第48話 魔法少女の受難 下【side】

 ――大破し、炎上する車両が見えた。


   周囲は火の海だ。


   全身が痛い。身体が動かない。



   かすむ視界の先で、二、三の小柄な影が何かを貪っているのが見えた。


   その『何か』が自分の両親だと気づいたとき、マキナは絶叫した。




 ◇



 

 どうやら一瞬気絶していたようだ。



「がはっ……!」



 呼吸ができない。


 チカチカと目の前に星が舞っている。



 おそらく、視認できないほどの速度による鳩尾みぞおちへの打突。


 痛みと呼吸苦、そして公園の真ん中で豚頭がこちらに拳を突き出している。


 そこでようやく、マキナは自分が攻撃を受け吹き飛ばされたことを自覚した。



 とはいえ魔法少女衣装の魔導防御機構は正常に機能していたようで、骨や内臓に損傷はなさそうだ。


 動けなくはない。


 だが、ダメージが大きすぎる。



 衝突した塀を支えにどうにか立とうとするが、膝が笑いぐらついてしまう。


 こんな強烈な攻撃を喰らったのは初めてだった。



「ぐっ……、このっ……!」


「ほう、さすがにこの程度ではこたえぬか」



 声の主は豚頭だ。


 追撃は仕掛けてこず、ブフッと鼻息を大きく吐き出した。



「名乗りも上げずに攻撃を仕掛けてくるなど、武人の風上にもおけぬ。年端も行かぬ女子であろうと、礼儀を知らぬ者にかける情けなどないと知れ」


「異形型が……喋った?」



 マキナは耳を疑った。


 『寄生型』や『擬態型』が言葉を話すことはある。


 それは人間に憑りついたり、他の犠牲者をおびき寄せるために声真似をするからだ。


 それ以外では、まだマキナは戦ったことがないが『怪人』と呼ばれる強力な人型妖魔は高度な知性を宿し、人語を解するという。



 だが『異形型』がこれまで人語を喋ったことは一度たりともない。


 ましてや意味の通じる言葉を喋るなど……ありえないはずだ。



「ふむ……やはり言語は通じるのか。なるほど、確かにこの世界は魔王様の故郷であるようだ」


「魔王……?」



 聞きなれない単語が豚頭の口から飛び出てきた。


 魔王って、あのゲームとかの魔王?


 意味わかんないんだけど……?



「マキナ! 大丈夫ッチュか!?」


「……なんとか」



 と、そこにルーチェがようやく追いついてきた。



「あの妖魔……今、ようやく『上』から回答が来たッチュ! で、そのことなんチュけど……」


「なによ、ハッキリ言いなさい!」



 アワアワと狼狽えながらマキナの周囲を飛び回るルーチェを怒鳴りつける。



「ッチュ、あの妖魔……ここに来るまでに魔法少女を三人も戦闘不能オシャカにしてるらしいッチュ。……そこから算定された暫定ランクは『A++』ッチュ。ヤバいッチュ」


「え、A++……ですって!? 上級怪人レベルじゃないの!」



 仮に目の前の豚頭が上級怪人ならば、たった一体でも熟練の魔法少女が五人で戦って勝てるかどうか、という相手だ。


 当然、新人に毛が生えた程度のマキナでは相手にすらならない。


 そんなヤツが、こんな適当な場所をうろついているなんて……



「ありえない……」


「申し遅れたな、わっぱ。吾輩はハイオーク、『轟拳ごうけん』のオルダリ。新生魔王軍、魔王様直属『魔族連合』の末席を汚す者。貴様は吾輩の一撃を受けても立ち上がるだけの気骨があるようだ。ならば……いざ尋常に勝負」



