第14話  弟は名君

 岩田源兵衛の道場に住み込んでいた三治と平九郎は領内をくまなく歩き、藩政に対する評判を聞いて回った。

 典定の代になり、実直な下級武士は領民たちとの良好な関係を築き上げることができ、日々の役目に生き甲斐を感じていた。

 日頃から「領民の身になって考えてみよ」という典定の命が浸透している証でもあった。

 そして無駄な出費を抑えることで、飢饉ききんに備える藩の備蓄米も増えている。

 質素倹約に勤める典定の姿勢は、私欲にりつかれた剣持派の藩士には不評であったが、多くの家臣・領民から名君とうたわれていた。


 三治がある決心をした時、江戸より祥法院の使者が到着した。

 三治の手に届いたのは、謀反の証拠となる書状・千代松の小太刀そして祥法院の添え書きであった。

 平九郎はそれらを三治に手渡し、その場に控えた。

 三治は母の書状を読み終え、うっすらと涙を浮かべ静かに言った。

「平九郎、小平太が生きていた。生きて紗季殿と共に母上に会ったそうだ」

 と書状を見せた。

「なんと、せがれが……小平太が……」

 平九郎はまぶたをきつく閉じ、膝に置いた手ではかまを握り締めた。

「謀反の首謀者は泉寿院様、剣持玄馬、香取弥七郎だ。泉寿院様はすでに自害したため、謀反は剣持と香取が企てたことにしたいと母上は仰っておる」

 三治には祥法院の考えていることが理解できた。

 自らの痛みや恨みそして失ったものの大きさ、やるせなさを感じながらも耐えて藩の安寧を願った結果であった。

「祥法院様が泉寿院様を説得されたのでしょう。出家されてもなおご苦労されておられます。祥法院様こそ名君でございます」

 平九郎はその祥法院に側用人として長年勤められたことが誇らしかった。

「平九郎、わたしは明日母上の使者として城へ参る。」

 三治もまた母に習って典定と対面することにした。


 城内へ入るには岩田源兵衛の助けが必要だった。

 源兵衛は今や時の人で、宍倉梅膳を倒した剣の達人と噂されるほどに勇名ゆうめいせていた。

 三治は源兵衛と共に城中に上がり、祥法院の使者として典定との面会を願った。

 暫し待たされてから通された広間には、檀上に典定と小姓、下座の横には国家老である剣持玄馬とその他の重臣が座していた。

 三治は丁寧に頭を下げてから、

「祥法院様から殿お一人に伝えよとの命にございます。まずは人払いをお願い申し上げます」

 顔を上げずに言った。すると玄馬が怒って、

「無礼者、われらに出て行けとは何様のつもりだ」

 と一喝した。三治は動ずることなく顔を上げると、

「千代松である。久しいのう、郁松」

 明るい笑みを浮かべて言った。すると典定がその顔を凝視して、

「兄上、そうだ兄上だ」

 満面の笑みで答えた。

 郁松は一歳上の兄の後を追い回し、共に遊んだ幼少の日々を懐かしんだ。

「そのようなことはあり得ませぬ。千代松君は姫川に落ちて流され、亡くなったのです。幼い頃の面影など当てにはなりませぬ。殿、惑わされてはなりませぬぞ」

 玄馬は驚きながらも否定した。

 三治は帯から小太刀をさやごと抜き取って膝前ひざまえに置いた。鞘には篠田家の家紋が描かれている。

「この小太刀はわたしが川に落ちた時に差していた物で、わたしが千代松である証拠だ。わたしは行商人に助けられ、記憶を失くしたまま山の湯治場に預けられて釜焚きをしておった」

 三治の説明に皆唖然あぜんとした顔をしている。玄馬だけが思考を巡らせていた。

(湯治場の釜焚きというと、紗季が知っている三治か。三治は天野を斬った奴だが剣術は何処で……、岩田源兵衛か。わしのことは何処まで知っているのだ)

 玄馬は背に冷たい汗が流れるのを感じた。

「剣持殿は顔色がよくない、気分が優れぬようだからそろそろ退室願おうか」

 三治の催促に皆が広間を出て行く。最後に立ち上がった玄馬に、

「わたしと同様、野尻小平太も生きておるぞ」

 三治の一言に玄馬は弾かれたように背筋を伸ばした。


 二人だけになると典定は下座に下りて来て丁寧に頭を下げた。

「泉寿院様のこと、残念であった。お悔やみ申し上げる」

「かたじけのうございます。参勤で江戸に参る際、法要を行なうつもりです」

 泉寿院の死は早馬にてすでに知らされていた。

「兄上は本陣から拉致されて、取り戻す際に谷から落ちて亡くなったと聴かされておりました。実のところ何があったのですか」

「あれは謀反であった。わたしは本陣で毒殺されそうになり、それを防いだ野尻小平太と菊枝がわたしを連れて逃げたのだ。しかし街道で追手に襲撃され、菊枝はわたしを抱えて谷川に飛び降りた。菊枝は死に、わたしは薬の行商人に、そして小平太は死にかけていたところを通りすがりの商人に助けられたのだ」 

