こちら魂裁定部

ヘルハウンド

こちら魂裁定部

 まず俺がどういう状態かを言うと、既に俺は死んでいる。

 死んでどれくらい経ったかといえば二週間、といったところだ。

 要するに死んでまだペーペーである。


 若くして死んだ俺だったが、非常にアホみたいな死に方をした。

 トイレに行くのに必死になって会社を駆けていたら、うっかり転んで頭打って打ちどころが悪くて死んだのだ。

 そんな死に様だったと聞かされたときはもう呆れて言葉もなかった。その時にできてしまった頭の傷も、あの世に来たらはっきりと残っているのだから呆れるよりほかない。頭に触れると傷が少し染みるのだ。


 そんな俺は今オフィスで働いている。

 全員がパソコンを打ったり窓口で応じていたり、一見するとそれは人間界での職場と変わりない。

 ただ一点。働いている奴の頭上に天使の輪っかが全員あることを除けば、である。


 ここが俺の今の職場だ。あの世に行ったら休める。そんなことは一切なく、結局あの世でも働いている。

 若くして死んだから仕事しろ。それがあの世に来て言われた言葉だった。

 で、有無を言わせず強制的に入らされたのが、今いる部署である。


 しかし、この部署は気が重くなる。

たましい裁定部さいていぶ』。死んだ人間の魂をどうするのか、ということを決める部署である。

 死んだ人間の魂を輪廻転生させて記憶を完全に消した上でもう一度人間界に戻すか、このままここへ留め置くか、それとも地獄へ行くか。

 今まで生きてきた行いによって、その魂がどうなるかは判定される。

 要するにここは魂の裁判所なのだ。


 その中の一つの課に所属しているが、今自分がいるのは地球担当の課である。


「はぁ……」


 目の前にあるパソコンのデータを打ってまずは今日来る予定の魂の一覧を確認すると、ため息が漏れてきた。

 なにせここはあの世だ。あの世にやってくる死んだ魂の量は膨大である。

 ズラッとモニター上に表示されている表を見るだけでも、実に数兆件だ。


 何しろ、ここの相手は自分がいた地球だけではない。外宇宙、こことは違った歴史をたどった並行世界、はては異世界に至るまで、死んだ人間という人間を尽く裁定する。それがこの部署だ。

 それをそれぞれの課ごとで分担作業とはいえ、朝からやるのだ。これが辟易としないで何なのだと、思うよりほかない。


 もっとも、それを処理するために自分と同じように働いているのが全員含めて何百万人といるのだが。当然その全員の顔を覚えているはずもない。

 そんなことだから未だに親しい者ができずにいる。


 そう思っていると、ぽんと、肩を叩かれた。


「どうだい、新人くん? ここは慣れたかい?」


 同時に後ろから聞こえてくるのは、よく知った声だ。

 スーツを着ている優男だ。輪っかがあるのは俺達と変わらないが、その男には背中から羽が生えている。


「あ、ザナドゥ課長」


 そう言って俺は立ち上がった。

 周囲の職員も一斉にたちあがったが、ザナドゥが


「まぁまぁ、みんな座って仕事仕事」


と、手をたたきながら言って、それで周囲は座った。

 しかし、周囲の顔は一様に緊張している。


 このザナドゥというこの優男が、この魂裁定部地球課のトップだ。あの世に来て最初に出会った人物でもある。


「まぁまぁ、といったところですが、仕事多いなとは思いますよ」

「まぁね。ただ、その割には定時で帰れるだろ? 君が生前に望んでいたことだ」


 そう言われるとなんとも言えない気分になる。

 実際、自分の仕事は定時で終わる。


 正直、生前に働いていた職場は、いわゆるブラック企業だった。定時でタイムカードを切った後、その後終電以降もずっと仕事。二徹、三徹は当たり前。しかも残業代も付いたことがない。

