第85話 社畜、戦略的撤退を決める

「アレを倒すというのか?」



 クロが女性姿のまま顔をしかめる。



「確かにアレは不死ではない。お主が倒すというのなら協力しよう。だが……しつこいぞ」


「しつこい?」



 どういう意味だろうか。


 クロが先を続ける。



「うむ。アレは他者の命を取り込むことにより生き永らえている存在だ。倒すためには、取り込んだ命をすべて殺し尽くす必要がある」


「クロは倒したことがあるのか?」


「ある。だが、同胞や人族らとともに一日たりとも休まず殺し続けて、完全に殺しきるのに100日を要した」


「100日……三か月以上かぁ……」



 さすがはクロであるが、それは確かに『しつこい』な。



 要するに、残機99の裏ボス的存在ってことか。


 しかもヤツに触れたら一発アウトとか、レベル1縛りの死にゲーどころではない難易度だ。



 もっとも、俺には『弱点看破』と『魔眼光』がある。


 ヤツの攻撃範囲外から弱点をチマチマ攻撃して削っていけば、なんとかなる……かな?



 もっともヤツが取り込んだ『命』の総数が分からない以上、今すぐどうこうできる相手ではないということになる。


 いくらなんでも、『魔眼光』を連続で数百発も撃つことはできないからな。



「……わかったよ、クロ。今日はまだ、あいつと戦うつもりはない」


「それが賢明だ。む……すまぬ主よ、時間切れだ」



 クロがそう言って、ホッとしたような表情を見せる。


 それと同時に変身に必要なマナが底を尽きたようだ。



 クロが淡い光に包まれ、巨狼の姿になった。


 今回は比較的長い間人の姿になっていたせいか、さすがに疲れた様子だ。


 早めに切り上げたいところだが……さすがにこのままでは帰れない。



「ごめん、クロ。もうちょっとだけ付き合ってくれないか。『深淵の澱』の情報を、もう少しだけ探っておきたいんだ」


「…………」



 一瞬、ジトっとした視線を向けてきたクロだったが……鼻息だかため息だか分からない息を吐きだして、床に伏せた。


 乗れ、ということらしい。


 申し訳ないと思いつつ、俺はクロの背中にまたがった。



「よし。お疲れのところ悪いけど、もう一度下に降りてくれ。とりあえず、アレがはっきり視認できる距離なら『鑑定』できると思う」


「…………」



 俺がそう頼むと、クロは立ち上がり階段を駆け足で降り始めた。


 すぐに黒いモヤが周囲を覆いはじめ、再び俺たちは『深淵の澱』の見える場所までやってきた。


 彼我の距離は概ね50メートルといったところだろうか。


 眼下の漆黒の沼はときおりゆらゆらと水面を波打たせたり、ボコボコと泡のようなものを吐き出している。


 しかし、先ほど見られた人型の何かや取り込んだと思しき妖魔の姿は見られなかった。



「どうやら落ち着いているみたいだな」



 よし、こちらに気づかれないうちに用事を済ませてしまおう。


 俺は『深淵の澱』の真ん中あたりに視点を合わせ、『鑑定』を発動させる。



 《対象の名称:深淵の澱/生命力 #33*◇22×% 魔力 #&%$364/危険ド 測ム不纏》


 《深淵のヲ&……古代魔導文明期に創り出された禁忌魔導生命の一ツ。黒いタール状の構成体ニ触れれば貴方の命を頂戴して磨り潰シ骨まデしゃぶり尽く尽く尽くくしししk4te殺して愛して愛して愛して愛して愛して愛してアイsて56tああああいいいいいいいい$$%%$99あいあい343$#9ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ――――――――――――》



 なんだこれ!?


 まずい、この情報を見ているだけで胸の奥から妙なムカつきが込み上げてきて――



 《不明敵性存在による逆探知および攻性魔術結界による侵食を確認しました。直ちに『鑑定』を切断します》


 

 ――バチンッ!!



