第22話 託された想い

 じいちゃんが入院したと知ったのは、仕事が終わってからだった。

 父さんからのメッセージを見た僕は、柳写真館を出たその足でそのまま病院へ向かった。


「入院することにはなったが、大したことはない」という父さんのメッセージ通り、じいちゃんは思ったよりも元気だった。


「いやぁ、心配かけたなぁ。家の中で転んでしまって……」

「入院したって知ったときはびっくりしたけど、骨、折れてなくてよかったね」


 高齢者が自宅で転倒して骨折というのは、珍しい話ではないらしい。

 骨が完全に折れてしまうと当然治癒までの期間が延びるし、安静を続けた結果、元通りに動けなくなるなんてこともあるそうだ。

 ひびだけで済んだこと、そして、じいちゃんが自分で救急車を呼べたことは不幸中の幸いと言っていいだろう。


「自分ではまだまだ大丈夫だと思っていても、やっぱり年だなぁ……」


 じいちゃんは少し落ち込んでいるようだった。

 ばあちゃんに先立たれてから七年、じいちゃんは自分のことはほぼほぼ全部自分でやっていた。

 ばあちゃんが亡くなったあと、同居の話も出たらしいけれどじいちゃんは、子ども達に迷惑はかけたくない、と言って一人で暮らすことを希望したと聞いた。


 ベッドに横になるじいちゃんは、いつもよりも小さく見えた。

 あれ? じいちゃんってこんなに細かったっけ?

 掛け布団から出る腕はか細く、シワが増えているように感じた。

 年齢の割に若く見え、何でも自分でできるじいちゃんだったから、その衰えを顧みることができなかった。

 いや、もしかしたら僕は、じいちゃんが老いていく現実から目を背けたかったのかもしれない。


「大丈夫、すぐに良くなるよ! それに、病院なら安心だし! しっかり食べて、栄養付けて、骨が元通りになればすぐに帰れるから」

「そうだなぁ。早く退院できるようにリハビリも頑張らないとだな」

「うん。でも、無理しちゃダメだよ? ちゃんとお医者さんの言うこと聞いて焦らずにね」

「あぁ、分かってる」


 ベッドの横にある棚と一体化した小さなテレビ台に目をやると、ティッシュやコップ、歯ブラシ、飲み物など必要なものは一式揃っているようだった。

 きっと、父さんか母さん、それか明美伯母さんが来たのだろう。


「晋太朗、もう大丈夫だ。仕事大変だろうに、悪かったな」

 そう言って、じいちゃんは僕に帰宅を促す。

 大部屋の病室には他の患者さんもいる。確かに長居は逆に迷惑になるだろう。

 随分と弱々しく映るじいちゃんが心配な気持ちはもちろんあったけれど、後ろ髪を引かれる思いで僕は「また来るから」と言い残し、病室を後にした。


 家に帰る道すがら、僕はさっきまで対面していたじいちゃんの姿を思い出す。

 じいちゃんが病院着を着てベッドに横になっているっていう視覚的な情報は、それだけで僕の不安を掻き立てるには十分すぎた。


 それからというもの、僕はなるべく時間を作って頻繁に病室に顔を出していた。

 じいちゃんの骨自体は順調に回復していたものの、筋力や体力が想定よりも大きく低下してしまったらしく、退院はお預け状態になっていたからだ。

 手も足も大分細くなった。歩くのも随分遅くなった。

 それでも、僕が会いに行けば体を起こして嬉しそうな顔を見せてくれる。


 病気ではないのだから、体力がつけば状態も少しはよくなるだろうと、僕はトマトジュースやスポーツドリンク、じいちゃんが好んで食べていた羊羹、食事が進みそうなご飯のお供なんかを毎回差し入れた。

