第11話  母との対面

堀内道場で修業を始めてから十月とつきしか経っていなかったが、三治の成長には目覚ましいものがあった。

 長年にわたり無心にまさかりを振り下ろしてきた三治には、自ずと直心影流じきしんかげりゅう『一刀両断』の呼吸・速さ・筋力が備わっていた。

 また天野を倒したことで得た恐怖を克服した捨て身の戦法は、相打あいうちを想定する基本の形となる『法定ほうじょう』の極意ごくいでもあったのだ。


 その日も三治は早朝より道場の掃除をし、木刀の素振りをしていた。

 そこに一人の武士が入って来た。その顔を見て三治は驚いた。

「先生!」

 現れたのは岩田源兵衛であった。

 源兵衛は咄嗟に「若君!」と出そうになる言葉を慌てて呑み込んだ。

「三治ではないか、どうして此処におるのだ。それより言葉が話せるではないか」

「あの戦い以来言葉が出るようになりました。偶然この道場を見つけて今は堀部先生の教えを受けております。先生は此処を知っているのですか」

 道場の反対側にいる安兵衛と目が合った。源兵衛は安兵衛の方を見ながら、

「ああ此処はな、わしが修業した道場なんだよ。安兵衛は後輩だがわしより腕が立つ、なにしろ堀内道場四天王の一人だからな。されどよく入門が許されたものだ」

 源兵衛が感心すると、

「わたしが喜助じいの仇を討った話をすると堀部先生は羨ましいと言って好意を持ってくださいました」

 三治は入門を許された訳を説明した。

「安兵衛も藩主を失い、お家が断絶となってさぞや悔しい思いでいるのだろう。三治に共感するものがあって入門を許したということか」

 源兵衛が話していると当の安兵衛が近づいて来た。

 源兵衛は安兵衛から三治の成長ぶりを聴くと喜んで帰って行った。


 その夜、湯屋が閉まると源兵衛は平九郎と共に訪ねてきた。

「若君、捜しましたぞ。よくぞご無事で。立派に成長なされて祝着至極しゅうちゃくしごくに存じます」

 平九郎は三治に残る幼い千代松の面影を見ながら涙ぐんだ。

「平九郎、会いたかったぞ。心配を掛けてすまなかったな」

 平九郎は首を横に振った。源兵衛はかしこまって両手をついた。

「先ほどは人目があったゆえぞんざいな物言いをいたしました。ご無礼の段、お許しくださいませ」

 源兵衛が詫びると、

「先生、わかっていますよ」

 三治が笑顔で言った。

「先生などと……」

 源兵衛は更に固くなった。

「若君、平九郎はご子息が若君を拉致したとして切腹の沙汰を受けました。されど祥法院様は小平太殿を信じ、平九郎に若君を捜す命を出されたのです」

 源兵衛は涙で言葉にならない平九郎の代わりに説明した。

「平九郎はこの九年一日も休まず若君を捜し歩き、美濃助殿を見つけ出すと湯治場へも行きました。祥法院様へも毎月ご報告をしております」

 源兵衛が続けて伝えると三治も目を潤ませた。

「苦労をかけたな平九郎。皆のおかげでこのように元気だ、記憶も戻ったしな。母上とはどのようにして連絡を取っておるのだ」

 三治は祥法院に会って記憶が戻ったことや言葉を発することもできるようになったと伝えたかった。

 平九郎は涙を拭って顔を上げた。

「母君は謀反が起きたことをすでにご存知でございます。敵味方の区別がつかぬ今は御先代の菩提寺、善勝寺をお訪ねするのです。月命日には必ず参拝されますので滋慶和尚の仲立ちでお会いしております」

「ならば次はわたしも行こう」

 三治は次の月命日に祥法院と対面することにした。

「ところで先生、先ほど堀部先生の藩が断絶したと聞きましたが、武家の長たる幕府とは藩やその家臣の安寧あんねい及び存続を願うものではないのですか」

 問いながら三治は仁左衛門の使いの折に書き写した書状を見せた。

 源兵衛は書状を読んで驚いた。

「若君、この書状は……何処で手に入れたものですか」

 源兵衛の問いに三治は仁左衛門の使いをし、書状を書き写したことを話した。

 平九郎も神妙な顔つきで聴き終わると源兵衛と目を合わせて互いにうなずいた。

「若君が学問を収められたことは存じております。されどこの書状に見えてくるのは学問書にはないまつりごとの裏で働く者たちでございます」

 平九郎はそう前置きしてからわかりやすく説明を始めた。

「この国の大名家は譜代ふだい外様とざまに分かれます。関ヶ原の合戦以前より徳川方に味方していた譜代大名とそれ以降に従った外様大名です。将軍家は五代目になりますが未だに外様大名を信用してはおりませぬ。落ち度があれば取り潰して領地を譜代大名にげ替えたいと考えております。我が藩は外様であるゆえそのような口実を与えてはならぬのです」

