第93話 社畜、古代魔法を取得する
「…………あまり時間が経っていないな」
たしか、昼過ぎに本の中に入ったはずだ。
手に巻いた腕時計と、部屋に置きっぱなしにしていたスマホの画面を見比べる。
時計が約1時間ほど進んでいる。
一方スマホの時計は数分程度しか進んでいなかった。
きちんと計測したわけではないのでザックリとした数字であるものの、本の内部の時間の流れは現実世界のおよそ十倍ほどの速さらしい。
「…………」
現実世界の仕事を自宅に持ち帰ることがあれば、この本の中で仕上げてしまえばかなりの時短になるかも……と考えてしまうあたり、もう俺は社畜としてしか生きられないのかもしれない。
もっとも、今の仕事は機密事項が多すぎるので仕事の持ち帰りなんて不可能なわけだが。
ちなみにクロは俺より先にベッドに上がると、さっさと丸くなって寝てしまった。かわいい。
もしかしたら本の中でマナを徴収されたので疲れが出たのかもしれない。
俺の方は、精神的な疲れはあるものの体力的にはまだまだ活動可能である。
それにしても、だ。
深淵魔法……どうしよう。
俺は宿のベッドに腰掛けると、頭を抱えた。
ステータスを呼び出し『取得可能スキル一覧』を確認すると、『深淵魔法:奈落』の文字がはっきりと見える。
「やっぱこれ、取らなきゃダメなのかなぁ……」
ちなみにこのスキル取得一覧は編集不可だ。
つまり項目の削除は不可能、というわけである。
もちろん忘れることもできない。
まぁ取得コストゼロな時点で、もう俺が取得するか、未取得で放置するかの二択しないわけで。
「……はあ」
要するにタイミングは任せるから必要なときに取れってことだよな。
実際問題、今の状況は核ミサイルの発射ボタンをポケットの中からバッグの中に移した程度の違いしかない。
そもそも『深淵の澱』を倒すには、現状、深淵魔法をぶつけるくらいしか思いつかない。
もちろんひたすらレベルを上げて『魔眼光』を放つ回数をできるだけ増やすという手もあるにはあるが、こっちは撃つべき数が多すぎて現実的ではない。
何千回も『魔眼光』を撃てるようになるまで、どのくらいレベルを上げればいいのかという話だ。
「……そういえば」
と、そこで思い出す。
スキル一覧に入っているということは、『鑑定』で詳細が確認できるはずだ。
さっそく魔法の説明を確認する。
《深淵魔法:奈落》
《始まりの王が見出した、原初の魔法の一つ》
《指定範囲内空間を亜空間と置換する魔法。ただし置換過程において基底現実物質と亜空間物質の衝突による対消滅防止のため指定範囲内に存在するすべての構成体をマナに変換する必要があるため、物体転送用途に用いることはできない)
《許容負荷を超えた場合は亜空間力場が逆流する恐れがあるため、行使時には生体マナ総量に十分な余裕を確保したうえで、過大な範囲を指定しないよう細心の注意を払う必要がある》
「なるほど……」
語句の意味は分からないものが多いが、おおよその内容は把握できた。
要するにこの魔法は、こっちの世界と亜空間を入れ替えるというのが本来の使い道のようだ。
それがどう役に立つのか、俺には分からないが……
ともかく、その威力は見て知っている。
しかし、ここで朗報である。
どうやら範囲指定が可能らしい。
説明の通りならば、ごく小さな範囲で行使することも可能のようだ。
その場合は、肉体にダメージを及ぼすことはない……とも読める。
おそらく先ほどの大破壊と人体崩壊現象は、そのリスクを度外視して最大威力でぶっ放した結果なのだろう。
……これならば、使えるかもしれないな。
そう思うと、かなり気持ちが楽になった。
少なくともポケットの中にあるのが核ミサイル発射ボタンから手榴弾くらいにスケールダウンしたのは確かだ。
まあどっちも暴発したら死ぬわけだが、それでもイメージというものは案外バカにならない。
……散々迷った挙句、俺は『深淵魔法:奈落』を取得することにした。
結局のところ、スキル一覧に載っている以上は取っても取らなくてもあまり状況が変わらないからだ。
もちろんスキル一覧にある状態では魔法をそのまま使えないから、これをもって『安全装置』とすることができなくはなかった。