 最初は喜んでくれていたが、徐々に減るペースが遅くなり、遂には「まだこの前貰った分が残っているから、それは晋太朗が食べてくれるか?」と言われてしまった。


 だんだんと寝ている時間が長くなり、僕がお見舞いに行っても話せない日も増えてきた。

 その日も、もう少し待って起きなかったら帰ろう、と考え椅子に座っていた。

 目を閉じているじいちゃんを見ていると、著しく衰えていく現実を突きつけられるようで不安になる。

 また日を改めるか、と帰ろうとしたそのとき、じいちゃんに声をかけられた。


「……ん? 晋太朗、来てたのか」

「あ、ごめん。起こしちゃったね」

「いや、うとうとしていただけだから、大丈夫だ。……仕事は、順調か?」

 もう、体は起こさない。

「うん。順調だよ」

「そうか。忙しいだろう。無理して来なくて、いいんだぞ」

「無理なんかしてないよ。大丈夫」

「うん」


 じいちゃんの声は掠れていてハリがない。スピードも大分ゆっくりだった。

 それでも、一つ一つ、しっかりと言葉を紡いでいく。


「……晋太朗」

「なに?」

「……いつだったかの旅行、あれは、楽しかったなぁ」

「っ、うん。楽しかったね」

 泣くな! ここで僕が泣くのは違うだろう!

「……晋太朗と一緒に、旅行に行けて、じいちゃん、本当に嬉しかったんだ」

「うん」

「じいちゃんが秘密にしていたこと、晋太朗に……聞いてもらって、心が楽になった」

「……うん」

「それでな。……一つ、頼みたいことが、あるんだ」

「うん、何でも言って」

「じいちゃんのこと、焼くときな? 一緒に十円玉、入れてほしいんだ」


 。その表現に目頭が熱くなる。

 込み上がってくるそれが溢れるのを必死で堪え、僕は聞く。


「……十円玉?」

「あぁ。北海道ではな、やるんだ。亡くなった人と、一緒に焼いた十円はな、お守りになるんだ」

 それは初めて聞く話だった。

「それでな、じいちゃんと焼いた十円を、文子に、届けてほしいんだ。……文子には、本当に、何にもしてやれなかったから、せめて死んでから守ってやれたらって、思ってな」

 五年前の旅行以来、文子さんの話をすることはなかった。

 久しぶりに聞くその名前とじいちゃんの想いに、僕は胸が熱くなった。

「約束する! じいちゃんの想いは、必ず僕が文子さんに届けるよ」

 そう答えた僕の声は震えていたと思う。

 我慢の限界を迎えた涙が頬を伝う。


 じいちゃんはひどく安心したように、「ありがとう」と呟いて、また目を閉じた。

 規則正しい呼吸音が聞こえてくる。一気に話したから疲れたのだろう。

 微睡むじいちゃんに「また来るね」と声をかけ、僕は静かに病室を出た。


 ***


 次にじいちゃんと会ったのは、あの約束から間もない十二月の寒い日の夜だった。

 いつもの病室ではなく個室に移されたじいちゃんの周りには、父さん、母さん、明美伯母さんと旦那さんの智之おじさん、彼らの娘で僕からみるといとこの望美が揃っていた。


 苦しむことなく、眠るように、それはそれは穏やかに。

 じいちゃんは静かに息を引き取った。

「大往生だったな」と涙声で父さんが言う。

 母さんたちが鼻をすする音が聞こえる。

 僕はグッとこぶしを握り涙を堪えていた。


 しばらくして病室を出なくてはいけない時間となった。

 みんなが出て行こうとする中、僕だけが動けない。

 父さんは「……先に行ってるぞ。先生の迷惑になってしまうから、晋太朗もすぐに来いよ」と、僕を残し、みんなを連れ出してくれた。


 一人になった僕は、じいちゃんの顔を覗き、その晴れやかな顔に安堵する。

 まだあたたかくて、柔らかいじいちゃんの手を握ってみるとその薄さに驚いた。

 こんなに小さくなっていたのか。


「じいちゃん、今までありがとう」


 僕はその一言にすべてを込めて、先に出た父さんたちの後を追った。

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