第19話 晋太朗の奔走②

 二月に入っても、柳写真館からの返信はなかった。

 求人情報を掲載していないサイトからアシスタントに応募するのは、やっぱり失礼だったかもしれない。

 あのときは、理想の写真を見つけた感動で舞い上がっていたこともあり、勢いそのままに連絡してしまったけれど、冷静になって考えると強引すぎた気がしてくる。


 柳写真館のサイトに設置されていた問い合わせフォームからは、僕がカメラマンを目指している大学三年生であると自己紹介したうえで、掲載されている写真に感動したことを伝えた。

 そして、どうしてもこれらの写真を撮影したカメラマンのもとで学びたい、自分も人の目を釘付けにするような写真が撮れるカメラマンになりたい、自然体の笑顔の引き出し方を学ぶ機会をいただきたい、などと熱意を込めたのだが……。

 ……正直、込めすぎた。


 自分の気持ちを一方的に押し付けすぎて、先方を配慮する言葉が少なかったのではないかと反省した。

 こちらの話ばかりを伝えてしまうことは、メールや文書だとある程度仕方のないことではあるけれど、もう少し冷静さを取り戻してから入力するべきだった。


 それでも、一度味わったあの感動を忘れることはできず、僕はあれから毎日、柳写真館のサイトにアクセスしては写真を見ている。

 とくに目を奪われたのは、学校の音楽室らしき部屋でトランペットの練習をしている少女の写真と、老夫婦がガーデニング作業をしている写真だった。


 この二枚は何時間でも見ていられると思う。


 多くのカメラマンが公式サイトやブログ、SNSで自身が撮影した写真を発信している。

 僕はこの数か月で集中的にかなりの枚数の写真を見てきた。

 自分で撮影するようになってからは、参考にするためにも今まで以上の枚数を見たし、実際に真似してみたりもした。

「良いな」「すごいな」「こんな写真撮ってみたいな」と思う写真はもちろんあったけれど、柳写真館のサイトで見つけた二枚は群を抜いていた。


 他の写真とは何が違うのか。

 どうしてこんなにも惹きつけられるのか。


 僕はその理由がどうしても知りたくて、柳写真館に行ってみることにした。


 ***


(アポも取らずに突然訪ねていくなんて、やっぱり失礼だよな……)

(でも、ここまで来たら店舗の前からちょっと見るだけでも……)


 柳写真館まで来てみたはいいけれど、店舗に入ってみる勇気は出ず何度も同じ通りをうろうろと歩き回り、きょろきょろ辺りを見回す僕はちょっとした不審者だった。


 平屋風の店舗は、ダークグレイの外壁がスタイリッシュな雰囲気を醸し出している。入口のそばには大きめの植木鉢が三つ置いてあり、その横のショーウィンドウには複数の写真が飾られているようだ。


(せっかく来たんだから、せめて展示している写真は見て帰ろう!)

 意を決して、ショーウィンドウに近付く。そこには全部で六枚の写真が飾ってあった。

 三枚は風景、一枚は子犬、一枚はパンやコーヒー、フルーツが並ぶ食卓、そしてもう一枚はガーデニングを楽しむ老婦人の写真だった。

 その老婦人は僕が毎日毎日、目に焼き付けるように見てきた写真に写っていた女性と同一人物だ。旦那さんは映っていない。

 草花に囲まれながら、少し先の方に視線を向け微笑む横顔が美しい。


 どのくらい写真を見ていただろう。

 もっと見たい、ほかの写真も見せてほしい! そう思いながらショーウィンドウにかじりついていると、ふと横から「気に入った写真でもあったかい?」と声をかけられた。

 人の気配にこれっぽっちも気付いていなかった僕は飛び上がるほど驚き、大きく肩を揺らした。


「あぁ、ごめんごめん! 驚かせるつもりはなかったんだ」

 相手があまりにも申し訳なさそうにするので僕はすぐに、こちらこそすみません、と謝り、一枚の写真を指差しながら先ほどの質問に答える。

「どの写真も素敵なんですけど、とくにこの女性の写真にすごく惹かれます」

「あぁ、それ! その中じゃ俺も一番気に入ってる!」

「え?」

 声をかけて来た男性は展示されている六枚を見比べることなく、即答した。

 僕はまさか、と思い男性に視線を送る。

 僕の視線に気づいた男性は「この写真、俺が撮ったんだ」と言って笑った。


 サイトにはスタッフのプロフィールや写真は載っていなかったから、全く気付けなかった。

 見ると彼は、右手にコンビニの袋をぶら下げている。

 休憩時間に買い物から戻ったという感じだ。

 年齢は、四十代後半から五十代前半くらいだろうか。父さんと同年代に見える。


 憧れのカメラマンに意図せず対面した僕は興奮していた。

 鼓動は加速し、体温が上がる。

 心臓が激しく脈打っている感覚が強くなる。

 この貴重な機会を逃してなるものかと、僕は図々しくも対話を試みることにした。


「あのっ! 僕、奈良岡晋太朗といいます!」

 男性は不思議そうな顔を向け、少し戸惑いながらも「えっと、俺は柳大河です。よろしく」と答えてくれる。

 僕は、名乗れば先日送ったメールを思い出してもらえるんじゃないかと思ったんだが、柳さんの反応的に僕の名前に聞き覚えはないらしい。

 記憶にも残っていないか、そもそもメールを見てもいないか……どっちだ?

