第21話 駆け抜けた日々②

 それからの一年は本当に早かった。

 四月、大学四年生になった僕は柳さんのスタジオに通いはじめた。

 僕の強引な交渉が成立してから今日まで期間が空いた理由は、二月、三月は卒業写真の撮影依頼が多いからだった。

 僕としては、それこそ見学させてもらいたい撮影だったけれど、大人しく受け入れたのは柳さんからが出されていたからだ。


 柳さんは、僕の見学を受け入れるかわりに、三つの条件を出した。


 一つ、アシスタントではないから給金は出ない

 一つ、見学開始は四月から

 一つ、見学できるのは人物撮影以外


 僕が一番見たいと思っていた人物撮影の見学は

 その条件を見たとき、僕は困惑し不安になった。

 しかし、それでも他の撮影から学べることは山ほどあるだろう、と思ったし、とにかく間近で柳さんがどんな風に撮影するのか見たいという気持ちの方が強かった。


 人物撮影の見学が認められていない以上、当然卒業写真の撮影にお邪魔することはできない。

 そうして僕は予約が落ち着く四月を待って、ようやくスタジオに通えるようになったというわけだ。


 初日、ガチガチに緊張して現れた僕を見て、柳さんは「そんな気負うなよ」と軽く僕の肩を叩き笑った。

 前回受付にいて僕に緑茶を出してくれた女性は柳さんの奥さんで、ほかにスタッフはいないという。


 二人とも優しかった。

 しかし、決して僕を甘やかすようなことはしなかった。

 元々二人で成り立っていたわけだから、僕が手伝えることなどなかったし、何を申し出てもやらせてもらえなかった。

 僕はあくまで見学者。アシスタントではない以上、どんなに簡単な雑務であっても業務の一部を任せることはできないだろう。

 二人がどんなに慌ただしくしていても何もできないというのは、居心地が悪かった。焦る気持ちもあった。

 しかし、傍観者だからこそ見えてくることもあるはずだ、と僕は柳さんが撮影する様子を少し離れた場所から観察して、気になることをノートにメモした。


 三か月が過ぎたあたりで、僕の見学ノートは六冊目に入っていた。

 撮影中に書き殴り、家に帰って自分なりに分析をしながらまとめる。聞きたいことやどうしても分からないことは、質問用のメモに書き出し、いつでも聞けるようにした。

 あれ? と思ったときにすぐ見返せるよう、見学ノートは全て持ち歩いていたから僕の荷物は少しずつ増えていき、スタジオに持って行くリュックはどんどん重たくなっていった。


