第20話 駆け抜けた日々①
一世一代の懇願から数日後、遂に柳さんからメールが届いた。
固唾を呑んでメールを開いたあの瞬間の緊張は、多分一生忘れられないだろう。
「…………ふぅー」
僕は自室の床に正座し、深く長く息を吐いてから目の前に置いたスマホに手を伸ばす。
頼む! いい知らせであってくれ!!
そう祈りながらメールを開いた。
「…………………………え? ……え、え? これって……え、噓っ!?」
どうやら僕は、嬉しすぎると言葉を失うタイプらしい。
僕は、柳さんのメールを何度も読み直した。
何度読み直しても、そこに僕の今後の活躍をお祈りする言葉は見当たらない。
そのかわりに、見学を承諾する旨が記されていた。
柳さんからの条件はいくつかあったけれど、ひとまず受け入れてもらえたことへの喜びが沸々と沸き起こる。そして、それが実感へと変わる。
「うわっ、やった! え、まじか! よっしゃー!!!」
柄にもなく、一人、部屋で大声を上げてはしゃいでしまった。
父さんも母さんも外出中でよかった。
またもや興奮状態のまま、とはいえ前回の反省が頭をよぎり、いくらかの冷静さを取り戻してから柳さんにお礼のメールを送信した僕は、じいちゃんの家に向かう準備を整える。
人生で初めてできた夢に一歩近づいた報告をするため、僕は急いだ。
***
「晋太朗の修行先が決まったか! いやぁ、それはよかった! おめでとう」
両親よりも先に報告を受けたじいちゃんは、目尻のしわをより一層深くして歓喜した。
「ありがとう。ギリギリ三年生のうちに決まってよかったよ。って言っても、通うのは四月になってからなんだけどね。それにアシスタントじゃなくて見学って立場だから、技術的な指導はしてもらえないかも」
「でも、現場に行けるってことはそれだけで大きな収穫だろ」
「うん、そうだね! 柳さんの一挙手一投足、全部目に焼き付けるくらいの気持ちで頑張る」
「あぁ、その意気だ! よし、今日はめでたい知らせを聞けたことだし、あれを飲むか」
そう言いながらじいちゃんが台所へ向かう。
柳さんに貴重な機会を作ってもらえたことには、大いに安堵した。憧れのカメラマンの撮影風景を間近で見られるなんて、そう簡単に経験できることではない。
ただ、僕は柳さんから出されたある条件が気になっていた。
柳さんはその条件をどういう意図で課したんだろう。
もしかすると、柳さんは僕に撮影の技術を教えるつもりは少しもないのかもしれない。それでも僕は、師を見て学ぶ、を実践するのみなんだけれど……と、少し不安を感じているのも事実だった。
そんな僕の気持ちをよそに、上機嫌のじいちゃんが台所から持ってきたのは日本酒だった。
「あ、それ……」
「晋太朗が旅行の帰りにうちに置いて行った酒だ」
僕はじいちゃんと行った北海道旅行の帰り、初めて飲む日本酒はこれが良い! とほぼ直感で1本の酒を購入していた。
その酒は、自宅に帰る前に寄ったじいちゃんの家に置かせてもらい「今度、一緒に飲もう」と約束していたのだった。
しかし、それから僕は、カメラマンになるという夢に近づくために奔走していた。
大学とバイトの合間にアシスタントの応募先を探して、単発の現場に参加しながら休日には撮影の練習、空いた時間で資料のファイリングや撮影技術の勉強。それでも全然足りないくらいで、とにかくやらなきゃいけないこと、やるべきこと、やりたいことが山積みだった。
今度一緒に飲もうと約束したことも、正直今この瞬間まで頭から抜けていた。
「じいちゃん、飲んでも良かったのに」
「晋太朗と飲めるのを楽しみにしてたんだよ」と笑う。
そしてじいちゃんは僕にお猪口を持たせて、酒を注ぐ。僕も見様見真似で酒瓶を受け取り、じいちゃんの持つお猪口に酒を注ぐ。
「じゃ、本当に大変なのはこれからだと思うが、ひとまずおめでとう」
「ありがとう」
「「乾杯」」
グイっと豪快に飲むじいちゃんに対して、僕はちびりと舐めるように恐る恐る飲んでみた。
ツーンとアルコールの匂いがした。その次に、舌に少しピリッとした感覚が走り、そのまま流し込むと今度は喉が熱くなった。
きっと複雑な顔をしていたのだろう。じいちゃんは僕の顔を見て笑い「どうだ、はじめての日本酒の味は?」と聞いて来た。
「んん、よく分からない。飲めなくはないけど……いつか美味しいって感じるようになるのかな?」
「わはは! はじめはみんなそういうもんだ! まぁ、お茶も水もあるから晋太朗は無理するな」
そう言って笑うじいちゃんのお猪口は、すでに空だった。
僕はじいちゃんに酒を注ぎながら、少し悔しいな、と思ったけれど、じいちゃんが随分と楽しそうだったから、まぁいいか、とすぐに悔しさを手放した。
それから僕は、家族会議の様子や田所からカメラを買った話、単発で参加する撮影現場での出来事、撮影の難しさや楽しさなんかを話した。
じいちゃんは嬉しそうに聞いてくれた。
そうしていると、子どもの頃に戻ったようだった。
周りとの違いに悩んだときも、どうしたらいいか分からなくなったときも、いつも僕の話を聞いてくれたのはじいちゃんだった。
今までは思い詰める僕の話を聞いてじいちゃんが優しく諭す、というのが僕らの形だった。
僕は、何かあったらいつもじいちゃんちに逃げ込んで話を聞いてもらっていたなぁ、と子どもの頃を思い出しながら、当時とは違いとても前向きな話しができるようになった現状に喜びを感じていた。
帰り際、じいちゃんは「大いに
以前の僕なら、その言葉の意味をかみ砕いて考えようともしなかっただろう。
でも、今は違う。
あの旅で、じいちゃんの過去を、悩み苦しみ続けていた年月を知った今の僕は、その言葉の重みが分かる。
まったく僕は、どこまでもじいちゃんに背中を押してもらってばかりだ。
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