第107話 社畜、呼び出される
「廣井さん、ちょっといいですか」
翌日。
オフィスの扉を開けた瞬間、奥のデスクで桐井課長がチョイチョイと手招きしているのが見えた。
「おはようございます。どうかされました?」
「いえ、ちょっと」
桐井課長は何やら真面目な顔つきをしている。
そのせいで、こちらも何があったのかとつい身構えてしまう。
昨夜の朝来さんと加東さんへの戦闘指導で至らないことでもあったのだろうか。
だが桐井課長が切り出した話は俺の予想とは違うものだった。
「廣井さん、社長がお呼びです。ついさっき電話がありまして」
「えぇ……なんでですか?」
どうやら俺は露骨に嫌そうな顔をしていたらしい。
その様子が可笑しかったのか桐井課長が小さく吹き出し、先を続けた。
「いえ、用件は特に教えてくれませんでしたが……とにかく、出社したらすぐ社長室まで来て欲しいとのことです。でも……その顔で面会したら怒られちゃいますよ? 確かに社長、ちょっとウザ……お茶目なところが多々ある方ですけど」
「…………」
桐井課長もその認識なんかい。
まあ気持ちは分かるけどな。
俺なんて初対面で「迷子の幼女ドッキリ」を仕掛けられたからな。
あのやり場のない胸のモヤモヤ具合は未だに忘れることができない。
◇
「失礼します」
久しぶりに社長室を訪れる。
社長――ソティは普段の大人姿から、すでに銀髪の魔法幼女(?)姿になって俺を待ち構えていた。
フロア最奥のデスクにちんまりと収まった彼女は、ガラス窓から差し込む陽光がその銀髪をキラキラと輝かせ、まるで天使のような可愛らしさだ。
だが本性を知っている俺には、そんなまやかしは通用しない。
「おお、よく来たな。……おぬし、なかなか活躍しとるようじゃな?」
「……おかげさまで」
そこでなぜかソティがニヤリと笑みを浮かべた。
なんだろう、嫌な予感しかしない。
「最近は魔法少女を二人も手懐けたらしいのう。いよいよワシもおぬしに籠絡される日が近いやも知れぬのじゃ。こわいのうこわいのう」
「人聞きの悪い言い方はやめて頂けますかね!?」
こちらの動向が伝わっているのはまあいいとして、いきなりキレキレのセクハラ発言かましてくるとか、この人の頭はマジで大丈夫なのか。
男女逆なら大問題だぞ……
つーかこの人、中身オッサンとかじゃないだろうな!?
最近は身の回りに容姿を自在に変えられる存在が多すぎて疑心暗鬼になる。
とはいえ、曲がりなりにも彼女は我が社のトップ。
こちとらサラリーマンの身の上、あまり無礼な態度を取るわけにはいかない。
俺は「ごほん」と咳払いしてから、これ見よがしに自分の襟を正してみせるなどする。
「失礼しました。それで……どういったご用件でしょうか?」
単に逆セクハラをかますために俺を呼び出したわけではあるまい。
ただの近況確認でもないだろう。
さすがにそこまで身内扱いされるような覚えもないからな。
「うむ。戯れはこれくらいにして本題に入るとしようかの」
さすがに空気を読んだのか、真面目な顔に戻るソティ。
「最近、妖魔の動向がこれまでと変化してきているのは、桐井課長から聞いておるな」
「伺っております」
「うむ」
ソティは軽く頷いて、先を続ける。
「これまでは土着の妖魔との戦闘が中心じゃったが、ここのところ、この世界とは別の世界から侵入してきたと思しき妖魔が増えておる。もちろんこれまでも同様の事案はちょくちょくあったのじゃが、この数ヵ月は出現数が急激に増えておる。おまけに最近はかなり組織だった行動を取るようになったせいで、これまでは大半の魔法少女が簡単に蹴散らせていた相手にも苦戦することが多くなってきおった」
「それも存じております」
それゆえの、連携訓練と聞いているが……
しかし、こんなことを話すために俺をここに呼び出したのだろうか?
これでは、桐井課長から聞いた話と変わらない。
そもそもこの手の話は、課長とか別の部署の関係者も交えて会議などの体ですべきでは。
……などと考えていたときだった。
「……して、今回の一連の件でお主が気づいたことはないじゃろうか?」
ふいに、ソティが俺の目をじっと見つめてきた。
疑いの視線ではない。
けれども、俺だけが知る何かがある……そんなことを確信しているような、不思議な力強さが感じられる視線だった。
なるほど。
確かにそういうことなら、俺だけを呼び出した理由も分かる。
だが、もちろん素直に答えるつもりはない。
「……と申しますと?」
俺も、じっと彼女の目を見返して答える。
確かに秘密にしていることはあるが、それは彼女には関係のないことだ。
少なくとも、俺が異世界の魔物たちだとか魔族だとか魔王軍だとかと通じている事実はない。
「…………」
「…………」
しばしの間、ソティと見つめ合う。
「…………知らぬのなら、よい」
およそ十秒程度の沈黙は、彼女の方から破られた。
ふう、と大きく息をつくと、ソティは俺から視線を外す。
なぜか彼女の頬は色づいていた。
「しかしお主、存外に綺麗な瞳をしておるのう。そういうのはズルいのじゃ。思わず吸い込まれそうになってしまったじゃろうが」
「…………はぁ」
いきなり何すっとぼけたことを言いだすんだこの幼女社長は。
こんなオッサンに口説き文句じみたセリフを吐いても何も出ないぞ。
まあ、いろいろ誤魔化したかったのだろうことは察せられた。
藪蛇が怖いので、俺もそのへんを追及するつもりはない。
「あの、用件はそれだけしょうか」
「うむ。それだけじゃ」
ソティの問答は、あっさりと終わった。
先ほどの雰囲気から、もう少し食い下がられるかと思ったんだが。
もっとも、俺も暇ではない。
用事が終わったのなら、さっさと戻りたかった。
というか、昨日の戦闘訓練に関するレポートを詳細を忘れてしまう前に作成しておく必要があった。
「それでは失礼します。午前中は何かと忙しいので」
「うむ、励むが良いぞ」
なぜか満足げな様子でソティが頷く。
「ああ、そうじゃ」
社長室から退出しようとしたところで、背後から声をかけられた。
「…………」
立ち止まり、振り返る。
「近いうちに、ふたたび異界型妖魔の大規模侵攻があるかもしれぬ。そういう予測が上がってきておる。その時は……戦闘訓練以外にも、お主の力が必要になるやもしれぬ。その時は――」
言いかけて、ソティは口をつぐんだ。
それからすぐに飄々とした表情を浮かべる。
いつも見る表情だ。
「まあ……その時はお主にも、ほどほどに頑張ってもらうとしようかの」
「その際は、善処します」
サラリーマンが何かを社長に命じられて、否、という選択肢はない。
とはいえ、筋金入りの社畜である自覚がある俺でもさすがに会社に命を捧げるつもりはない。
まあ、爆増したお給料分は働かせて頂きますがね。
「では、失礼します」
今度こそ俺は軽く一礼して、社長室を出た。
「…………」
エレベーターの中で。
俺はさきほどソティに言われたことを反芻していた。
彼女は俺の瞳を『綺麗』だと言っていた。
それ自体は、別にどうということではない。
ただ……
彼女は左右どちらの瞳を指して、『綺麗』だと言っていたのだろうか。
それだけが、どうしても気にかかって仕方がなかった。
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