第10話  お店奉公

 実家に戻った紗季は父の部屋に呼ばれた。

 てっきり無断で外泊したことを叱られると思いきや、父は娘を案じていた訳ではなかった。

「そなたの療養先で釜焚きをしておった三治という者を知っておるか」

「はい、存じております。父上、どうして三治のことをお尋ねですか」

 玄馬は話してよいものか少し迷ってから、

「実はな、その三治に宍倉殿配下の天野兵衛が討たれたのだ。三治は手練れの者に勝つほど強いのか」

 と問うた。そこで初めて紗季は三治が喜助の仇討ちを成し遂げたことを知った。そして驚きをさとられぬように、

「いいえ、三治はただの釜焚きです。薪は毎日のように割っておりましたが剣術とは無縁でございます」

 落ち着いた顔で答えた。紗季は三治が町はずれの道場に顔を出していたことは黙っていた。

「されば相手を見くびって油断したのであろう。愚か者めが」

「父上、三治はお尋ね者となるのでしょうか」

 紗季は三治を案じて尋ねた。

「一介の釜焚きごときに討たれたとあっては武士の面目が立たぬ。宍倉殿は病死と届けたそうだが、密かに討っ手を立てて捜させておるそうだ」

 玄馬がそれ以上紗季に尋ねることはなかったが、病死としたからには子細は他言無用と釘を刺した。

 紗季は三治に、咎人として身を隠して暮らす必要がないこと、そしてこの地に戻ると危険であることを伝えたかった。

 以前書物を読んだ三治が江戸に行ってみたいと紙に書いたことを思い出し、紗季は夜明けを待って再び屋敷を抜け出した。



 またしても無謀な旅であった。

 紗季は江戸に向かってひたすら歩いた。一歩一歩が三治の踏んだ道だと思うと、共に旅をしている気持ちになり怖くはなかった。

 それでも一人旅は心細こころぼそく誰かと道連れになりたいと願った時、後方から走って来た若い娘に追い抜かれた。

 素足に藁草履わらぞうりを履き、小さな風呂敷包みを持っただけのとても旅をする格好ではなかった。

 娘は紗季のすぐ先でつまづいて転んだところを追って来た男二人に捕らえられた。

「何処に逃げるつもりだ。おめえが逃げたら代わりに妹が売られるだけだぞ」

 男はそう言うと襟首えりくびつかんで立ち上がらせた。

「借金はわたしが働いて返しますからもう少し待ってください」

 娘が泣きながら訴えても、

博打ばくち好きで飲んだくれの親父がいる限りはおめえが働いたところで何も変りやしねえさ」

 無理やり連れて行こうとした。そのやり取りを聴いていた紗季は思わず、

「いくらですか借金は!」

 口走ってしまった。男は紗季の方へ振り返ると、

「娘さん、代わりに払ってくれるのかい。利息を含めて十二両だぜ」

 懐から証文を取り出して紗季の顔の前でひらひらと振った。

 もう後には戻れなかった。娘は紗季に救いの目を向けている。

「わかりました、お支払いしましょう」

 紗季は財布から小判を出して数えた。

 家から持ち出した路銀は僅かしか残らない。それでも今は何としても娘を助けたいと思った。

 金を払い証文を取り返すと、紗季は笑顔でそれを娘の前で破いて見せた。

 男たちはそれ以上の乱暴を働くこともなく去って行った。

 娘は薄汚れた顔に幾筋いくすじもの涙を流しながら、

「ありがとうございます、ご恩は一生忘れません。あたしは白駒村しらこまむらと申します。お嬢様のお名前を聞かせてください」

 声を詰まらせて言った。紗季はくみの乱れた襟を直してやると、

「お嬢様ではなく紗季と呼んでください。おくみさんはおいくつなの」

「十五になります」

「それではわたくしの方が二歳お姉さんですね」

 紗季が微笑むと、くみもやっと笑顔になった。

「おくみさんはこれからどうするの。もう逃げる必要はなくなったのだからおうちに帰れるわ」

 くみは激しく首を横に振り、

「このまま帰ったらあたしは人でなしです。ご恩に報いるため紗季様のお側でお役に立ちたいです」

 と紗季にすがった。

「あなたはお百姓でしょう、おうちの仕事をしなくては駄目よ」

 紗季が諭すと、

「うちにはもう田畑がありません。父ちゃんがみんな売ってしまって、それで母ちゃんが湯治場に働きに出たのですがそこも閉じてしまったのです。今では近所の農家の手伝いをして野菜を分けてもらう始末です」

