第112話 社畜、魔界へ思いをはせる

 砦を出てから、集落などに寄り道せず寺院遺跡に戻った。


 フィーダさんは今日に限っては護衛を付けると申し出てくれたが、帰る場所が場所なので丁重にお断りした。



「はあ……異世界情勢も複雑だなぁ」



 このまますぐ現実世界に戻る気にはならず、遺跡の石段に腰掛け、そんなことをぼやいてみる。


 天を仰げば、真っ青な空に白い雲が流れていくのが見えた。


 少し強めの風が吹き、さわさわと周囲の緑がさざめく。


 これから戦争が起きるかもしれないなんて、とても想像できない穏やかな光景だ。



「…………」



 見た目も全く違う言葉も通じるかどうか分からない魔物と殺し合うのと、同じ人間同士で殺し合うはどちらがマシなんだろうか。


 ふと、柄にもないことを考えてしまう。


 まあ、こちら側の人々も普通に人間同士で争っているとは思うけどさ。



 とはいえこの問題については、俺はせいぜいこうして物思いにふける程度に留めておきたいと思う。


 最近はちょっとバイオレンス要素マシマシな業務と職場環境ではあるものの、俺はただのサラリーマンだからな。


 国や種族の存亡を賭けた、血で血を洗う戦いに首を突っ込むなんてまっぴらごめんである。


 だから、決着がつくまで現実世界で大人しくしておくのが最善なのだろうが……



「うーん、それも性に合わないんだよなぁ」



 身内というほどではないものの、フィーダさんやロルナさん、それにリンデさんら集落の人たちにはそれなりに世話になった。


 俺にできることがあれば、してあげたいと思うのは当然のことだ。



 一方、それはそれとして魔物たちが本当はどういう存在なのか気にならないと言えば嘘になる。


 たしかにゴブリンやオークは言葉も通じなさそうだし、ほとんど獣と変わらない感じだった。


 ダンジョンの魔物たちも似たようなものだ。


 現実世界に現れた妖魔たちは言うに及ばず。



 しかし、魔物でも竜人族という種族は意思疎通ができるとフィーダさんが言っていた。


 それにこの前戦ったクリプトとかいう魔物(魔族、というらしい)は、確か『魔眼』によれば不死族だった気がする。


 アイツはムカつくヤツだったが、一応言葉でのやりとりはできていた。


 もっとちゃんと話し合いをしたら、お互い殺し合いにならなかっただろうか。


 ……いや、それはないか。


 思いっきりあいつから攻撃を仕掛けてきたしな。


 まああいつは別だ。



 で、俺に一番身近な魔物といえばクロだ。


 コイツは黒柴……ではなく魔狼というれっきとした魔物だが、仲良く一緒に暮らすことができている。


 だから、すべての魔物が人間に敵対的というわけではないのだろう。



「そういえば、クロは『魔界』出身なのか?」


「…………フスッ」



 鼻息の感じだと、否定も肯定もしていない雰囲気だ。



 こういうときは、普通に人間に変化して答えてくれてもいい気がするんだけどな……


 そもそもクロはよほど興が乗ったときか必要に迫られたときしか人化してくれないが、今回に限っては単純に答える気がないだけのような気がする。


 まあ、別にそれならそれで構わない。



「そういえば、あの山の向こうって『魔界』なんだよな」



 ふと、森の向こう側に見える山々を見て呟く。



 この寺院遺跡からあの山脈まではそれほど距離はない。


 ふもとまで、だいたい5、6キロ程度だろうか。


 山脈の幅がどの程度か分からないが、向こう側のふもとまでは20キロもないだろう。


 現実世界の感覚からすれば、目と鼻の先だ。



 実は、寺院遺跡の裏手には森の奥に続く道があったりする。


 もうほとんど獣道のような荒れた道だが、わずかに石畳が埋め込まれた箇所があるのは、ここがかつてはそれなりの街道として機能していた証拠だと思う。


 この獣道があの山脈の向こう側に続いているとは限らないが、辿ってみたいと思った。



「まだ時間は結構あるな」



 山脈にも雲はかかっておらず、絶好の登山日和といったところだ。


 とはいえ目の前の山々はかなり峻険で、山頂付近は雪こそないもののゴツゴツした岩で覆われている。


 ちょっとそこまでピクニック……みたいなノリで登るのは危険だが、中腹くらいまで様子を確かめに向かう分には問題ないだろう。



「クロ、もうちょっと散歩してみないか?」


「…………!」



 散歩というワードに反応してクロの尻尾がピンと立った。


 やっぱコイツの本質って、人間じゃなくて犬……もとい狼だよな。




 ◇





「で、とりあえず来てみたんだが……なんだこれ」



 目の前に広がる光景に、しばし言葉を失った。


 予想に反して、寺院遺跡から少し進むとしっかりした石畳の道が現れた。


 これならば5、6キロ程度の行軍は大して苦にならない。


 クロの散歩も兼ねて小一時間ほど小走りで進み、そろそろ本格的な山道に差し掛かろうというところで急に開けた場所に出た。


 広さは、テニスコート一面分くらい。


 目の前は山の断崖で、そのふもとには両開きの巨大な岩の扉がはめ込まれている。


 森から伸びた道は、広場を突っ切って扉の下まで続いていた。


 これって、もしかしなくても……



「トンネル……の、遺跡か?」



 扉の規模は、高さも幅も7、8メートルはある。


 馬車ならば余裕をもってすれ違える広さだ。


 もちろん断崖をくり抜いて建造した寺院や神殿の可能性もあるが、それにしては妙にあっさりした造りである。


 一応周囲にはお社らしき遺構が見えるが、これまで見た遺跡に比べたらウサギ小屋みたいなものだ。


 現実世界の人間である俺の感覚からすれば、それが料金所跡か関所跡にしか見えなかった。



「お、もしかしてここから入れそう……?」



 近づいて調べてみると、扉はわずかに開いていた。


 ちょうど大人1人がどうにか通れるくらいの隙間だが、馬車で来ているわけでもないので問題ない。



 内部を覗いてみると、予想通り真っ暗だった。


 ひんやりとした空気が流れ出してきて、足元にまとわりついてくる。


 とはいえこれまでソロでダンジョン探索を行ってきたせいか、怖さはない。


 むしろ胸の奥から冒険魂がムラムラと込み上げてきた。



「クロ、行こう」



 言って、俺は『トンネル』の中へ足を踏み入れた。

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