第98話 社畜、魔法少女と再戦する 上
「ここなら、
桐井課長に連れられてやってきたのは本社ビルの屋上だ。
青空の下、ここには西洋風のちょっとした庭園が広がっている。
生い茂る木々や植え込みなどを縫うようにして続く
その脇にはベンチや東屋などが設けられている。
都会の中にあって自然の中でくつろげる、本社スタッフ憩いの場所である。
広さはテニスコート二面分ほどだろうか。
そして今、この場所には『遮音結界』が張られていた。
桐井課長と俺、そして
つまりは実戦を想定した戦闘訓練の格好のフィールド、というわけである。
「フン。後悔しても知らないわよ? 私、この数週間でメチャクチャ強くなったんだから」
ここに来ても、朝来さんは余裕の態度だ。
コキコキと首を鳴らしてから、ぐぐっと上体を逸らせてストレッチ。
よほど自分の力に自信があるらしい。
「ふふ……もちろん私も本気で戦うつもりはありませんのでご心配なく。本部の人間として、現役の子に怪我を負わすような失態は避けなければなりませんからね」
「ふん……言うじゃない。望むところだわ!」
一方桐井課長はさっきから笑みを絶やさず、朝来さんの煽りをのらりくらりと受け流している。
とはいえ、彼女から立ち昇るオーラはチリチリとしていて、触れたら手が切れそうなほど鋭い。
多分これ、相当お怒りな感じだな。
俺は桐井課長に詳しいんだ。
「……ええと、俺……私は立会人ということでよろしいでしょうか」
「いえ、私の後で彼女と模擬戦をしていただきます。本来でしたら、今出張中の佐治さんがこういう子の相手をしてくれるのですが、この場にはいませんから」
「アッハイ」
どうやら俺も朝来さんと戦うことになるらしい。
まあ、課長命令なので是非もない。
というか、課長が先なのか。
『廣井さん、やっておしまいなさい』みたいな展開かと思っていた。
案外この人武闘派だな……
「桐井さんはともかく、おじさんなんてもう相手にならないと思うけどね? ……よっと!」
言って、朝来さんがクルリとターンを決める。
パッと彼女の身体が光り、次の瞬間には魔法少女へと姿を変えていた。
おぉ。
なんか以前と雰囲気が変わってる。
少し大人っぽくなったというか、この前までのゆるふわ魔法少女っぽい衣装からスタイリッシュで動きやすそうなドレス風衣装になっている。
端的に言えば、より戦闘向きな雰囲気だ。
覚醒……覚醒でもしたんか!?
彼女の武器……
おまけに槌の先端部分は陽炎のように歪んで見える。
おそらくあれは高温のせいだ。
となると、火焔魔法的なのを武器に付与しているということだろうか?
炎属性バトルハンマーとか、中二的にアツすぎる武器だ。
俺が14歳だったら彼女と共に一日中そのカッコよさを語りあえたかもしれないが……
今は齢35のオッサンである。
無念。
「どうやらかなり武器を強化したようですね。他の子のポイントを使って、ですけども」
「ちゃんと妖魔を討伐して得たポイントだからいいでしょ!」
「そうですね。まあ……今はいいでしょう。それでは、私も変身しましょうか」
「えっ」
一瞬時が止まる。
「…………廣井さん、何か?」
「い、いえ」
ジトッとした目で睨まれ、思わず目を逸らす。
しまった。
さすがにそっちは想定していなかったせいで変な声が出てしまった。
いや、確かに生身で魔法少女と渡り合えるとも思ってなかったけど!
「ていうかマスコットなしで、どうやって変身するっていうのよ!?」
朝来さんも俺と同様、驚いている。
そういえば、魔法少女ってマスコットがいないと変身できなかったんだっけ。
マニュアルに書いてあった気がする。
しかし俺たちの動揺をよそに、桐井課長はニコリと笑って言った。
「このビルの敷地内限定で、元魔法少女も変身できるんですよ。妖魔や怪人が襲撃してこないとも限りませんからね」
「な、なるほど」
確かに言われてみれば、このビルって言わば魔法少女の本拠地なわけだよな。
妖魔や怪人からすれば、今すぐにでも潰したい場所だ。
それはさておき……である。
俺には別の懸念があった。
つまり、成人女性の魔法少女姿はいろいろな意味で危険なのでは……ということである。
どうやら桐井課長はミラクルマキナに煽られて頭に血が上っている。
ここはやはり止めた方がいいのでは?
