第3話  湯治場育ち

 三治は喜助きすけという釜焚きの老人に預けられた。

 喜助は口のきけない三治を不憫ふびんに思い孫のように可愛がった。まだ力の弱い三治は焚きつけ用の小枝拾いが主な仕事だった。

 三治は小さな背負子しょいこを作ってもらい、焚き木の積み方・縛り方を習った。

 喜助は三治が背負う焚き木の量が少なくても決して叱ることはなかった。休まず黙々と働く三治に、

「よう頑張った、そのうちにもっと力が着くようになる」

 と言っては釜で焼いた芋をくれた。三治はにっこりと笑顔を見せ、芋を一口大に割って口に入れた。

「お前はどことなく品があるのう。不思議な子じゃ」

 喜助は首をかしげて言った。


 三治の一日は暗いうちから始まる。

 空が白み始めた頃に起き、喜助に教わった通りに風呂の焚口に火を入れ薪をくべる。

 風呂が沸くまでは湯殿ゆどので床や手桶をわらで磨いた。

 風呂が沸くと白駒山の馬の背から朝日が昇る。最初は薄紫の空の中に馬の輪郭が赤く浮かび上がり、やがて日が昇るにつれて馬が黄金のくらをつけたように光り輝く。三治はそれを眺めるのが何よりも好きだった。

 喜助が起きてくると朝餉あさげを食べてから焚き木拾いに出かける。焚き木は一度に運べないので山の裾に集めた。

 一度戻ると湧水わきみずの池で洗濯をしたり、庭の掃除をする。

 昼餉の後はまた山に入り残した焚き木を運ぶ。夕餉の前後は部屋で草鞋わらじを編んだ。

 三治は湯屋の屋根裏部屋に寝泊まりしていた。床板から漏れる湯気が茅葺屋根に抜けて、室内は程よい湿度と暖かさを保っていた。

 布団以外は何もなく荷物といえば部屋の片隅の風呂敷包みだけだったが、中に入っている子供用の道中着と小太刀こだちを三治は誰かの忘れ物と思っていた。


 冬になった。白駒山が白馬に姿を変えると『とみたまの湯』にも雪が降り、辺りは一面の銀世界に生まれ変わる。

 焚き木拾いはできなくなったが、三治には代わりに雪かき仕事が待っていた。

 門を出ると三治は野原の小道を除雪しながら抜けて鎮守の森に沿った山道を下る。ゆるい階段状の山道には、段鼻だんばなに丸太が横に寝かされている。三治は竹箒たけぼうきで雪に隠れた丸太をいて現わにすると、一段一段丁寧ていねいに雪をかいた。

 山道は他に比べて雪が少ない。鎮守の森の南側にあるため、吹雪になっても森が守ってくれるのだ。

 三治は山道の下まで降りると鳥居をくぐり、社に続く石段の掃除をした。境内には雪の上に小さな足跡が残っていた。三治が行く手に目をやると、森に入って行く雪兎ゆきうさぎの後ろ姿があった。また反対の茂みからは真っ白ながこちらを見つめている。三治は思いがけない冬の仲間の出現が嬉しくて、足跡はそのままに石畳みだけを掃いた。そして鎮守様に無心で手を合わせると戻って行ったのである。

 冬の間に釜焚きの火加減を覚えた三治は、喜助に代わって釜場にいることが多くなった。体力もついてきて細い薪なら割れるようにもなった。

 常連の湯治客とも親しくなり、打身の治療にやってくる町道場の武士たちからは特に可愛がられた。

 夜、三治が屋根裏部屋にいると下から声がする。三治が湯殿の吹き抜けに面する小窓を開けると、

「三治、湯がぬるい。温めてくれ」

 と武士たちが見上げて声を張り上げている。三治が下に降りて薪をくべると、

「おう、いい湯だ。三治、お前も来い」

 と三治を誘った。着物を脱いで入って行くと、

「お前の顔は真っ黒だのう、すすだらけだ」

 と笑いながら濡れた手拭いで顔を擦られた。

 三治は無言で微笑むだけなのに誰からも愛され、また三治と触れ合った者は誰もが癒される気持ちになるのであった。

 