「ぐあっ!?」



 頭をバットで殴られたような激痛ともに、一瞬視界に火花が散った。


 同時に、胸のムカつきがスッと収まる。


 だがその代償か、心臓が飛び出そうなくらい激しく脈打ち、脂汗が止まらない。


 と、そのときだった。



「ガウッ!!」


「はっ……!?」



 クロが鋭い唸り声を上げ、俺は我に返った。


 そこで気づく。


 眼下の黒い沼が激しく波打っているのが見えた。


 ヤバい、『鑑定』を逆探知された上に怒らせた……!?



 見れば、沼の真ん中に再びあの人型が生じている・・・・・のが見えた。


 今度は以前よりもはっきりとした姿だ。


 見た目は女性……子供?


 かおらしきものはある。


 だが、本来眼球が収まっているはずの部分はぽっかりと落ちくぼんでいる。


 その『眼』が、明らかに俺を見ているのが分かった。



『――――、――――』



 彼女・・がこちらに片手を差し出すように掲げ、口にあたる部位がぱくぱくと開閉する。


 もちろん何も聞こえない。


 だが、何かを訴えかけていることが身振りで分かった。


 あれは、助けを求めている……? それとも――



 ――どぷん!



 と、その時だった。


 沼から黒い触手が何本も突き出し、こちらに迫ってきた。


 凄い速さだ。


 さきほどとは比べ物にならない。


 これは……絶対ヤバい。



「クロ、撤退だッ!!」


「ガウッ!」


 

 俺の絶叫に、即座にクロが呼応。


 凄い勢いで、階段を駆け上ってゆく。


 だが行く手には、すでに黒い触手の数本が回り込むように待ち構えているのが見えた。


 クソ! アイツ、ここまで攻撃が届くのか!


 この距離なら安全だと思っていたが甘かったようだ。


 もちろん大人しく捕まるつもりはないけどな……!



「クロ、このまま進んでくれ! ……焼き切ってやるッ!!」



 とっさに叫び、『魔眼光』を連続で発動。

 


 ――バシュッ! バシュッ! バシュッ!



 弾けるような蒸発音とともに、『魔眼光』を喰らった触手が消滅。


 退路の確保に成功した俺たちは、一気に塔の階段を駆け上り――どうにか塔の外周通路へと撤退することに成功したのだった。




 ◇




「…………」



 塔ダンジョンからどうにか帰宅して夕食とシャワーを終えたあと、髪が乾いたタイミングでベッドに直行。


 クロはかなりお疲れな様子で、俺と一緒にベッドに潜り込むとすぐにフスフスと寝息を立て始めた。



 もっとも、俺はなかなか寝付けなかった。


 今日の出来事が頭の中をグルグルと回る。


 いろいろ考えることはあったのだが、特に『深淵の澱』のことが頭から離れなかった。



 なんだあいつは。


 姿形もそうだが、これまで見た魔物とは全く違う次元の存在に見えた。


 そもそも『鑑定』を逆探知したうえ侵食してくるのは予想外だった。


 まあ、『魔眼』がどうにか防御に成功したおかげで事なきを得たが……



 それはそうと、あの『深淵の澱』はどんな存在なのだろうか。


 かろうじて『鑑定』で読み取れた情報からすると、古代の大量破壊兵器っぽい感じだったがそれ以上のことは分からなかった。


 あとは、呪詛じみた言葉を吐き続ける存在だということくらいだろうか。



 正直、あまり関わりたくない。


 だが、あの塔ダンジョンの探索を続けるためにはアイツを倒す必要があるのは間違いない。


 まあ一応、触手自体は『魔眼光』で排除できるようだから、決して今の俺でも手も足も出ない存在というわけではないだろう。


 クロも昔倒したことがあると言っていたしな。


 結局アイツが古代の超兵器だろうが何だろうが、倒せるのならその方法を探すまでだ。



「……ちょっと調べてみるか」



 ということで。


 次回の異世界滞在では、『深淵の澱』に関する情報を集めることにした。

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