……などと葛藤をしているうちに、桐井課長が前に進み出てしまった。
「……では――変身」
ピカッと彼女の身体が光る。
次の瞬間。
黄緑と黄褐色のドレス風衣装に身を包んだ、小柄な少女が姿を現した。
歳のころは、おそらく12歳前後だろうか。
変身前より頭一つ分ほど背が低くなっているが、課長の面影は残っている。
元の彼女も成人女性とは思えないほど若々しいかったが、これでは……ミラクルマキナよりもずっと幼く見える。
「……課長?」
「そういえば、廣井さんにこの姿にお見せするのは初めてですね。少し待っていてください。廣井さんの番はきちんと取っておきますので」
自信満々にそう言う彼女の手には、武器は握られていない。
代わりに彼女の背中には三角形の透明な羽が生え、頭部には触覚のようなものが突き出ていた。
首回りには、これまたモコモコのマフラーらしき物体が巻かれている。
……桐井課長の魔法少女姿、めちゃくちゃ可愛いらしいなオイ!?
というかこのフォルム……どこかで見たことがあるな、と思ったところで気づく。
これは蛾だ。
多分、蚕蛾……いや、あのフォルムと色は、多分
となると、彼女の魔法というか能力は――
「では、始めましょう」
プン、と桐井課長の姿が消えた。
違う。
俺の強化された動体視力が、かろうじて彼女の姿を捉えていた。
彼女が向かったのは――
確かに『蛾』ならば飛行能力があるのは必然だろう。
しかも『雀蛾』のフォルムならば超高速飛行も可能と思われる。
実際桐井課長は、ほんの瞬きする間で目視ギリギリの高度まで到達していた。
屋上の地面から桐井課長の浮かぶ位置まで、およそ数百メートル。
衝撃波こそ感じなかったが、おそらく亜音速に近い速度が出ていたはずだ。
「なっ……消えたッ!?」
「ヂュッ!? マキナ、たぶん桐井課長の魔法は『瞬間移動』ッチュ! 気を付けるッチュ!」
「分かってるわよ! ……どこ!? どこに行ったのよ!」
しかし、ミラクルマキナとルーチェ氏はまったく反応できていなかった。
そのせいで、彼女らは全く見当違いの方向……つまり地上部分を中心に桐井課長を発見しようと躍起になっている。
これではもう勝負にすらならない。
「はい、チェックメイトです」
「なっ――」
ミラクルマキナの背後から伸びてきた小さな白い手刀が、トンと彼女の首筋を叩いた。
上空からふたたび一瞬で距離を詰めた桐井課長が、彼女の背後に降り立つと『致命の一撃』を繰り出したのだ。
もちろん、これは模擬戦である。
首筋を叩かれたミラクルマキナにダメージはない。
だが、それで十分だった。
「うそ……。ぐっ……参り……ました……」
悔しそうに顔を歪めながらも、ミラクルマキナが武器をガランと地に落とす。
降参を示す態度だ。
意外とこの子、潔いな。
あるいは圧倒的な実力差を見せつけられて、無様にあがくのはプライドが許さなかったのか。
「…………」
と、桐井課長がこっちを見た。
何かを急かしている。
そこで気づいた。
そういえば俺、この模擬戦の立会人だったわ。
「桐井課長、一本!」
「はい、お疲れさまでした」
俺の掛け声に、ニッコリと笑みを返してくる課長殿。
「さすがです、課長」
「いえいえ、これでも全盛期の三分の一も速度が出ていないですから。やはり年齢を重ねると力は出せなくなるものですねぇ」
「そうなんですか……」
今の三倍以上の速度って、下手すると拳銃の弾くらいのスピードになるよな!?
昔の桐井課長、恐ろしく強かった疑惑。
昔ヤンチャしてた(本人談)どこぞの上司殿どころじゃないぞ……
「さて、次は廣井さんの番ですね」
「……アッハイ」
そういえば、そんな話だったですね。
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