 言って……豚頭の姿が消えた。


 次の瞬間、側頭部に衝撃。



「がっ!?」



 視界がもみくちゃになる。


 強烈な浮遊感。


 何が起きたのか分からないうちに全身が何かに衝突。激痛。



「ぐっ……がはっ」



 また、一瞬意識が飛んでいたらしい。


 カラカラと周囲で何かが崩れ落ちる音がして、自分が半壊した民家の内にいることに気づいた。


 状況から推察するに、側頭部に蹴りを叩きこまれたようだ。



 凄まじい膂力だ。


 民家があるのは、あいつのいた場所から数十メートルは離れているはずなのに。



「なっ……なんなの、あの豚頭……!」


「マキナ! 大丈夫ッチュ!?」



 半壊した民家からどうにか這い出したところで、ルーチェが飛んでこようとしているのが見えた。


 と、豚頭がゆらりと動く。


 その視線は、ルーチェに向いていた。



 まずい。


 マキナの胸に、強烈に嫌な予感がこみあげる。



「勝負の邪魔だ、使い魔」


「ルーチェ、危――」


「ヂュッ」



 ――パンッ。



 こちらに向かって飛んで来ようとしたルーチェの身体が『弾けた』。


 豚頭……『轟拳』のオルダリが彼に追いつき、裏拳で叩き潰したのだ。



「ルー……チェ?」



 彼の残骸が魔力の粒子となって虚空に溶け消えてゆくのを、マキナはただ茫然と見ていることしかできなかった。



 あまりの状況に、理解が追いつかない。


 そして、さらにマキナに最悪の事態が襲い掛かる。



「……寒っ!?」



 急に冬の夜の冷気が身に染みてきて、マキナは両手で自分の身体を抱きしめた。


 そこで自分が、風呂上がりに羽織ったパジャマに戻っていることに気づく。


 魔法少女衣装が、けている。



「……ひっ!? なん……でっ……!?」



 思わず喉が鳴った。



 ルーチェを始めとするマスコットは魔法生物の一種だ。


 そして本体は別の場所にあり、いまマキナと行動を共にしているのは『義体アバター』だということくらいは彼女も知っている。


 だが、その存在が消滅したことにより自分の力までもが消滅するなんて。



「そん、な……こんなの、聞いてない……っ!」



 ただでさえ勝ち目がないのに、力が完全に失われている。


 生身の身体では絶対に妖魔に抗うことなんて不可能だ。


 それはマキナが魔法少女になる『きっかけ』から、骨身にしみている。



「や……だ……」



 全身に、恐怖が満ちていくのを感じる。


 自分の結末を想像してしまえば、もはや立っていることは不可能だった。



 過去の惨劇が彼女の脳裏に鮮明に蘇ってゆく。


 両親を妖魔に食い殺され、そして自分も致命傷を負った、あの時の記憶が。



 マキナはその場にぺたんとへたりこんだ。


 下半身がほのかに温かくなるが、自分では止めることができなかった。



「ゴフッ……ブルルッ……」



 豚頭が、鼻を鳴らしながらゆっくりと近づいてくる。



「ひっ……!」



 恐ろしくてたまらない。


 だけど腰が抜けて立ち上がれない。



 今まで抱いていた、胸が震えるほどの勇気も妖魔に対する猛烈な怒りも、きっと魔法少女の力と一緒にどこかに行ってしまったのだ。


 マキナは妖魔から少しでも遠くに逃れようと、公園の冷たい地面を這いずってゆく。



「誰かっ、助けてッ……!」



 と、涙声で叫ぶ彼女の前に豚頭が立ちふさがった。


 これでは逃げることができない。



「ひいっ……こ、来ないでよぉっ!」


「……興覚めだ」



 泣き叫ぶマキナを見下しながら、豚頭がつまらなさそうに息を吐いた。



「もう少し気骨があるかと思ったのだが……貴様も所詮、魔法の鎧に身を守られて調子に乗っているだけの小童であったか」



 言って、豚頭は拳を振り上げた。



「放っておけば、その辺をうろつくゴブリン兵どもの慰み者にされたあと八つ裂きにされるだろう。だが……結果はどうあれ吾輩と拳を交えた者。尊厳を踏みにじられるその前に、せめて楽にしてやろう」


「あ……」



 マキナはその様子をただ見ていることしかできなかった。


 豚頭が大きく拳を掲げ、そして振り下ろし――しかしマキナの頭を砕くその直前で、その手が止まった。



「何奴ッ!?」



 豚頭が鋭い声を発する。


 なぜか自分ではなく、別のどこかを見ているようだ。



「隠形とは卑怯なッ! 貴様も武人の端くれなら堂々と名を名乗――けぴっ!?」



 豚頭は慌てたように横に向き直り――



 ――バシュッ。

 


 奇妙な断末魔とともに、その巨躯がまるで風船のように破裂した。


 あとに残されたのは、淡い光の粒子だけだ。



「――――、――――っ!」



 気付けば、誰かが自分を支えて何かを叫んでいるのが分かった。


 けれども彼女の精神も体力もすでに限界を迎えていた。



 それゆえ彼女はまるで水中から外を見るように、おぼろげにしか世界を捉えることができない。


 それすらも、徐々に淡く曖昧になってゆく。



 薄れゆく意識の中。


 ふわりと暖かい布を身体に掛けられ、誰かに抱きかかえられる感触があった。



(お父さん――)



 マキナは不思議な安堵感に包まれながら、その意識を手放した。

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