第17話 家族会議
じいちゃんに背中を押してもらったおかげで父さんに相談する決心がついた僕は、急いで説得に使う情報の整理に取り掛かった。
ここ一か月で、未経験からフォトグラファーになる方法については調べ尽くしたと言ってもいいだろう。
職業案内サイトからプロのカメラマンの体験談、写真に特化した専門学校のコラム、カメラマンになるための指南書、関連する動画など、相当の数を読み込んでいたから大体のロードマップは頭に入っていたけれど、念のため改めて情報を入れ直す。
何度もチェックしたサイトや記事はブックマークしてあったし、インプット作業は比較的順調だった。
僕が目指すのは映像カメラマンではなく、写真専門のカメラマンだ。
カメラマンを目指す場合、美術や芸術系の大学か専門学校に進学して、出版社やスタジオ、制作会社、写真館なんかで働きながら専門技術を磨く、というのが一般的なプロセスらしい。
中には、独学でフォトコンテストに応募したり、自信のある写真を持ち込み自ら営業したりして仕事を取るカメラマンもいる。最近ではSNSを活用してはじめから独立して活動する若手カメラマンも少なくないようだった。
僕の場合、カメラの経験もなければ知識もない。
東京の四年制大学に通わせてもらっておいて、ここからさらに専門学校に行きたいとはさすがに言えない。
となると、今すぐにでもアシスタントとして使ってくれる会社を見つける必要がある。
しかし、完全ド素人の大学生を置いてくれるところなんて、そう簡単に見つけられないだろう。それでもやるしかない!
僕は、東京都内の写真館やカメラスタジオを中心に、アシスタントを募集している会社を手当たり次第に探してピックアップした。出版社や制作会社もチェックして、すぐに連絡ができるよう詳細を一覧にまとめた。
カメラマンを目指すことを父さんに認めてもらえたらすぐに動き出せるよう準備を整えたけれど、各社に連絡をしたところでうまくいくとは思えなかった。やっぱり専門的な技術も経験もない時点で、書類選考にすら進めないのが現実だろう。
だから僕は、SNSでもアシスタント応募ができるように専用のアカウントを作成した。最悪、応募した会社が全滅した場合は、ひとまずSNSで被写体になってくれる人を募集して、独学でスキルを身に付けようと思っていた。学生やカップルを対象にして、データを渡す条件なら、それなりの経験は積めるだろう。
プロの現場で学ぶ以上の成長は見込めないけれど、独学だってやる気次第ではある程度伸びるはずだ。
カメラに慣れて、作品を撮り溜めてからアシスタントに応募した方が効率がよい可能性だってある。ただし、時間には限りがある。
「ポートフォリオを作ってから応募しよう」なんて悠長なことは言っていられない!
僕は大学三年生のうちに、アシスタントとして使ってくれる会社を見つけることを最初の目標にした。そのためにやらなきゃいけないことは、山ほどある。
一秒も無駄にしたくない。
こんな気持ちになるのは、人生ではじめてだった。
目の前にそびえたつ頂きの見えない壁をよじ登るような状況にもかかわらず、僕の心は昂揚していた。
***
じいちゃんの前ではじめて夢を口にしてから数日。
最初の週末に、僕はさっそく家族会議という名の両親との会話の機会を設けた。
仕事が休みで、家でテレビを見ていた父さんに声をかける。
「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」
それだけで鼓動が早まる。まだ残暑で暑いというのに、緊張で指先が冷えてきた。
普段こんな風に改まって声をかけることなどないから、父さんも少し驚いた様子だった。互いの間に妙な緊張感が生まれる。
僕の顔つきから真剣な話だと感じ取ったのか、父さんは今まで足を組みながらなんとなく見ていたテレビを消して、二人掛けのソファーにきとんと座り直す。
台所にいた母さんにも「進路のことで相談があるんだ。母さんもちょっといい?」と伝えた。
すぐに手を止めてくれた母さんが父さんの隣に座るのとほぼ同時に、僕も一人掛けのソファーに座る。
「ふぅ」と小さく深呼吸をする。
二人を前にしてこんなに緊張するのは、間違いなく生まれてはじめてだ! 最近、はじめてのことが続いていて、僕には刺激が強すぎる。
突然で驚かれるかもしれないんだけど、僕、大学を卒業したらカメラマンの道に進みたいと思ってるんだ。
心の中で何度も何度も練習したのに、いざその瞬間に直面するとなかなか言葉が出てこない。
僕はスタートが遅い分、夢を叶えるためにやるべきことは限りなくある。でも、それらはすべて、ここを突破しなくてははじまらない!
頭では分かっているのに緊張は増す一方だ。
ほら、言え! 勇気を出せよ、僕!!
そのとき僕の頭に浮かんだのは「やりたいと思えることがあるなら、やってみればいい!」と言ってくれたじいちゃんの姿だった。
あぁ、そうだ。僕には応援してくれる人がいる。
そう思うだけで、不思議と緊張は和らいだ。
「実は僕、夢ができて……。大学を卒業したらカメラマンの道に進みたいと思ってるんだ」
……言った! ついに言えた!!
