不朽の紙

山本鷹輪

本編

筆者は窓を開け、ほどよく流れる風を体で受け止めながら秋の涼しさを満喫する。スリランカ旅行で買ってきた正真正銘のセイロンティーをすすり、ピアノとギターの素晴らしい折り合いに聞きほれていたら、どこからか懐かしい声がした。


「おおい!お前元気にしてるか?」


 高校の頃の同級生だ。僕の自宅に訪ねてきた旧友をむかえに行ってやったら、今まで勤務していた新聞社をやめて風の旅人になったと、よく分からないことを言っている。風の旅人は重々しい茶色のコートに身を包んでおり、ゆっくりと靡くコートの裾からは風の爽快さは見て取れない。


「俺が新聞社にいた頃は大スクープを撮りまくってエースと言われたもんだ。特にしびれたのは当時の総理の秘書が汚職していたというやつだな。俺はヒーロー気取りで調子に乗ってた」

このように話し続けていたが、風の旅人は玄関先に積んでいた没にした原稿用紙の束が目に入ったらしい。すると風の旅人が新聞社時代の自慢話をやめ、こちらを見つめて問うた。


「おまえ、まだ小説書いてるのか?」


「ああ、細々とだけどね。売れない作家はひもじくて困るよ」

筆者は顔を引きつらせながら答えた。風の旅人はそんなことお構いなしに話を進める。


「これは俺が新聞社に勤めていた頃に聞いた話なんだが、この世界には絶対に朽ちることのない紙というのがあるらしいんだ。不思議だろう?普通のパルプ紙は百年も持たないし、和紙だっていずれ朽ちて塵に紛れることになる。和紙は虫に食われる恐れだってあるのだから、なにかしらが欠損せずに見つかることなんて稀だ。だが、件の紙は虫に食われることも風化することもないんだ。いや、お前が言いたいことも分かる。ありえないことは俺も分かるんだが、そんな紙があれば素敵じゃないか」


お互い突っ立ったまま、身振り手振りを使ったバリエーション豊かな説明をする風の旅人に苛立ちを覚え、

「いったい何を書くというんだい。僕は魅力を感じないな。今の時代データで残せるのだからそれで十分だろう?」

という風に筆者は魅力的かつ神秘的なものをわざと否定して見せた。


「なぜこのロマンが君ほどのロマンチストが分からないのかい。君だってはじめはわざわざ原稿用紙を買ってHBの鉛筆で文を書いていただろう。私はとても興味があるぞ」


「人間は変わるんだ」


「全く君は頑固なやつだな。素直に興味があると言えばいいじゃないか。人間は変わると言いながら君の顔からは絶望感を感じない。むしろ自分なら何を書くだろうと想像を膨らませているのだろう?口角が少し上がっているぞ」


「うるさい。お前はいつも痛いところをつくし、生意気なんだよ」

風の旅人は思い切りの良く、少し上を向いて大きな声を上げながら笑った。


「お前は運がいいぞ。なんてったって俺は風の旅人なんだからな。風の吹くところならばどこへでも俺は現れる。ちょっと世界中回って探してきてやるよ。お前は何を書くか考えていればいい」


すると家がきしむほどの大きな風が吹いた。


「おおお!!」

筆者はあまりの大きな風の音で一瞬目を閉じた。風が去り家は大丈夫かと念の為に素早く目を開ける。

「あれ…あいつ帰ったのか?」

風の旅人は去った後だった。

「風の旅人は風に乗ることができるのだな」

その後筆者は万が一、不朽の紙があった場合のために何を書くか思案した。


辞世の句を先取りしてしまおうか、世界への感謝、または恨み。自分の力作を残しても良い。数千年後に発見されて研究対象になり国営博物館に飾れれてみれば、それはそれで小説家としての成功なのかもしれない。もしかすると文でなくともよいかもしれない。奥さんの顔など書いてもみようかと思い立ったが、いやいや、自分は画家ではない…とすぐにひっこめた。


こんな風に筆者は毎日、飽きもせず狸の皮算用を楽しんだ。普段の文でもいつも以上に一つ一つ大切にするようになった。そんな日々は続き、ついに彩はじめた秋の木々たちが風にあおられ、禿げ始める。


冬だ。あれだけ木にくっついていた葉たちが地面を転がっているさまを見て僕は窓を閉め、ストーブを焚いた。

「ごはんできたぞー」

いつものように奥さんを呼ぶ。つい数か月前よりお味噌汁の湯気は色濃い。三重のお味噌汁は合わせみそである。白みそと赤みそをブレンドしたもので、あえて悪口を言うならばどっちつかずという感じだろうか。筆者は幼い頃、赤みその方が好きだったのだが、合わせみそのまろやかな口当たりが最近は気に入っている。季節が移り変わっても筆者は紙に書く物語を考えていた。

「そういえば、あいつ今どこにいるんだろう」

ビュンビュンと空気を切るように吹く風をよそに箸をすすめる。外は寒そうだ。

「こりゃあ、外に出たくもねぇなぁ」

ズズと音を鳴らしながらお味噌汁を胃ぶくろに注ぐ。その後、しばらくすると風は去っていった。


 将軍ともいわれた窓を閉じきる季節もそろそろ終わりを迎えようとしていた。朗らかな日差しが筆者の顔を照らしていた。

「ほのかに温かい。なんと気持ちいい季節であろうか」

窓を開け、ほどよく流れる風を体で受け止めながら春のぬくもりを満喫する。鳥のさえずりを聞き、奥さんと談笑する。奥さんが筆者のつぶやきに

「そうだねぇ、ウッドデッキでギターでも鳴らそうか」

と答えた。

「おお、ぜひお願いするよ」

奥さんがリビングにギターを取りに筆者のそばを離れたその時、春一番が吹いた。春に相応しくないあまりに強い風だった。

乾燥を避けるためか自然に目を狭めた。朗らかな日光が一瞬何かで遮られる。そのなにかはひらりひらりと自由落下する。筆者はそれを手に取った。

「紙…か…?」

傍にメモ書きも落ちていた。


「ご所望の品だ。窓は定期的に開けておけ。 風の旅人」


ということはこの紙は件の不朽の紙であろうか。ポストに入れればいいのにわざわざ風で運んでくるあたりが風の旅人たる所以なのだろう。

「さて今まで考え続けていた渾身の文を書こうではないか」

初心に戻りHBの鉛筆を持ち、紙と向き合う。筆者は最初に自分の名前を記そうとする。だが、どれだけ書いても紙は白いままだった。筆者は丁寧に「山」の字を書いたつもりだったので少し混乱している。

「あれ…かけないぞ……」

筆者は試しに鉛筆以外の筆記用具でも書いてみた。油性ペン、ボールペン、墨、水絵具、油絵具。どれも紙に点すらつけることができない。

「万年筆ならどうだろう」

名に万年とついているから書けるかと思ったのだが、やはり書くことは出来なかった。

「やはり何もかかないからこそ永遠の存在たるのかもしれないな」

筆者は真っ白なままの紙を額縁に入れ、自分の書斎にかざることにした。

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不朽の紙 山本鷹輪 @yamamoto_takawa

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