第119話 社畜、生活環境をととのえる

 翌日。


 まるまる一日余った休日は、久しぶりに買い物にあてることにした。


 というのも、よくよく考えてみれば我が家にクロの居住スペースや気晴らしのアイテムがないことを思い出したのだ。



 もちろん、ないわけではない。


 俺が仕事から帰宅するとたいていクロはベッドの上でくつろいでいるし、最近はリモコンを操作してテレビを観たりもしているらしい。


 それに人の姿になってちょっとの間外出することもあるらしい。



 テレビはリモコンの位置が変わっていたり、俺が点けたらチャンネルが変わっていたりするから分かる。


 外出については……お隣に住むお婆さんが、俺にやたら美人な彼女ができたと勘違していたので判明した。


 どうやら以前、クロが人の姿になって外出したことがあったらしく、そのときに鉢合わせしてしまったらしい。


 で、お隣さんにはなぜか「よかったねぇ」とやたら喜ばれた。


 お隣さんはどうも俺のことを自分の息子か親戚の子供か何かと勘違いしているフシがあるが……まあボケているわけではなさそうなので適当に相槌を打っておいた。


 否定すると逆に説明がややこしいからな。



 ちなみにこのあたりはクロに直接聞いてみたら人化してあっさり「そうだ」と肯定した。

 

 わざわざ人化して答えたのは、少なからずバツが悪かったからのようである。



 もっとも、俺はどちらも気にしてないのだが……クロに気を遣われるのも本意ではない。


 ということで、せめてクロが自宅にいてもなるべく居心地が良くなるよう、彼女の要望を取り入れた模様替えをすることに決めたというわけだ。



「……とりあえず家具屋からだな」



 やってきたのは地元の駅前にある商業ビルだ。


 ちなみにクロは連れてきていない。



 せっかくなので一緒に選びたかったのだが、どうやらこちら側でクロが人の姿を保てるのは数分……三分程度らしい。


 異世界よりマナが薄いのが理由だそうだが、大勢のいる中で人から狼に戻ってしまったら大事である。


 そもそも人化自体が結構疲れるらしいし。


 その辺りも何か対策があればいいのだが……今のところは思いつかないので仕方がない。



 ……余談だが、その時間制限で某国民的巨人ヒーローを思い出してしまったのは秘密である。



「ええと……まずはクッションからか」



 俺はスマホのメモアプリに書き連ねたリストを一瞥してから、家具店の奥へと向かった。



「さて……どれにするかな」



 それにしても、この手の店というのはいつ来てもワクワクする。


 棚に並んだ生活用品や家具の数々。


 シンプルだけどセンスのあるデザインで、あれもこれも……と目移りしてしまう。



 目の前のクッションフロアも然り。


 棚に並べられた大小様々、色とりどりのクッションの物量に圧倒されつつも、どうにかクロが好みそうなものを見繕っていく。



「ええと……これとかがいいかな」



 手に取ったのはパステルカラーのシンプルなクッションだ。


 色の好みは特に聞いていないが、あまり派手なカラーリングだと失敗確率が上がってしまうからな。


 大きさは、仔狼状態で乗ることができて、なおかつ人化したときでも下に敷いたり抱きかかえられるものにした。


 ……想像すると、どちらも可愛いな。


 特に人化したときのクールな表情でこのクッションを抱きしめているところを想像すると、頬が自然と緩んでくるのが分かる。



「フフフ……いかんいかん」



 他にも買うべきものは多い。


 俺はパンパンと両頬を張ってからクッションをカゴに詰め込み、次のエリアに移動することにした。



「ええと、次は……」



 メモアプリのリストにはクッションの次に『ソファ』と書いてある。


 もちろんこれもクロの要望だが、実は俺も欲しいと思っていた家具の一つだ。



 なんだかんだで男の一人暮らしは必要最小限の家具だけを置き殺風景になるか趣味のアイテムで部屋が埋まるかの二択だ。


 俺は前の職場がブラックだったというのもあり限りなく前者側だったので、今のところほどほどに部屋に空きがある。


 二人掛け程度のものならば問題ない。



 ソファなどが置かれている家具エリアはビル内だけあってそれほど大きなスペースが確保されているわけではなかったが、実際の部屋に置いたときにどんな風になるかをイメージできるよう、生活空間を再現した配置がされている。


 ここは一人暮らしの社会人の部屋がコンセプトになっているようだ。


 シンプルなデスクに椅子、ベッドにソファ。


 デスクライトにちょっとした小物類。


 『部屋』の隅にデンと置かれた60インチくらいある大型テレビは一人暮らしにはちょっと大きすぎる気がするが……それはまあご愛敬だ。


 で、肝心のソファ。



「お、これいいな」



 置かれているのは、木製の枠組みに布地のクッションが張られたシンプルな二人掛けソファだ。


 コンパクトだが、フカフカで座り心地がよさそう。


 先ほど購入予定だったクッションをもう一つくらい加えれば、一日中ここに座っていられそうな気がする。



「よし、これにするか……うん?」



 製品の札を取り、レジへと向かうところで気づいた。


 このエリアには、一人暮らしを再現した『部屋』以外に、ダイニングテーブルが置かれた、一家だんらんをイメージした『部屋』がある。


 そこのテーブルに、誰かが突っ伏していた。


 小柄な女性だ。



「…………!?」



 最初は精巧なマネキンかと思ったのだが違う。


 人間だ。


 ……というか。



「桐井課長!?!? だ、大丈夫ですか!?」



 見間違うはずもない。


 青い顔で完全にグロッキー状態の彼女は、我が上司殿だった。


 慌てて駆け寄り肩を揺する。



「……ぷぇ」



 桐井課長はなんか変な鳴き声を上げてから目を開け、こちらを見て――凝視して、それから目をギュッ閉じた。


 それからは何度揺すっても起き上がる気配がない。


 やはりこの前の魔法少女化で具合を悪くしてしまったのだろうか?


 だいぶ前の話とはいえ、全力を出したせいで体力と魔力をかなり消耗したと言っていたし……心配だ。



 ただ、どういう訳か血色は戻っている。


 なんか耳とか真っ赤になってるし。



 つーかこの人……酒くせぇな!



 目をギュッと瞑ったまま変な汗を顔に浮かべている課長殿を見て察する。



「…………」



 もしかしてこの感じ……二日酔いですかね?

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