第87話 社畜と異世界の古文書

 週末。


 しっかりと準備をしてから、クロと一緒にいざ異世界へ。


 遺跡ダンジョンを抜け、まずは挨拶を、と砦に向かうと、門番の兵士さんが俺の顔を見るなりすぐに応接室へと案内してくれた。


 ここ最近はちょっといい部屋に通してくれるようになったのでありがたい。


 もしかしたら、先日の取引で砦主のクルゼさんから一定の信頼を得られたことが影響しているのかもしれない。


 ありがたいことである。



「ようヒロイ殿」


「久しいな、ヒロイ殿。先日は商談に立ち会えずすまなかった」



 しばらく待っていると、フィーダさんとロルナさんがやってきた。


 ロルナさんは用事が終わって王都から戻ってきたようだ。



「フィーダさん、ロルナさん、いつもお世話になっております」



 席を立って二人にお辞儀をすると、フィーダさんがむず痒そうな顔をしているのに気づいた。



「ヒロイ殿。その、『お世話になっております』ってのがあんたの国の挨拶なのは分かるんだが……そう毎回深々と頭を下げられると俺もかしこまっちまうよ」


「す、すいません。つい癖で」


「私は素晴らしい挨拶だと思うぞ? ヒロイ殿のいた国はきっと昔から人と人が互いに助け合い、そして皆がそのことを自覚しながら生きてきたのだろう。この国の中枢に今、最も必要な精神性ではないだろうか」



 ロルナさんはそうフォローしてくれたものの、確かにフィーダさんの言い分にも一理ある。


 彼が俺に接する時の態度は気安いというか、完全に悪友のそれ・・だからな。


 もちろんそんな彼の態度を、個人的にはとても嬉しく思う。


 まあ、これからはもうちょっとフランクに接していくことにしよう。



 ちなみにロルナさんは自分のセリフを言い終えると遠い目になっていたが、王都で何があったのだろうか。


 まあ、深く詮索するつもりはないが。



 ひとしきり挨拶が終わったあとは二人に手土産などを渡しつつ、雑談に入る。


 頃合いを見計らって、『これは人づてに聞いた話ですが』と断りを入れたうえで話を振ってみた。



「『深淵の澱』……? そのような魔物は聞いたことがないな」


「なんだそりゃ? 魔王軍所属の魔族の二つ名か何かか?」



 だが、二人して首をかしげつつ返してきた答えは要領を得ないものだった。



「本当にご存じありませんか? もしかするとこの国では別の名前で呼ばれているかもしれません。スライムのように液体状で漆黒の身体を持ち、すべてを呑み込む巨大な魔物です」


「王国に生息しているスライム属で、体色が黒いものはないと記憶している。おそらくは特殊な個体なのだろうということは分かるが……」


「うーむ……俺も冒険者時代に国内外のダンジョンをいくつも攻略したが、ダンジョンの部屋を満たす規模のスライムなんて見たことも聞いたこともないな」


「そうですか……」



 どうやら本当に二人は『深淵の澱』のことを知らないようだ。


 クロとの契約にも出てきたことだし、メジャーな存在かと思ったのだが違うらしい。


 でも、契約文言に出てきた魔族はいるっぽいしな……その辺の線引きがいまいち分からない。



「それにしても、話を聞くに相当強力な個体のようだ。仮にそのような巨大スライムを魔王軍が運用しているのならば、王国も相応の対策を整えなければならんだろうな」


「そんなのが襲ってきたら、天災レベルの被害が出るぞ? 普通の兵士じゃ、あっというまに全員呑み込まれて終了だ」


「確かに。下手をすれば宮廷魔法使いを全員戦場に投入する必要があるだろうな」


「あいつら全員いけ好かないんだよな……偉そうだし。つーか、そもそも火焔魔法とかで燃やせんのか?」


「いや、氷雪系の方が効率がよさそうだ。凍らせてしまえば、そこから身体を削り取って体積を縮めることができるかもしれん」


「なるほど、そりゃそうか……! やはり学院出の騎士様は頭の出来が違うな」


「やめてくれ兵士長。所詮は机上の空論だ」


「あの、別に魔王軍とかではないとは思いますけど……」



 二人して深刻な顔で議論を始めてしまったので、とりあえず断りを入れておく。


 そもそも魔王軍所属だなんて一言も言ってないんだが……



「ヒロイ殿、もちろん我々とて弁えている。この話が貴殿よりもたらされたなどと誰かに漏らすつもりはない」


「分かってるって。商人のあんたが『人づてに聞いた話』、だろ? そこは間違えんさ」



 二人とも、全然分かってませんよね!?


 まあ『人づてに聞いた』ってところは余計だったかもしれないが。



「冗談はさておき、対魔物戦闘の思考訓練としてはいい題材だ」


「しっかしなぁ……図体のでかさってのは喧嘩でも戦でも有利に働くもんだが、雑魚の代名詞のスライムが巨大になるだけでこれほど厄介な相手になるとはな」



 うんうん、と頷き合うロルナさんとフィーダさん。


 どうやら勘違いではなく、単純に思考実験として真剣に考えていただけだったようだ。


 ……そうだよな?



「それにしても、『深淵』か。その魔物の名付け親は歴史学者なのかもしれないな」


「歴史学者、ですか」



 ロルナさんがふと呟いた言葉に引っかかる。



「うむ。『深淵』という言葉自体は今やありふれたものだが、単語そのものは魔導王朝期の古文書に書かれていたものが起源とされる。私も学院時代は実技一辺倒で座学が苦手だったが、唯一古代史だけは興味があってしっかりと講義を覚えていたのだよ」


「古代文明、ですか」



 おお、なにやらとっかかりになりそうな話題が出てきたぞ。



「古代史なら俺も一通りやったぜ。冒険者時代に、『実地』でだけどな。結構面白いよな、古代史」


「歴史は体系的に学ばなければ意味がないぞ。どれ、今度私の恩師を紹介してやろうか? 一杯酒を奢れば、三日三晩でも語ってくれるぞ」


「いや、それは遠慮しとくわマジで」



 フィーダさんが真顔でロルナさんの申し出を固辞している。


 彼はよほど勉強が嫌いらしい……



 それはさておき、ロルナさんによれば古代史の中にヒントが隠されているかもしれない……ということか。


 ロルナさんとフィーダさんの掛け合いを眺めつつ、そんなことをぼんやりと考える。



 それにしても、古代史……か。


 さすがにこの世界の歴史を調べてまわるのは相当に骨が折れるな……と思って、ふと気づいた。




 先日攻略した、女神像のいた遺跡の奥で見つけた書物…………あれって、いわゆる古文書ってやつだよな?

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