ずっと喉でつっかえていた言葉が出ると、大分気持ちが楽になった。
父さんと母さんの反応が気になり様子を伺ってみると、やっぱり二人は驚いた様子だった。
「……カメラマンかぁ。いやぁ、正直驚いた!」
「晋太朗、そういうの興味あったの?」
目を丸くしながらも、どこか嬉しそうな声が室内に響く。
「いや、興味を持ったのはつい最近の話で……。知識も経験も技術もなにもない僕なんかが、簡単に目指せる仕事じゃないのは分かってるんだけど……」
だんだんと弱気になってしまう。これじゃダメだ!
僕は、カメラマンになるための基本的なプロセスと、僕自身がやるべきこと、現時点で準備していること、目標を達成すべき時期なんかを伝えた。
父さんたちに伝える場面をシミュレーションしながらインプット作業を進めたおかげか、結構うまく話せた方だと思う。
二人は僕の話を遮ることなく、最後まで聞いてくれた。
伝えたいことは、全部言えた。今度は父さんが話の主導権を握る番だ。
面接会場のような空気が漂う中、父さんが口を開く。
「晋太朗が色々と考えていることはよく分かった。そのうえで、一つ聞きたいんだけど、どうしてカメラマンになりたいと思ったんだ?」
「それは……」
きっかけはやっぱり、北海道で撮ったあの写真だ。
でも、じいちゃんと文子さんのことを知らない父さんに全てを話すわけにはいかない。
僕は少し迷いながらも「……僕が撮った写真を見て、感動してくれた人がいたんだ」と答える。
「それは本当に衝動的に撮った写真だったんだけど、その一枚を見ながら『ありがとう』って言われたんだ。あんな風に人から感謝されるのははじめてで……。これといった取り柄もない僕でも、誰かを感動させることができるのかもしれないって、期待した。ワクワクした。それから、もっと喜ばせたい、もっと思い出を記録として残す手伝いがしたい、って思ったんだ」
正直な気持ちだったけれど、こんな子どもじみた考えで父さんは納得してくれるだろうか。
不安で次第に視線が下がる。
そんな僕に父さんが掛けたのは「そうか、頑張れ!」というエールだった。
僕は数日前、じいちゃんとの会話でもそうしたのと同じように、……へ? と、思わず顔を上げる。この流れ、こないだもやったよ!
「え、反対とかしないの?」
「なんだ、反対してほしいのか?」
「いや、そうじゃないけど。でも、もっと揉めると思ってたから……」
「なんで?」
「……大学と全然関係ない進路だから。それにかなり厳しい進路だと思うし、最近できたばかりの夢だし……」
「おいおい! 反対される理由ばかり探すなよ。子どもなら、『やりたいことができたから、黙って応援してほしい!』って宣言するくらいの図々しさがあって良いんだ」
「そうそう。自己主張の少ない晋太朗が、こんな風に自分の考えを一生懸命伝えてくれたんだから、応援せずにはいられないわよ」
父さんも母さんも笑顔でそう言った。
ものすごく嬉しかったし、本当にありがたかった。
これ程心強い言葉はないだろう。
それでも僕は、照れくささを誤魔化したいという思いから「でもさ、本当に覚悟はあるのか? とか、職場が決まらなかったらどうするつもりなんだ? とか、聞くもんじゃないの?」なんて口にしていた。
きっと、今の僕は耳まで真っ赤だと思う。
そんな僕をもっと赤面させたいのか、父さんは「子どもを追い込むようなこと、言いたくないだろ」なんて、カッコいいことを言ってくれた。
「できるかできないかなんて、誰にもわからないんだから、今、ダメだったときのことを考えても意味がない。そんなことに時間を使うくらいなら、夢に近付くために一つでも努力を重ねた方がよっぽど建設的だ。それに、大人になったらうまくいかないことの方が多いからな。ここらで少し揉まれておくのも良い勉強になると思うぞ。だから、迷わず進め。父さんは、やりたいことを見つけれられないまま社会人になった大人だから、夢ができた晋太朗を応援したいと思うよ」
「母さんも父さんと同じ考えかな。もしもうまくいかなかったら、そのときまた考えればいいのよ! そのかわり、やるからには全力で頑張らないといけないよ? 頑張って、頑張って、それでもだめなら次の道を探せばいいし、それまでの頑張りは絶対に無駄にならない。だから、安心して伸び伸びやりなさい」
もっと難航すると思っていた家族会議は、いとも簡単にまとまった。
この話し合いで、僕は親の偉大さというものを感じた。
とにもかくにも、これでようやく僕はスタートラインに立てた気がする。さぁ、忙しくなるぞ!
ついに僕の就活がはじまる! 僕はやる気に満ち溢れていた。
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