 ここは単刀直入に聞くしかない。

「えっと、実は僕、先月こちらのホームページからアシスタントをやらせてもらえないか、というお願いの連絡をしたんですが……」

 おそるおそる、事実を伝える。

 これで、「あぁ、なんかそんなメールあったなぁ」みたいなことを言われたら結構きついな、と考えながら柳さんの反応を待つ。

 すると「えっ? 先月? ごめん、俺それ知らないから多分見落としてるわ」と慌てていた。

 少しだけホッとする。


「奈良岡君、ちょっと時間ある?」

「は、はい」

「今確認するから中で待ってて」

「えっ! いや、悪いですよ。突然押し掛けたらご迷惑になりますし」

「大丈夫! 今日はもう予約入ってないから」

 そう言って柳さんは僕の背中を押し、店舗へと案内した。

 背は同じくらいなのに、全体的にがっちりしていて適度に鍛えられているであろうその腕の力は思ったよりも強かった。


「いらっしゃいま……」

 受付の奥でパソコンをいじっていた女性は、柳さんに押される形で最初に店内に入った僕をお客さんだと思ったらしいが、すぐにそれが誤解だと気付き、小さく頭を下げる。

「ただいまー」

「おかえりなさい」

「こちら、俺のお客さん。ちょっと奥使うからお茶頼める?」

「分かりました」

「突然すみません……」

「いえいえ。ごゆっくりどうぞ」

 急にあらわれた僕に嫌な顔一つしなかった女性は、しばらくしてあたたかい緑茶を持って来てくれた。

「熱いので気を付けてくださいね」

「ありがとうございます。いただきます」

 柳さんはというと、パソコンとにらめっこしながら僕からのメールを探していた。

 数分経って、「あ! あった、あった! これだ!」と言ったきり、沈黙が続く。


 とてつもなく気まずい。

 あの熱意を込めすぎたメールを、まさか目の前で読まれることになるなんて、どんな罰ゲームだ……。

 穴があったら入りたいとは、こういうときに使うべき言葉と言えるだろう。


 しかし、今この瞬間こそ僕にとっての正念場だ。

 ここで自分の意志を示さないと、この千載一遇のチャンスを掴み損ねるかもしれない。何もできなかったことを後で後悔するくらいなら、当たって砕けても良いから僕の気持ちを柳さんに直接伝えよう、と気持ちを切り替える。


「こんなに真剣に考えて送ってくれたメールを見落とすなんて、本当に申し訳ないことをした。言い訳でしかないが、こういうのには疎くてね……。息子に言われるがままホームページなんて作ったもんだから、未だによく分かっていなくて。本当に失礼なことをしてしまって、すまなかった。このとおり!」

「ちょっ! 頭を上げてください!!」

 僕は慌てて、柳さんに謝罪をやめてもらうように頼んだ。


「今日、奈良岡君と会えていなかったら、こんなに嬉しいメールに気付けなかったかもしれない。カメラマンとして、自分が撮った写真をこんなにも評価してもらえることなんて滅多にないからね、本当に嬉しかった。ありがとう」

「いえ、本当に感動したんです。だから、興奮状態のままメールを送っちゃって……」

「その気持ちはちゃんと伝わってきたよ。俺の元で勉強したいと言ってくれたことも嬉しかったし、当然悪い気はしない。カメラマンを目指す奈良岡君を応援したいとも思う。ただね……うちはアシスタントを雇ってないんだ」


 サイトに求人情報がなかったから、その可能性は十分あると思っていた。

 想定内の展開だ、まだ諦めるところじゃない!


「期待に応えてあげられなくて悪いね」と、この話を終わらせようとする柳さんを遮るように「絶対に邪魔しないので見学させてもらえませんか? もちろんお金はいりません! 雑用でも何でもします! 柳さんの撮影風景を見せてください!」と、抵抗する。

 僕のその勢いに、柳さんは少し驚いた様子だったが、どうやらもう少しこの話を続ける気になってくれたらしい。


「……アシスタントなら、ほかのところでもできるだろう? どうして俺のとこなんだい?」

「柳さんの写真に衝撃を受けたからです。僕が撮りたいと思う理想そのものでした。モデルさんの日常を切り取ったように自然で、一目で惹き込まれました。僕は、飾らず自然体の写真を撮れるカメラマンになりたいんです。それで、どうしても柳さんの元で学びたいと思いました。いろんなカメラマンの作品を見てきましたが、こんなに心が動いたのは柳さんの写真だけだったんです」

「ありがたいが、そりゃ買いかぶりすぎだよ」

「そんなことないです! 柳さんは僕の理想のカメラマンです! お願いします、ここで勉強させてもらえませんか? どうしても、ここがいいんです!!」


 自分でも強引すぎると思ったけれど、伝えずにはいられなかった。

 お願いします、と頭を下げた僕に対して、柳さんは「とりあえず頭をあげてくれ」と言った。


 再び向き合う。

「奈良岡君の熱意は伝わった。ただ、今ここですぐに返事をすることは、申し訳ないができない。……少し時間をくれるかい?」

「っ! もちろんですっ!」

 本当なら数分前に終わっていた話だ。

 改めて考えてもらえるところまで持っていけたことは、大きい。

 柳さんは、結論が出たら連絡すると約束してくれた。


 家に帰り、数時間前の出来事を思い出す。

 僕は、僕ってあんなに熱くなれる人間だったのか、と自分の持つ意外性に気付き、なんだか嬉しいような、恥ずかしいような、はたまた新しい自分に出会ったような、そんな気分を味わっていた。

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