 柳さんは、質問すればいつも丁寧に答えてくれる。

 ただ、柳さんの方から何かを教えてくれることはなかった。


 僕が見学を許されていたのは主に食べ物と風景の撮影だった。

 食べ物のときは依頼主が経営する飲食店へ、風景のときはクライアントが指定する現場へ僕も同行した。


 照明の当て方ひとつで、レンズを向ける角度一つで、写真は大きく変わる。

 普段は明るく気さくな柳さんだけれど、撮影になると黙り込み淡々と撮影を進める。

 レンズを覗き、シャッターを切り、写真を確認する。

 その作業を何度か繰り返すと、照明や立ち位置を変え、またレンズを覗き、シャッターを切り、写真を確認する。

 その動きに一つの無駄もなく、撮影が長引くことはなかった。

 後から聞いた話だけれど、柳さんは自分のことを「短期集中型」だと言った。長時間の撮影になると感覚が鈍っていくのが分かるから、最短を心がけている、とも教えてくれた。


 見学開始から半年を過ぎたある日、僕ははじめてレフ版を持たせてもらった。

 レフ版とは被写体に光を反射させるための板で、この板の角度により照明の当たり方が変わる。

 いつもは固定アームを使っていたから僕が出る幕はなかった。

 突然の指名に僕の心臓は跳ねる。

 撮影を長引かせないよう細心の注意を払い、柳さんの指示を一つも聞き漏らさないよう全神経を集中させた。


「ちょい上げてみて」

「はい」

「ん、オッケー。……次、左だけちょっと引いて」

「はい」

「ん」

 レフ版を持つ手が震えないよう、両腕に力を込める。

「よし、次照明落としてもう一回同じように」

「はい」

「……違う、もうちょい下。床に垂直じゃなくて、下向きに少し傾けて」

「はい」

「……ん、いいね」

 柳さんが撮影する様子はもう何度も見てきた。

 そのたびに照明の当て方やレフ版の角度もメモしていた。

 柳さんが好む照明の当て方は分かっているはずなのに、傍から見るのと実際にやるのとでは全然違う。


 多分、十五分ほどの撮影だったはずだけれど、僕の体感では数時間分の疲労感だった。


「お疲れさん! サンキュー! 初めてにしてはなかなかやりやすかったぞ」

「あ、ありがとうございます!」

「ちょっとクライアントと話してくる」

「分かりました」

「……晋太朗、照明の片付け頼めるか?」

「っ! もちろんです! 任せてください!」


 この日、僕は初めて柳さんに奈良岡君ではなく晋太朗と呼ばれた。

 そしてこの日以来、徐々に簡単な撮影補助を任せてもらえるようになる。

 ありがたいことにその働きに対する給金も支払われるようになり、僕は晴れて柳さんのアシスタントとなった。


 そして、二月。

 いつものように撮影が終わり後片付けをしていると、柳さんに声をかけられた。

 その日の撮影は、柳さんのスタジオで行われていた。


「晋太朗」

「はい」

「あてがないなら、ウチに来るかい?」


 それは本当に突然だった。

 大学卒業を目前に控え、同級生の中で就職先が決まっていないのは僕だけだった。

 僕は、もう少しこのままアシスタントとして勉強するつもりでいたけれど、正直なところ相当焦っていた。

 しかし、今更柳さん以外のカメラマンの下で働く気になれないのも事実だった。


 願ってもない提案に涙が溢れた。

 そしてそのまま「よろしくお願いします!」と頭を下げ、柳写真館の一員となったのだった。


 大学四年生の一年間は、駆け抜けるように過ぎ去る日々だった。

 内定の知らせを聞いたじいちゃんは、またも大きく歓喜した。

 父さんも母さんも自分のことのように喜び、じいちゃんも自宅に招きみんなで僕の内定を祝ってくれた。


 なんとか同級生たちと同じタイミングで社会人の仲間入りを果たした僕だったけれど、やることはすぐには変わらなかった。

 それまでと同じように、柳さんの撮影に同行し補助として動く。

 変わったことといえば、柳さんの方から助言やアドバイスをもらえるようになったことだ。

 それは僕にとって大きな変化だった。常にカメラとともに過ごす日々は、とても充実していた。

 その後、さらに大きな変化が起きた。柳さんが僕を人物撮影に呼んでくれたのだ!

 柳さんの人物撮影に同行が許されたのは、僕が柳写真館の一員になってから一年ほど経ってからだった。


 ***


 二〇二五年。


 柳さんの指導の下、大学時代も含めると五年のアシスタント期間を経て、二十六歳になった僕の肩書きは遂にカメラマンになった。

 僕はまた一番にじいちゃんに報告した。

「よく頑張った! すごい、本当によくやった!」と、相変わらず子どもに言うような口調で褒めてくれる。

 早く一人前のカメラマンになって、じいちゃんに胸を張って見せられるような写真が撮りたい! そう思っていた矢先、自宅で転び足の骨にひびが入ったじいちゃんは病院に入院することになった。


 ひびが入った骨が完治すればすぐに退院できると思っていたけれど、結局じいちゃんが自宅に戻ることはなく、その年の十二月、家族に見守られる中で穏やかに息を引き取った。

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