 死んだ時がやめる時なんて陰口を叩いていたものだ。

 それに比べればここは遥かにマシ、と言えた。


「しかし、君も見る限りではなかなかに親しい者を見つけられずにいるんじゃないかい?」


 笑顔のまま、鋭くザナドゥは言った。

 想像以上によく見ている。この地球課だって務めている人数は膨大だ。見渡すと本当に先は何処なのかと思ってしまうほどにそのエリアは巨大である。


「まぁ、その、人付き合い苦手で……」


 実際俺が昔からこれで悩まされた、というのは事実だ。

 親しい相談できる者もおらず、ブラック企業で働かされて結局そこをやめるという相談もできず、気付けばそこで死んでいたのだから情けないことこの上ない。


「でだ、そんな君だからこそ、考えてほしい案件を一個持ってきた」


 そう言って、ザナドゥは笑顔で書類を見せた。

 今日来る死者のリストからの一枚だ。


 目を通す。

 履歴書のような記載形式で書かれたその書類には、これまでの経歴や行い、そして死因が克明に刻まれている。


 それを見て、ハッとした。

 死因、自殺。それもうつ病で。

 要因の欄を見てみると、ブラック企業で働かされたことによってうつ病を発症し、その末に自殺してあの世に来た、ということになっている。


「なるほど、結構重いですね」

「ああ。最近この手は多くてね。君がどう裁定するか、それを考えてもらいたいんだ。命の正解、って奴をね」


 少し、ザナドゥの目がきつくなった。

 試されている。そう実感するには十分だった。


「分かりました。少し、考えてみます」

「じゃ、頼むよ」


 それだけ言って、ザナドゥは去っていった。

 その瞬間、周囲から一斉にこちらに目が向いた。

 何か、見る目が変わった。そんな気がしたのだ。

 何なのかは、よくわからない。


 どちらにせよ、仕事に取り掛かろう。

 そう思って、その人間のファイルを改めて見てみる。


 何がそのうつ病を発症するに値する要因だったのか。まずはそれを見ることにした。

 幸いにしてここにはその手の履歴まで全部書いてある。

 映像がないのは、恐らく精神的なショックをこちらが受けてしまわないようにするためだろう。そのため大量に羅列されている文字データのみが、その人物を裁定するポイントになる。


 しかし、その文字列は膨大だ。それまでの人生経験全部が詰まっている。

 それもみっちりと文字で記されているのだ。

 なかなかに俺は大変な案件をもらってしまったのではないかと、今更に感じてしまった。


「よぅ、新人。苦労してるかい?」


 また、違う声だった。

 振り向くと、そこには筋骨隆々とした男が立っている。よく見ると、首に傷があった。

 歳は中年といったところだろう。自分より人生経験は豊富そうだった。


「あなたは?」

「ああ、俺はガル。ここに来て、もう十年になるかな」

「そうですか。でも、俺仕事忙しいんで」

「そうは言うがな、もう昼メシだ。一度気分落ち着けろ」


 そう言ってガルは、自分の頬に冷えたコーラを当てた。

 思わず、声を出してしまった。


「な、何するんですか!」

「はは。ようやく感情出したな。お前、さっきから今にも死にそうな表情をしながらやってたからな」

「え……?」


 思わず、俺は呆然としてしまっていた。

 何故この人は、自分のことを知っているのだろう。

 それが不思議でしょうがない。


「お前さんの知らないところで、誰もがお前さんを見てたのさ。無関心、孤独、それは人の心を蝕む。お前さんはそういう状態になってるぞ。それを考えた上で、今回の案件実施するこったな。相談にはいつだって乗るぜ?」


 それだけ言って、ガルは自席へと去っていった。

 孤独。俺は気づかないうちに、自分をそういう孤独な空間へ押しやっていた。


 それで、ハッとした。

 もう一度、案件のファイルを見る。

 やはりそうだった。今回の案件について調べると、自殺した要因の一つが見えてきた。


 孤独だ。この人物も一人で誰にも相談できていなかったのだ。

 結果精神をすりつぶした。


 まるでこいつは俺だ。俺と死に方こそ違えど、その精神の摩耗の仕方、孤独癖、それはまさしく俺そのものだと、そう感じるには十分すぎた。

 ただあの世に留め置くには孤独のままである可能性が高いし、輪廻転生したとしてもその先でまた孤独になる可能性がある。

 あくまで輪廻転生は別の存在に生まれ変わるとはいえ、ある程度前世の気質を引き継いでしまう。

 つまり、そのまま孤独であり続ける可能性が目に見えて高かった。


 地獄行きはどうかと言われると、この人物には何一つ落ち度はない。その選択肢は最初からないのだ。

 つまり、選択肢は唯一つ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「で、ここで働かせてみる、が君の答えかい?」


 ザナドゥは俺が出した報告書を見て言った。

 ザナドゥの執務室で二人きりだ。

 執務室はフロアの中にあるが、くもりガラスで仕切られている。外からは何をやっているかは見えないだろう。


「そう考える理由を聞こうか。その気になれば魂打ち砕けるのに」


 ザナドゥが笑顔のまま言う。目には、かすかに殺気が漂っていた。

 実際その通りだ。


 ここに来た魂の中でも、もう魂自体が寿命を迎えてしまっているパターンもある。何億回も輪廻転生したパターンだ。そのパターンの場合はもう完全に魂が消耗しきってしまっており、その魂は本人の同意があれば打ち砕く。