 長い冬ごもりが終わると雪解けとともに三治は山に入った。

 冬眠から目覚めたたぬきが餌を求めて歩き回っている。親子連れだ。

 三治は腰に下げた袋を開けて取り出したり豆を熊笹の葉の上に置いた。そして離れた場所からそっと様子を見る。

 狸の親子は辺りを見回しゆっくり近づくとぽりぽりと音を立てて食べ、顔を上げて三治を見つめてから去って行った。

 子供を気遣いながら歩く後ろ姿に、三治は自分にも親がいるのだろうかと初めて思った。


 三治が焚き木拾いの生活に戻って日々を送っているうちに、いつの間にか山桜の花も散り新緑の季節になった。 

 ある日、一台の立派な駕籠かごが門をくぐった。先頭には護衛の武士、後ろから付き人らしい男女が従っていた。

 三治は誰かと思い、喜助の背中を叩いて駕籠を指差した。

「これ!指差すでねえ。あのお方はお城の偉い人の娘さんじゃ。毎年この時期になるとやって来て夏が終わるまで逗留するのじゃ」

 駕籠を下りたのは三治と同じ年頃の可愛らしい娘であった。

 娘の名は紗季さきといい、喘息ぜんそくの持病があるためほこりっぽい季節は町を離れて此処へ来るのだという。

 駕籠は護衛の武士とともに帰り、付き人だけが残った。

「おめえは口がきけねえから心配いらないと思うが、粗相そそうがあってはならねえぞ。とにかく関わりを持たねえことだ」

 喜助は釘を刺した。

 ところが、そうもいかなかった。ちょっかいを出してくるのは娘の方だった。

 大人ばかりの中で暇を持て余しているのだ。無理もないことではあった。

 一日中三治を追い回してはその仕事ぶりを眺めている。紗季は何を言ってもただ微笑むばかりの三治が気に入ったようだ。

 最初はうるさく小言を言っていた付き人たちも、三治が無害だと知ると自分たちも羽を伸ばしていた。

 紗季は『とみたまの湯』の敷地内ばかりでなく、山にもついてきて焚き木拾いを手伝うようになった。

 三治が釜場に紗季用の椅子を作ってやると、紗季は喜んで火を焚く三治の後ろに腰掛けた。

 紗季は三治が記憶を失くしていることや読み書きができないことを知ると、自分の力で何とか取り戻してやろうと考えた。

「ねえ、三治さん。これがあなたの名前よ」

 そう言って地面に小枝で『三治』と書いた。

 三治は嬉しそうに指でなぞると小枝を取って、その文字に習って同じように並べて書いた。

「そうよ、覚えが早いわね。わたくしは紗季、夏になると十歳になるのよ」

 紗季は今度は自分の名を書いた。三治はすぐに同じように書いた。

 三治の知能の高さに驚いた紗季は、家から持ってきた本と筆記道具を与えた。


 翌朝、三治は釜場で紗季が来るのを待っていた。手には昨日の本を持っている。

「三治さん、早いのね」

 紗季が現れると三治は借りた本を返した。そして懐から紙の束を取り出した。

「これは……、一晩で写したの?すごいわ」

 紗季が褒めると三治は本を指差して首を横に振った。

「どうしたの三治さん。あっ、わかったわ。写したけれど意味がわからないのね。わたくしが読んで差し上げますね」

 紗季は文字を指で辿りながら読んで聴かせ、難しい言葉は意味を説明した。

 三治は目を輝かせて吸収していった。

 それからというもの紗季は自分がいない冬の間にと、沢山の書物を取り寄せて置いていった。

 すると三治はそれらを読破し、春に紗季が到着すると理解できなかった部分の質疑書を差し出すのであった。


 五年の歳月が流れ、元禄十二年の春を迎えた。

 紗季が取り寄せた書物で三治の屋根裏部屋は一杯になった。武家の子が藩校で学ぶ教科書を皮切りに歴史やまつりごと、武家社会の仕組や町家の商い・流通、更には天文学まで多方面に渡っていた。

 紗季はその能力に驚くばかりで、三治の質問にはとうに答えられなくなっていたのである。

 三治の変化は学問だけではなく、身体の方も毎日の薪割で筋肉がつき背丈も大人と変わらぬほど大きくなった。

 三治(十四歳)と紗季(十三歳)は互いに思春期を迎え、心の中に友とは違った感情が芽生えたことに気付いていた。

 紗季はそれを恋と認識していたが、三治には理解できなかった。

 二人はいつも一緒だった。山でも釜場でも離れることはなかった。

 三治が割った薪を紗季が束ねる。紗季の指にとげが刺さると三治がそれを抜く。

 些細ささいなことが楽しかった。会話ができない分、見つめ合えば心が通じた。

 一年の内、僅か半年のかけがえのない時間をいつくしむように日々を過ごした。

 それでも紗季が去った冬場は無性に会いたい時があり、書物を読む気にもなれない夜があった。

 そのような日は無心に薪を割ることで気をまぎらわしていた。


 町道場の武士たちが湯治に来た時のことである。

 その日は年忘れの宴をするため道場主の岩田源兵衛も同行していた。

 つい長湯をして湯あたりした源兵衛は外の空気を吸おうと庭に出た。

 その時、三治は釜場で一心不乱に薪を割ってていた。

 源兵衛は何を思ったのか、

「おい小僧!そのまさかりの代わりにこれを振ってみろ」

 そう言うと三治に木刀を渡した。

 返事をしない三治を気遣って喜助が、

「お侍様、三治は口がきけません。どうかお許しを」

 と側ではらはらしている。

「爺さん、門弟から聴いておる。心配は無用だ」

 と源兵衛は笑いながら言った。

 三治は言われた通りに木刀を持って振り上げると、まっすぐ下に振り下ろし薪に当てずにぴたりと止めた。

「ううむ。示現流じげんりゅう稽古けいこでは袈裟懸けに振るう『立木打ち』というのがあるが、三治は真一文字に垂直に振るう。粗削あらけずりだが見事だ。日々の鍛錬とは凄いものだな、爺さん」

 言われた喜助には何のことやらわからなかった。

「剣術を習いたくなったら町はずれの道場に来い」

 源兵衛は言い残すと屋内に戻った。

 その時、源兵衛は平九郎が捜し求める人物が三治であることなど疑いもしなかったのである。

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