 くみは悲しそうな顔をした。湯治場と聞いた紗季は、

「湯治場って『とみたまの湯』のこと?」

 と尋ねた。くみも驚いて顔を上げると頷いた。

「わたくしも幼い時から毎年春から夏の終わりまで行っていたのよ」

 紗季がそう告げると、

「知っています、母ちゃんが毎年療養に来る武家のお嬢様がいると言っていたのは紗季様のことだったのですね」

 くみが嬉しそうに言った。二人は何処かで繋がっているような縁を感じた。

「日が落ちてきたわ、話は後にしてまずは宿を探しましょう」

 宿場町に入り最初に目に入った旅籠に二人は泊まることにした。

 くみにとっての旅籠は生まれて初めての贅沢であった。

 畳の座敷、広い湯殿、善に載った料理、すべてが夢のようだった。

「こんなご馳走は食べたことがありません。ここでも紗季様に迷惑をかけてしまいました」

 夕餉の後、くみはうつむいて言った。

「此処は普通の旅籠よ、贅沢はしていないわ。でも路銀は宿賃を払ったらおしまい」

 紗季はわざと明るく言ったが、内心は不安でいっぱいだった。

「紗季様はどちらまで行かれるおつもりですか」

「江戸だけど、もう無理ね。何処かで働いて路銀ができたら行くことにするわ」

 強がって見せたが働いたことがない紗季には仕事の見つけ方も知らなかった。

「それならあたしも一緒に働きます」

 くみは力強く言った。


 翌朝、旅籠の前には出発前の荷馬車が停まり、傍らには商人らしき男が立っていた。

 紗季とくみが旅籠を出ると、男は待っていたように近づいて来た。

「わたくしは松本で海産物を商う『浜治屋はまじや』という店の番頭で平太と申します。昨日の街道での出来事、すべて見させていただきました。偶然に部屋も隣だったため、お二人の話も聞こえてきました」

