店のテーブルで真っ青な顔の課長を見たときは、正直ちょっとだけ引きました」



 俺はそう言って、苦笑してみせる。



 とはいえ人間なんて仕事もプライベートも完璧な人なんてそうそういないだろうし、ちょっとくらい奇行を見せるくらいがちょうどいい塩梅だ。


 少なくとも俺の中では、課長の威厳は未だ健在だ。



「ふふ……確かにそれは言い訳できませんね」



 俺の言葉を受けて、桐井課長も苦笑する。


 苦笑だったが、屈託のない笑顔だった。


 多分、色々話したことと二日酔いが抜けてきたことで気分が落ち着いてきたのだろう。


 あるいは、いろいろ醜態を晒して吹っ切れたのかもしれないな。



 ただ、一言わせてもらうと。



 ……その笑顔は卑怯ですよ、課長。



「……さて、気分もだいぶ良くなりました。そろそろ出ましょうか」


「そうですね、そうしましょう」



 俺もこれ以上桐井課長と一緒にいると醜態を晒してしまいそうな気がしたので、彼女に賛同する。


 席を立ち会計を済ませ、店を出た。



 ……なお余談だが、どちらが会計を持つかで一悶着あったのだが……結局桐井課長が上司権限を発動して彼女の奢りとなった。



「コーヒーご馳走様でした。じゃ、俺は買い物を続けてきますので」



 言って、再び家具店へ向かうべく歩き出す。


 と、その時だった。



「……廣井さん」



 数歩ほど進んだところで背後から声がかけられた。



「どうかされましたか?」



 まだ気分が悪いのだろうか?


 その割には、彼女の顔は血色がよかった。


 良すぎるくらいだ。



「……その、今日はありがとうございました」



 俺の心配をよそに、ぺこりと頭を下げる桐井課長。



「いえ、課長が元気になってよかったです」


「それで……なんですけど。やはり、改めてお礼をする機会を設けたいと思いまして」



 そこで彼女は少しだけ逡巡する様子を見せたあと、続けた。



「来週末、少しだけお時間を頂けませんか?」

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