だが……想像したくはないが、それゆえ急遽使用せざるを得ない状況に追い込まれた場合はぶっつけ本番で使うことになるだろう。
それはあまりにもリスキーだ。
だったら先に試してみて、使いこなせるようになった方が精神衛生上よろしい、というわけである。
もちろん細心の注意を払ったうえで、だが。
「……まだ今日は時間があるな」
部屋の窓から外を見ると、まだ日は高い。
ならば、すぐに行動だ。
◇
というわけで、俺は夕食までの間を使って例の女神像がいるダンジョンに向かうことにした。
クロは起こして連れてきた。
万が一俺に何かあって動けなくなったときに、ダンジョンから地上まで連れ戻してくれるように頼んである。
その代わりに夕飯はクロが肉をたくさん食べられるよう、リンデさんに準備してもらうことにしている。
「……さて、と」
最初のフロアの大ネズミたちは通常の攻撃でサクッと排除。
これで目撃者はクロ以外にいない。
さっそく始めていきますか。
「…………」
集中する。
魔法の行使は、スキル行使とほとんど変わらない。
しかし、深淵魔法を使おうとしたところ、視界に妙な文字と、緑色に光る『・』が浮かび上がってきた。
《範囲指定 高:0 幅:0 奥:0》
《消費マナ:0》
『・』については、意識すると視界内で自在に動かすことができた。
なるほど……なんとなく分かってきたぞ。
これは『
おそらくだが、『・』を中心に空間の大きさを指定して魔法を実行するというのが、この魔法基本的な操作(?)方法らしい。
かなり直感的に使えるっぽいので、少し安心する。
あとは範囲の指定だが、単位が分からない。
こればかりは数値を入れ込んでいかなければ分からないな。
ということで、とりあえず三つとも『1』にしておく。
《範囲指定 高:1 幅:1 奥:1》
《消費マナ:1,000》
「たっか……」
まさかたった一発で1,000マナ、だと……?
もちろん規模にもよるが、そう簡単にぶっ放しまくれる魔法ではないようだ。
まあ、分かっていたが。
「…………」
ちなみに『高』を『2』にしてみたところ、2,000マナになった。
さらに『幅』を『2』にすると4,000マナ。
『奥』を『2』にすると……予想通り8,000マナ。
各数値の乗算でコストが積まれているようだ。
もっとも、この程度の消費マナ量でも発動できるのならばあまり危険性はないと思われる。
さすがにたった1,000マナぽっちで、この部屋全部を亜空間に置換できるほどコスパの良い魔法ではないだろうからな。
とはいえ、万が一のことを考えいつでも部屋から脱出できるように通路から撃ってみることにした。
標的は、部屋に放置されている木箱のうち、一番奥にあるやつだ。
クロは俺よりさらに数メートルほど後方に待機させている。
準備万端だ。
「……よし、いくぞ」
緊張のせいか、両手の指先が冷たくなっている。
喉が渇いて張り付きそうだ。
だが、ここで怖気づくわけにはいかない。
一度大きく深呼吸したあと……行使。
――ギュルッ!
小さな、しかし耳障りな音が部屋の内部に響いた。
そのあとは――静寂。
「…………やったか?」
一応発動自体はしているはずだ。
標的としていた木箱におそるおそる近づく。
すると、その側面が10センチ程度で抉れ、中から腐った麦がサラサラと零れ落ちているのが確認できた。
「……よし。最少単位はおよそ10センチか」
体調については、特に異変はない。
ステータスを確認してみると、確かにマナ総量がちょうど1,000減っていた。
どうやらそれ以外に俺が支払うコストはないようだ。
「ふううぅぅ…………」
もう本当に、本当に腹の底から安堵の息が漏れた。
「…………」
そんな俺の様子を、近くにやってきたクロがじっと見上げている。
なんだか「よくやったな」と言わんばかりの様子だ。
とりあえず頭をワシワシなでてやる。
気力回復。
「さて、今度は実戦だな」
まだまだ夕飯の時間には遠い。
俺は部屋に戻りたい衝動を抑えつつ、女神像が鎮座する広間へと向かった。
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