 紗季はいぶかしさに警戒した顔を見せた。

「怪しむのは当然ですが、わたくしも八年前同じ街道で見ず知らずのお方に命を救われました。その恩を同じ見ず知らずのあなた様へお返ししたいと思ったのです」

 平太の誠実そうな眼差しを見て、紗季は信じても良いような気がした。

「ありがとう存じます。されど、そのような大切なご恩返しをわたくし共がお受けしてよいものでしょうか」

 すると平太は頬を和らげて微笑んだ。

「あなた様とてそちらの娘さんへ後先も考えずに手を差し伸べたではございませんか。わたくしはあなた様のようなお方の力になりたいと思います」

 紗季は無謀にも平太の誘いに乗ることにした。すでにこの旅そのものが無謀なのだ。

「それではお言葉に甘えさせていただきます」

 丁寧に頭を下げると、平太の勧めるままに荷馬車に乗った。

 荷馬車には越中・越後の海産物である塩漬け・粕漬けの魚やいかの干物そして昆布締め・塩辛などの作り物が山と積まれていた。

 それを運ぶのは馬を引く男衆が二人と平太であった。

 紅葉した街道を馬車に揺られるのは心地よかった。旅籠から持ってきた握り飯を食べた後は自然と眠気におそわれ、うたた寝をしているうちに荷馬車は松本の城下へ入っていた。

「さあ着きましたよ、此処が浜治屋です」

 平太が示したのは大きな間口の立派なおたなだった。

 どう見ても三十代そこそこの平太が、どうしてこのような大店の番頭になったのか紗季は不思議に思った。

 荷馬車を降りると店から出て来た男衆が次々と荷を店の中へ運び込んだ。

 平太は使用人たちの出迎えを受けながら、紗季とくみを奥に連れて行った。

 平太は控えの間に二人を待たせて奥座敷に入ったが、すぐに笑顔で迎えに来た。

 奥座敷には浜治屋の主人、宗衛門そうえもんが穏やかな顔で座していた。白髪の混じった初老の小柄な男だった。

「話は番頭さんから聴きました。紗季様は奇特きとくな方ですね、感心いたしました。今日はゆっくり休んで明日から働いてもらいます」

 宗衛門は平太の話をすんなりと受け入れ、二人同時に雇うことを決めた。平太は主人からかなり信頼されているようだった。

「紗季様は武家の娘さんとお見受けしましたが、此処では武家も百姓も身分など関りがございません。おさきさん・おくみさんと呼びますからそのおつもりで」

 座敷から出る前に、宗衛門はそう付け加えた。


 紗季の仕事場は店内で、店全体に気を配りながら掃除や帳簿の整理をすることだった。また読み書きや作法が身に付いていたため、接客や書状の代筆なども行った。

 くみは女衆の下働きで、かまどの火おこしや水汲みに加えて野菜の下ごしらえ、そして洗濯などであった。

 二人とも自分に合った仕事だったので苦労とは思わなかった。

 秋が深まり初雪が舞うと大店は忙しさを増した。

 紗季たちも仕事に慣れ、いちいち指図されなくても自ずと身体が動くようになって行った。

 師走になると平太は男衆を連れて飛騨街道ひだかいどうに出て行った。

 富山港で水揚げされたぶりは塩漬けにしてから鰤街道を経て飛騨の高山に運ばれる。平太はそれを仕入に行くのだ。

 鰤は正月には欠かせない魚なのだということを紗季は初めて知った。

 此処に来てから紗季は多くの海産物の名前や特徴を覚えた。時には質問攻めで店の者を困らせることもあった。

 そのような時、紗季は知識欲をむき出しにした三治の大きな瞳を思い出すのであった。

 

 年の瀬はあれほど慌しかった浜治屋も正月を迎えると店を閉めて静まり返っていた。

 使用人はほとんど里帰りし、その中にはくみもいた。

 くみは紗季が肩代わりした借金を返すまでは里に帰らないと言い張ったが、紗季はそれを断った。

 くみの働いた給金は実家の生活費にするよう諭して強引に里帰りさせたのだ。

 残った使用人にはおせち料理が振舞われた。

 紗季は女衆と料理を食べながら噂話を聴いていた。女たちの話題はいつも男だ。

 女中の一人が、

「番頭さんはいつになったら嫁をもらうのかね。良い男っぷりなのに勿体ないよ」

 酒に酔って言うと、女中頭が、

「あんたが気を揉んだところでどうしようもないよ。この店に来て八年になるけど、まったく女気なしなんだから」

 それを聴いて紗季も口を挟み、

「それではたった八年で番頭になったということですか」

 思わず身を乗り出した。女中頭は笑いながら、

「あんたは番頭さんが異例の出世をしたと思っているんだろ。そうじゃないんだよ」

 紗季が興味を示すと、

「浜治屋は元々城下のはしの小さな店だった。旦那様だってご自分で仕入れの旅に出ていなすったくらいさ。それが番頭さんが来てから繁盛しだして、二年前に此処を買い取ったんだよ。すべては番頭さんのおかげさ」

 女中頭は感慨かんがい深げに言った。

「番頭さんに商売の才があったということですか」

「そうさ。聞いたところでは出自は江戸で、元はお侍だったらしい。何でも偉い人のお付きをしていたとかで、それで細かいところに目の届くような気働きばたらきが商売に向いていたんだね」 

 平太の話題はそこで終わり、噂話は他の男衆に移った。無礼講の台所は一人二人と酔いつぶれていった。

(番頭さんはどうして武士の身分を捨てて商人になったのかしら。きっと深い事情があるのね)

 紗季はそんなことを思いながら一人で街に出てみたが、楽しそうに連れ立つ家族を見ると正月気分に馴染なじむことができなかった。

 のんびりと三が日を過ごしていると、松の内だというのにくみが早々はやばやと里から戻って来た。

「おくみさん、こんなに早くどうしたの。実家で何かあったの」

 驚いて尋ねる紗季に、

「父ちゃんが亡くなっていました。でも悲しくはありません、家族はもう借金が増えることがないのでむしろほっとしています」

 くみは寂しげな笑顔を向けた。

「それならもっとゆっくりしてくればよかったのに」

 そうは言ったものの紗季はくみの顔を見て、自らの喜びを隠せなかった。

「母ちゃんはてっきりあたしが女郎屋に売られたと思っていたからとても喜んで、恩人の紗季様の側を離れちゃだめだと追い返されてしまいました」

 くみは眉を八の字にして訴えた。紗季が笑って聴いていると、

「紗季様からも母ちゃんからも追い出されて、あたしは何処に行けばいいのですか」

 駄々っ子のように紗季の袖口を引っ張るくみを愛おしいと思った紗季は、

「それでは一緒に初詣に参りましょう」

 言うより早く、くみの手を掴んで町に繰り出した。

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