第109話 社畜、威力偵察を実施する
――どぷん!
タールのような漆黒の沼の少し沖。
鈍く湿った音ともに、1メートル四方、深さ30センチが削り取られた。
やった! と思った瞬間、沼の水面が激しく泡立った。
攻撃を受けた周辺から何体もの汚泥でできた魔物が生じたのだ。
連中の足元や尻尾は、沼と繋がったままになっていることから、奴らは『深淵の澱』の一部であるらしい。
『――――』
それらが自分の身体を傷つけた犯人を捜すかのようにグネグネと首を動かし……こちらを向くとピタリと止まった。
これはさすがに見つかったか。
と思った瞬間。
『――――ッ!』
汚泥の魔物たちが奇怪な鳴き声を上げ、俺たち目がけて殺到してきた。
だが俺もすでに次の攻撃に向けて準備完了している。
今度はさらに深く、広範囲に。
具体的には、5メートル四方、深度50センチ。
襲いかかってくる魔物たちの足元を狙いすまし『奈落』を発動。
――ばぐん!
ふたたび沼の水面が抉り取られる。
それと同時に、魔物たちがただの汚泥へと変わり崩れ落ちた。
どうやら奴らは沼と何らかの形で接していなければその形状を保てなくなるようだ。
それに。
「……よし!」
俺は階段を駆け上がりながら沼を見て、小さくガッツポーズを取る。
穿たれた5メートル四方の穿孔部の底面が、明るい灰色に変わっていた。
ダンジョンの床面だ。
若干削り取られているが、底が抜けるほどではない。
となると、『深淵の澱』の深さはおおよそ50センチ弱というところか。
想定していたよりずっと浅い。
と、その時だった。
『ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴゥゥゥゥゥッッーーーー!!!!』
まるでハチの羽音とも唸り声ともつかない不気味な低音が周囲に響き渡る。
さすがに二度の攻撃は『深淵の澱』を本格的に怒らせたようだ。
次の瞬間、ばがっと漆黒の沼がまっぷたつに割れ、まるで津波のように盛り上がる。
高さは10メートルくらいはありそうだ。
それが、俺たちを圧し潰すように覆いかぶさってくるのが見えた。
「クロッ!」
「ガウッ……!!」
俺が叫ぶと、即座にクロが応答。
当初の指示どおりに俺の襟元を咥え、勢いよく階段を駆け上がり、漆黒の津波から逃れる。
『ヴアアアアァァッッーーーー!!!!』
だが『深淵の澱』も俺たちを逃すつもりはないようだ。
押し寄せた津波の上から、さらに広範囲でより高い膜状の物体が生じ覆いかぶさるように迫ってくる。
これはさすがに逃げ場がない。
だが、この程度の攻撃は想定の範囲内である。
「ここだっ!」
丁度黒い膜とクロが接触する直前に厚さ10センチ、3メートル四方の設定で『奈落』を
ばつんっ!
空間が断裂する奇妙な音とともに、狙った範囲の『膜』が消失。
その隙間が閉じる前に、素早く通り抜けた。
「まだ追ってくるぞ……しつこいな」
ある程度距離を取ると広範囲から包囲するような攻撃は仕掛けてこなくなった。
だがその代わりに太さ数センチの黒い触手が数本、追いかけてくるのが見えた。
とはいえ、『点』の攻撃ならば『魔眼光』で十分である。
バシュッ、バシュッ、バシュッ!
追いすがる触手をすべて撃墜。
そうなると、さすがに『深淵の澱』も切れる手札を失ったらしい。
闇の結界を抜けるころには、追手は消えていた。
◇
「ふう……意外とどうにかなったな」
「…………フス」
塔ダンジョンを抜け、念のため廃神社の境内まで逃げてきたところでようやく一息ついた。
当然だがこちら側はまだ午前中だ。
夜間は不気味な印象のこの境内も、今は木漏れ日を縫って降り注ぐ冬の陽光が穏やかな雰囲気を演出している。
先ほどの戦闘が夢だったかのような陽気だ。
とりあえずは、威力偵察は成功と言っていいだろう。
成果は十分にあった。
まず、『深淵の澱』の深度が判明した。
次に、『奈落』でヤツの身体を確実に削り取れることが分かった。
ついでに言えば、こちらの攻撃で少なからずダメージを与えた手ごたえもあった。
これは、『深淵の澱』が攻撃を喰らった直後に激怒して俺たちに襲いかかってきたことからも察せられる。
ノーダメージならば、こちらを取り込む動きを見せたとしても先日と大して変わらない反応だったはずだ。
もっとも、次はかなり警戒されて近づきにくい可能性があるが……これはまあ織り込み済みのリスクだ。
前回もだが、『深淵の澱』の探知範囲は、闇の結界の効果も手伝ってか、かなり狭い。
沼にかなり近づいても無反応だったので、多く見積もってもせいぜい十数メートルだろう。
そもそも『深淵の澱』は結界の外に出てくることまではできないようなので(そのための結界だろうし)、落ち着くまで待つのも戦法だ。
別に今すぐアイツを撃破すべき理由はないからな。
それよりも、なによりも。
「あいつは俺の力で倒せる……!」
それがなんとなくでも判明したのが一番の成果だ。
とはいえ、である。
「あいつを丸ごと消滅させるには、どのくらいのマナが必要なのかな……」
これが問題だ。
境内の石段に腰掛け、スマホの計算機能でざっと見積もってみる。
塔内部の直径はおおよそ100メートル前後。
深淵の澱の深さは50センチ弱。
俺の『奈落』は10センチ立法の空間を削り取るのに1000マナを消費する。
つまり……
「最低でも1570万強か……」
スマホの画面に現れた莫大な必要マナ量に、ちょっと心が折れかける。
ただ、希望はある。
「お前がアイツをやったときは、何日もかけて仕留めたんだよな」
「フス」
俺の隣に座るクロが、そうだ、とばかり鼻を鳴らす。
だとすれば、他のダンジョンでマナを補給しつつ何日かに分けてアタックを続ければいい。
補給源は……まあ、あの女神像とドラゴン像だろうな。
懸念があるとすれば、『深淵の澱』があのダンジョンによって生み出された魔物である可能性だ。
そうであれば、遺跡の女神像のように一気に倒さなければ時間が経てば復活してしまうだろう。
ただ、これについては今のところ何とも言えない。
ヤツが結界内に封印されていることから、おそらく外部からあの場所に誘導されたものだと推察できるが……そうである確証は、まだ得られていない。
今回は偵察のみが目的だったし、少し間をおいて今回与えたダメージが回復してるかどうかを確認する必要があるだろう。
いずれにせよ、見た目からして裏ボスっぽいヤツを一気に倒せるとは思っていない。
事故には注意しつつ、気長にやっていこう。
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