 源兵衛も平九郎の後を繋げ、

「此度若君が使いをされていた仁左衛門や宍倉梅膳、そして町人たちの正体は暗躍あんやくする公儀の隠密であると思われます」

 と補足した。

「そうか、わたしはとんでもない者たちの手助けをしていたのだな」

 三治が恥じて言うと、

「それは違います。若君は隠密の正体を暴いたのでございます」

 平九郎がたたえた。源兵衛も頷き、

「そうですとも若君、我らは謀反人を捕えるより先にこの隠密どもを葬らねばなりませぬ」

 と眉を吊り上げ目を輝かせた。

 源兵衛にとっては、隠密を斬ったと偽って藩に取り入り自分の職を奪った宍倉への私怨しえんあいまっていた。

 そこで平九郎は仁左衛門が急に湯治場を閉めた訳を理解した。

「仁左衛門は若君を無学な釜焚きとあなどって使いに出していた。ところが仲間の天野兵衛が討たれたり屋根裏部屋の書物の山を見て、若君の正体がわからず不気味だったのであろう」

 平九郎はその慌てぶりを想像してほくそ笑んだ。

「さっそく宍倉屋敷を見張るよう手配いたします」

 源兵衛はそう言うと立ち上がった。


 平九郎と源兵衛は共に暮らす長屋へ戻った。

「千代松君にも会えたことだし、明日わしは江戸を発つ。隠密どもを何とかしなくてはな」

「すまぬな源兵衛、国元の方はおぬしに任せたぞ」

 平九郎は江戸にも仁左衛門の配下が潜んでいると思っていた。

 三治が写した書状では隠密たちは謀反の事実を掴んでいるようだ。捕らえて締め上げればその首謀者がわかるかもしれなかった。

「祥法院様にもお力を借りねば。ご対面の後でな……」

 二人は夜が白むまで酒を酌み交わした。前途への意気込みは酔うほどに増して睡眠の邪魔をしたのであった。



 元禄十五年十月二十日、三治は平九郎と共に紅葉に彩られた善勝寺の山門をくぐった。

「此処に母上が参られておるのか」

「さようでございます。滋慶和尚からお聴きになって心待ちにしておられることでしょう」

 穏やかなな顔つきで平九郎は答えた。

 さやさやと風にそよぐ竹林の音を聴きながら二人は本堂を通り過ぎて書院に入った。

 座敷では祥法院が目を閉じて座し、自ら心を鎮めていた。

「祥法院様、千代松君にございます」

 平九郎が声をかけると祥法院はゆっくりとまぶたを開いた。

 夢を見るような目が現実の姿を受け止め、やがて溢れた涙でいっぱいになった。

「千代松、本当に千代松なのですね」

 懐かしい母の顔、母の声であった。

「母上、お会いしとうございました」

 三治もにじり寄る母の手を取って涙した。

「たくましく成長しましたね。もっとよく顔を見せておくれ」

 祥法院は長い月日を埋めるように三治の顔を覗き込んだ。

 三治としても記憶が戻って一年しか経たないうちに、いつの間にか歳を重ねた母の顔が痛々しく心に突き刺さった。

「これはわたしが千代松であるという証にございます」

 三治は刺客に襲われた時に着ていた道中着と小太刀を差し出した。

 祥法院はそれを手に取り胸に抱えて力を込めると、

「この道中着を着せた日が昨日のことのように浮かんできます。されど証拠などなくとも母なれば我が子を見間違えることなどありませぬ」

 と涙を浮かべながら微笑んだ。

「心配をおかけして申し訳ありませぬ。記憶が戻ってからは母上にお会いしたい一心でした」

「わたくしも平九郎から、記憶がなく読み書きもできず言葉も発せないと聴かされ案じていたのです」

 それまで黙っていた平九郎が口を開き、

「若君はそれらの試練を一つ一つご自身で乗り越えられたのです」

 そう言ってから三治の身に起きたことを説明していった。

 話が果し合いの段になると祥法院は手で口を覆った。

数多あまたのことを学びましたね。学問を授けてくれたのはどこぞの娘か知っていますか」