 それを行うのがこの部署のトップである閻魔大王だ。

 だが、俺はあえてそれをしたくなかった。


「実は、ここにいる皆さんの身体を少し調べてみました」

「身体?」

「ええ。身体的な特徴。どの人物にも共通しているのは、何か身体に傷が残っていることと、全員成人しているのに老年層がいないこと。おかしいじゃないですか。世の中の基準に照らし合わせれば老人層が一番その構成要員としては多くなるのに、誰一人それがいない。そして何より一見すると皆健康そうに見えること。多分なんですけど、この課に所属している人間で、寿命で死んだ人間はいない。みんな自殺か事故による死者で構成されている。それで考えたんです。ここは、死んだ魂を考えることで自分自身を見つめ直し、そして魂を癒す休憩所なんじゃないか、とね」


 ザナドゥが、また違った笑みを見せた。

 目に、殺気はない。


「休憩所か。面白い言い方をするね。仕事をするのに」

「そう、逆に仕事が良かったんです。俺もガルさんがいてくれなかったらヒントが得られなかったし、未だに悩んでいたでしょう。もしかしたら違う答えを出した可能性だってあった。だけど、それで気付いた。人は孤独では生きられないし、仕事もできない。それは輪廻転生しようが、何しようが一緒。誰かがいないと何処かで擦り潰れる。それを気付かせてくれる場所として、たまたま職場風にしている、そうじゃないんですか?」


 ザナドゥが、デスクの上に報告書を置いた。

 そして、一つだけ頷いた。


「うん。良い判断だ。それ、採用させてもらうよ」


 そう言って、ザナドゥは自らのサインを報告書にした。


「というわけだよ、ガル。君の持ってきた人材は、想像以上に人を見ること出来るよ」


 そうザナドゥが言った途端、突然スッと、執務室の壁にガルが現れた。

 俺は思わず腰を抜かした。


「いやー、ここまで良い判断下すとは思わなかったぜ、新人……って、何腰抜かしてんだ?」

「だ、だって、い、今までここにどうやって?!」

「どうやってってお前、俺達がなんだか忘れたのか?」


 ガルが自分の前にかがむと同時に、頭の頂点にある輪っかを差した。


「俺達もう死んでるんだぞ? 幽霊だぞ、幽霊。そりゃ突然現れるくらい出来るだろーが」


 そうだった。もう自分も含めてここは幽霊しかいないんだったと、今更に思い出す。

 それを思い出しながら、ガルに手を引かれてゆっくり立ち上がった。


「しかし、ガルさんが俺をここに連れてきたんですか?」

「ああ。課長には無理言ったが、お前さんの魂は相当に摩耗してたからな。気付かねぇうちになってたのさ。それに何より、昔の俺に重なった」

「ガルさんに?」

「ああ。俺は戦場で孤独になって自殺したんだ。その後死んでるのに余計死にそうだからって課長に引っ張られてここにいるのさ」

「そうだったんですか……」


 思えば、俺は初めて人に興味を持ったかもしれない。


「随分昔のようだね。まだ十年だよ、十年」

「人生ってのは長いもんでさぁ、課長。人間にとっちゃ、意外に十年は長いんですよ」


 呵々と、ガルが笑った。


「そうだね。ま、ここにいるうちは癒やされるといいさ。でも、私は死んでいる今よりも、生きて人間界で生を全うすることの方が、よほど美しいと思うよ」


 ザナドゥが、静かに言った。


 色んな理由で、人は死ぬ。

 自分の生をここで見つめ直せれば、それでいいのだろう。

 されど、そうなれるということは、結局の所死んで初めて分かったことでしかない。

 あの世への切符は片道切符でしかないのだ。

 生きている限り、死後どうなるかなんて分かるはずがない。


 そして、ここはあくまで次のステップに魂が進むための安息所に過ぎないのである。

 いずれ俺も、ここを卒業するのだろう。

 その時、自分はどうなっているのだろうか。

 なぜか、そんな楽しみが浮かんできた。


「さて、それじゃ二人共仕事に戻って。続き、まだ業務色々と待ってるよ」


 言われて思い出す。まだ何件も仕事が残っていたのだ。

 残業せずに帰るようにしよう。そう俺は思った。


(了)

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