第88話 社畜と安全な魔法

 しばらく雑談をしたあと、二人に別れを告げて砦を出る。



 結局ロルナさんもフィーダさんも『深淵の澱』のことを知らなかった。


 だが、これはこれで貴重な情報だ。


 異世界の方々が、それもわりと教養とか知見のありそうな二人が口を揃えて『知らない』と言ったのだからな。



 それに先日ダンジョンで見つけた書物のことを思い出したのも収穫と言えば収穫だ。


 こっちはこっちで、いろいろ忙しくてずっと放置していたからな。



 ただ二人に書物を見せると、あの古代遺跡ダンジョンのことを話す必要が出てくる。


 それはさすがに時期尚早だと考え、いったん自分で確認することにした。


 どこで? といえば、もちろんスウムの宿場町だ。



「あら、いらっしゃいアラタさん。クロちゃんも! また一泊する感じ?」


「はい、一泊でお願いします」



 宿の女将兼冒険者ギルド職員のリンデさんは、俺たちの顔を覚えてくれていたようだ。


 さっそく宿を取り、部屋に案内してもらう。


 今回案内されたのは前回とは別の部屋だったが、同じように清掃が行き届いており快適な居心地だ。


 ちなみにこの部屋では、窓の縁には小さな鉢植えが所狭しと飾られていた。


 窓から注ぎ込む陽光に照らされ、鉢植えの緑がキラキラと輝いている。


 なぜ人はこうも、部屋の中にある植物に心が安らぐのだろうか。


 

 そんな哲学的な問いはさておいて、ひとまず俺は荷物を置台に載せ、中から例のブツを取り出した。



「……これ、どう見ても古文書だよな」



 女神像のいた神殿奥の小部屋には朽ちかけた木棚が放置されていたこの書物だが……状況からして、あの神殿(?)に勤めていた神官さんの日誌だとか聖書的な本とかだろうか。


 少なくとも、エロ本とかエロ小説の類ではないとは思う。



 モノとしては、古びた油紙で幾重にも包装された書物だ。


 大きさは、辞書より一回り大きいくらい。


 ちなみに厚みは辞書と変わらない。


 油紙の内側から伝わってくる感触がゴツゴツしているので、表紙は木製なのかもしれない。


 完全に鈍器である。



「…………」



 ベッドに腰掛けその手触りを確かめていると、クロがベッドに飛び乗って俺の隣に座り、書物の匂いをフンフンと嗅いできた。



「クロも気になるのか?」


「……フスッ」



 俺の言葉に応じるようにクロが鼻を鳴らすが、いまいち意図が読めない。


 ただ、「さっさと開けてみろ」と言っているような気はする。


 もちろんそのつもりだ。



「っと、まずは鑑定しておかないとだな」



 すぐさま開封したいところだが、念のため罠とか危険な魔法などの有無だけは確認しておかなくては。


 俺は書物に『鑑定』を掛けてみた。



 《対象の名称:古代の書物(未開封)》


 《ロイク・ソプ魔導王朝の歴史を編纂した書物、その第3巻。物理的な封印以外に魔法による封印や攻性防衛魔法の類は施されていないが、この歴史書自体が魔力を帯びている。ひとたび開けば書物に取り込まれないよう、取り扱いに十分注意する必要がある》



「……ビンゴ!」



 思わず小さく叫んでしまった。



 中途半端な巻数ではあるが、まさか初手で歴史書を引き当てるとは。


 確かに歴史書ならば神殿の奥にあってもおかしくない気がする。


 神官さんとか神父さんて、教養が特に必要な職業だと思うし。


 なんなら歴史書の一冊や二冊くらいなら内容を丸暗記していたのかもしれない。



 それはさておき、ロルナさんによれば『深淵』の語源は魔導王朝時代の書物が初出だそうだ。


 その魔導王朝がロイク・ソプ魔導王朝なのかは置いておいても、この書物に何らかのヒントが書かれている可能性は高い。


 これは幸先がいいぞ……!



 とはいえ、である。



「『取り込まれないよう注意が必要』ってのは気になるな……」 



 なかなか解釈が難しい説明だ。


 読み込むことで精神汚染のような状態異常を付与される、ということだろうか?


 そういえば我々の世界にも、読破すれば必ず一度は精神に異常をきたす希代の寄書……なんて触れ込みの小説があったような。


 まあ、そのくらいのマイルド・・・・な仕様ならば安心して開くことができるんだが……



 もっとも『鑑定』先生は『攻性防衛魔法の類は施されていない』と言ってるし、本が『魔力を帯びている』といっても、それほど危険なものではないと判断していいだろう。


 最悪、何らかの状態異常を付与されそうになっても『魔眼』がレジストしてくれる可能性が高い。



「……よし」



 いずれにせよ、このまま本を前にまごまごしている訳にもいかない。


 絶対に大丈夫! とは言えないが、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』だ。



 覚悟を決めて、いざ封印をペリペリとオープン。


 幸い、書物を包み込んでいる油紙は糊などでガチガチに貼り付けられておらず、簡単に取り除くことができた。


 もしかしたらちょっとくらいは抵抗があるかと思ったが……拍子抜けするくらいあっけなく書物が姿を現した。



「おお……カッコイイ!」



 古代の書物を目の当たりにして、最初に出てきた感想はそれだ。


 複雑な彫刻が施された木製の表紙は鉄製の枠でしっかりと保護されている。


 ページの端は防腐剤か何かが塗られており、手触りは少し硬めだ。



 なんというか、異世界情緒の塊みたいな書物だった。



 ちなみにタイトルは流麗なフォントで『ロイク・ソプ王朝年代史 第3巻』と記載されていた。


 ていうか明らかに象形文字だったのにも関わらず普通に読めた。


 『異言語理解』スキル、恐るべし。



「…………」



 気が付けば、クロが俺の隣に座り込み、じっと本を眺めている。


 どうやら俺と一緒に本を読みたいらしい。



「よし……開けるぞ」



 とりあえずクロの身体を抱え込むように手を回し、それから本を開いた。









 ……気づいたら、どこかの街の中にいた。








「………………は?」



 思わず声が出た。



 俺とクロは、細い路地に立っていた。


 両脇は砂っぽい、赤茶けた石積みの建物。


 視界の先、すぐ向こうには大通りらしき道が見える。


 天を仰げば、雲一つない青空が広がっていた。


 とても静かだった。



 そして……背後を見れば、路地裏を塞ぐような不自然な形で本の表紙を模した扉が佇んでいた。


 そこで察する。



 あー……


 なるほど、そういう仕様ですか……



 確かに『攻性防衛魔法』ではないな、これは。


 魔力を帯びている、という意味も分かった。





 つまりは今、俺たちは本の中・・・にいるらしかった。

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