「紗季殿といってわたくしもお会いしましたが、気立ての良い美しい娘御でございます。あれだけの書物を揃えられるのですから武家といっても家禄かろくの高い家柄かと」

 平九郎も紗季を気に入っていた。

「あなたは紗季というその娘を好いているのですか」

 単刀直入な母の言葉に三治は頬を染めたが、

「記憶を失っていた時は身分からしても届かぬ人と思っておりました。されど己が何者かわかった今では生涯を共にしたいと思っております」 

 はっきりと意思を伝えた。

「わかりました。まずは藩主の座を取り戻し、婚姻の話はそれからにいたしましょう」

 あわてたのは平九郎であった。

「お待ちくださいませ祥法院様。謀反を正す前にお家を危うくする問題がございます。実は公儀隠密が入り込んでおります」

「何!隠密とな」

 祥法院は声を潜めて尋ねた。

「これは若君が湯治場の主人から預かった書状を書き写したものです」

 平九郎が書状の写しを見せると、祥法院は厳しい目で読んだ。

「隠密どもは謀反を把握しておるようですが、隠密はしょせん陰の者です。確たる証拠がなければ陰が見聞きしたものは証拠となりませぬ」

 平九郎がそう説明すると、

「されば何とする。捨て置くこともできぬであろう」

 祥法院は考え込んだ。

「江戸家老の早見徳之進様にこの写しをお渡しください。出所でどころは湯治場の釜焚きと親しい岩田源兵衛から送られたということに」

 平九郎も考えた末に頼るならば早見しかいないと思った。

「わかりました、そういたしましょう。ところで千代松という名は幼名ゆえ元服して名を改めねばなりませぬね」

「母上、暫くは三治のままでいたいと存じます。今一度国元で調べたきこともございますれば」

 三治は再び離れることを告げた。

 祥法院は三治を屋敷に連れ帰ることもできない現状ではやむを得ないとわかっていた。

「それがしがお供いたしますのでどうかお許しくださいませ」

 平九郎にまで言われると祥法院はもはや認めるしかなかった。

 危険は冒さぬことを条件に三治は再び北信濃に旅立つこととなった。


 三治は湯屋に戻り女主人のに釜焚きを辞すると告げた。

 とよは釜焚きがいなくなるのは困ると言って三治を引き留めたが、三治がいつも代わってもらっていた近所の若者を紹介すると渋々納得した。

 それでも最後は江戸っ子らしく、給金を弾み気持ちよく三治を送り出したのであった。

 三治は平九郎の長屋に移ると旅支度を始めた。


 翌日、祥法院のもとに早見徳之進が訪れた。

「足を運んでもらってすまぬが、お家の一大事だと思うて呼んだのです」

 祥法院は早速書状の写しを見せ、手に入れた経緯も説明した。

「幸いなことに幕府にはまだ報告されておらぬようですから、今のうちに隠密どもを捕えねばなりませぬ」

 早見は驚きの表情で読み終えると、

「公儀隠密どもが知る謀反とは祥法院様もご存知なのですか」

 と衝撃を受けながらも尋ねた。

「知っております。九年前の千代松に起きた件は、拉致されたのではなく殺害を逃れた末に追手に討たれたのです」

 祥法院の言葉に早見は更に驚いた。

「謀反の首謀者は誰なのでしょうか」

「首謀者やその一味は不明です。誰が味方で誰が敵なのかもわからぬのです」

 早見は考え込んだ上で、

「今ここで隠密が我藩わがはんの謀反を掴んだゆえ捕らえよとの命を出しましたら、みすみす謀反人どもに尻尾を出すなと教えてやるようなものでございます」

 と進言した。祥法院は落ち着いた様子で、

「すべて承知しております。されど優先すべきはお家の存続を守ることではないのですか」

 それには早見も言葉を飲み込んで頭を下げた。

 藩邸に戻るとすぐに配下の者を集めて警戒に当たらせた。

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