 典定は初めて聴く真実に驚愕した。

「そればかりでない。我らの父上も毒殺されたのだ」

 三治が続けて言うと、典定はさらに驚き、

「して首謀者は?ご存知なのですか」

 目を瞠って尋ねた。三治は一呼吸おいて、

「剣持玄馬と香取弥七郎だ。わたしが毒殺されそうになった時、小平太が斬った剣持の用人が所持していた指示書を手に入れた。あいにく川に流されてしまったが、それは剣持からの書状で香取が殿の殺害にも用いた毒薬であると記されていた。今ではわたしと小平太が生き証人である」

 と、異議を受けつけない強い意志を見せた。

 三治は祥法院から送られた証拠の書状はあえて持参しなかった。それには泉寿院の名が記されていたからだった。

「身近にそのような不忠者がいたにもかかわらず気が付かぬとは恥じ入るばかりです。早速剣持と配下の者を捕えます。江戸にも上意書を送りましょう」

 典定は力強く応じた。

「野尻平九郎は切腹拒否の汚名を着せられながらも、わたしを捜して八年も彷徨さまよったのだ。誤って咎を受けた者たちの名誉を回復し、家禄かろく・財産も戻してやって欲しい」

 三治の切なる願いを典定は瞼を閉じて聴くと、大きく頷いた。

「兄上、剣持たちは何故兄上までも亡き者にしてわたくしを藩主にしたのでしょう。もしや我が母も加担していたということはありませぬか」

 突然典定が言い出した。三治は慌てた。

「泉寿院様が……、何故そう思うのだ」

「時を同じくして母が自害したからでございます。母はわたくしを守るために自ら命を絶たれたのではないでしょうか」

 典定は三治の顔をうかがい見た。三治は疑われぬようにその目を見つめた。

「泉寿院様は気鬱の病を気にしてのことと聞いておる。剣持がそなたを選んだのは権力を得るのに頑固な母を持つわたしより、泉寿院様の方がぎょし易いと思ったのであろう。だが実際はそなたが堅物かたぶつで当てが外れたであろうがな」

 何とか誤魔化したが、三治は典定の思慮深さに驚かされた。

 これ以上の追及を逃れるため三治は話題を変えた。

「わたしは此度のことはすべて天のさだめと思うておる。そなたから見れば山の湯治場での釜焚き暮らしは辛い日々に映るかもしれぬが、大切な人との出会いがあり良きことも多かった」

 三治の胸には紗季への思いが詰まっていた。夏の草原で撫子の花を髪に差して微笑む紗季の白い顔が浮かんでは消えた。

「わたくしは藩主の座を兄上にお返ししなくてはなりませぬ」

 典定は神妙な顔つきで言った。三治はわざと意地悪いじわるな眼差しで問うた。

「その座は苦労してきたわたしが楽に過ごせる場所なのか?いや、そうではあるまい。わたしはな、そなたが己を捨て家臣・領民のために心血を注いできたのを知っておる。そなたもまた、天のさだめによって藩主という重責を負ったのだ。わたしはその座を奪われたなどと思ってはおらぬ、むしろ感謝しておるのだ」

 兄の思わぬ言葉に典定は胸を熱くした。

「されどこのままという訳には……、共に藩政を行ないませぬか」

 典定は引き下がらなかった。

「さすれば今後の計画を言うてみよ」

 三治が水を向けると、

「はい、まずは白駒山からの雪解け水を受ける貯水池を造り干ばつに備えます。その上で白駒村の新田開発を行い、わさび田も増やして特産品として各地に販売します。それから街道に続く道の整備と……」

「もうよい!山育ちのわたしに政務は無理だ、そなたに任せる。そなたにしても辛いことばかりではあるまい、こうして生き甲斐もあるではないか」

 典定は微笑んで何度も頷いた。

「頼みを聞いてくれるなら、一つだけ欲しいものがある」

 三治が悪戯いたずらっぽい笑顔で言うと、

「できることなら何なりと」

 典定は三治の願いを聴くと大きな声で笑った。

「兄上!それほどまでに、まことに天職とお思いで」

 三治も照れて笑った。

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