四章:託される者
第16話 夢の入り口
北海道から東京に戻り、早一か月。
九月に入り大学が再開すると、僕の周りでも本格的に就活の話題が飛び交うようになっていた。
「夏休み、インターン行った?」
「一応行った」
「まじ?」
「ゼミの友達に誘われて着いてった就活セミナーで薦められてさ。最初は行く気なかったんだけど、実際、行っといてよかったと思うよ」
「まじかー、俺インターン行かなかったんだよなぁ……」
「でも、合同説明会は行ったって言ってなかった?」
「あぁ、それはね。でも、何社か話聞いたけどイマイチ。ここだ! ってとこは無かったんだよなぁー」
「どうせ、高望みしてんだろ」
「いやいや、してねぇよ! 俺はただワークライフバランスを重視してるだけですー」
「それを高望みっつーんだよ! そういうの優先できるのは、もっと頭のいい学生たちなの。俺たちみたいなごくごく普通の大学生は、大人しく一般的な企業に就職するのがお決まりなんだわ、残念ながら」
「……わかってるけどさぁー! ワンチャンあるかもしんねーじゃん」
横長のテーブルを一緒に使う同級生たちが、就活について一生懸命話している。
確かに許されるなら、柔軟な働き方が実現できる企業に就職したい。
たとえば、フレックスタイム制度の導入とか、リモート対応とかが万全だと興味が沸く。オープンな職場環境で、福利厚生も充実していると、応募してみようかなという気にもなるだろう。
でも、就活生の大部分は同じことを考えているだろうから、そういう先進的な企業には応募者が殺到する。
そうなると、採用されるのはより優秀な学生たちだ。
僕たちのように、特別学力が高い訳でもなく、専門的な知識もない、どこにでもいる普通の学生を採用してくれるような企業は、まだまだ意識改革の真っ最中といったところだろう。
夏休み以前の僕は、その現実から目を逸らすように過ごしていた訳だけれど、あの旅行以来、ずっと考えていることがある。
はじめて、やってみたいことができたのだ。
「……岡! おーい、奈良岡ぁー!」
「えっ!? あ、ごめん! なに?」
「聞いてなかったのかよ!」
「それ、なんか調べもの?」
「え?」
「随分真剣だったから」
「まぁ、ちょっとね」
僕は慌ててスマホの画面をオフにして「で、ごめん。なんの話だっけ?」と話の先を促した。
「だーかーらー。就活、どうすんのって話! 奈良岡、夏休み何もしてないんだろ? そろそろ動かないと結構ヤバくね?」
「余裕ぶっこいてると、いいとこなくなるぞー」
「んー、分かってはいるんだけどねー。まぁ、自分のペースで進めるよ」
「相変わらずマイペースだな、お前は。とりあえず、サッサと内定決めれるようにお互い頑張ろうぜ」
「うん」
「セミナー興味あったら声掛けてよ! 一緒に行こうぜ」
「ありがとう」
彼らとは大学に入ってから仲良くなった。
僕がバイトしている居酒屋に彼らがサークルの飲み会で来たことがきっかけだった。酔って騒がしくなった先輩に困っていたところに顔見知りの僕を見つけたようで、アルコールのフリをしてお茶を持って来て欲しいと頼まれた。
店長に相談するとあっさり承諾されたから、言う通りただのお茶をお茶ハイだと言って提供すると、なぜかその先輩は酔いつぶれて寝たらしい。
アルコールを抜いた効果があったのかは分からないけれど、彼らは「おかげで平和に楽しめた!」と感謝してくれたのだった。
明るくて、誰に対しても裏表のない態度で接する二人だから校内に友人は多いらしい。それなのに、お世辞にも交友関係が広いとは言えない僕を見掛けるとよく話しかけてくれて、同じ授業のときはいつからか並んで座るようになっていた。
親切だけれど、必要以上に距離を詰め過ぎないところが好きだった。
僕は彼らと別れて大学を出る。
今日は自宅ではなく、じいちゃんの家へ向かった。相談したいことがあったからだ。
***
「晋太朗の方から遊びに来るなんて、久しぶりだなぁ」
「そうかなぁ?」
「旅行があったからあまり久しぶりな感じはしないが、その前は全然来てなかっただろ」
「あー……。そういえば、そうかも」
確かに、すぐに行き来できる距離にいるという安心感に胡坐をかいて、高校生になった頃から滅多に自分からは顔を出しにこなくなっていた。
北海道から戻って来た日、自分の家に帰る前にじいちゃんちに寄ったから約一カ月ぶりの訪問になる。普段なら全く緊張しないのだけれど、今日は少し違う。
昔、じいちゃんに悩みを相談するとき、僕はこんな感じで緊張していたんだっけ?
今となってはもう思い出せない。
そわそわと落ち着かない僕に気付き、じいちゃんの方から話を振ってくれた。
「で、今日はどうした? 何か話したいことがあったんじゃないのか?」
まったくその通りで、ありがたい声掛けだった。
僕は意を決して「実は、進路のことで相談があって……」と切り出す。
口にすると、緊張が増すのが分かった。
この一か月、ずっと考えていたことだったけれど、実際に言葉にするのははじめてだったから、うまく話せるのかも少し不安だった。
しかし、ここでいつまでもためらっていては話が進まない。僕は気恥ずかしさを飲み込み、覚悟を決めた。
「僕、カメラマンの道に進みたいなって思って……」
いくら覚悟を決めたと言っても、やっぱり今すぐ隠れたいほど恥ずかしかった。
何の経験もなく、今まで興味もなかった人間が、突然カメラマンになりたい? 笑われてもおかしくないことを言っている自覚はある。
大学生にもなって何を言っているのか、もう少し現実を見るべきだ、と苦言を呈されても仕方ない。
というか、僕自身、その意見が正しいと思う。
それでも、恥ずかしさを押して夢を語ったのは、はじめて自分から「やってみたい」と思えたことだったからだ。
じいちゃんはまだ何も言わない。
沈黙というほどではなかったけれど、僕にはものすごく長い時間に感じた。
どう説得しようか考えているのかもしれない。
じいちゃんは優しいから、僕が傷つかない言い方を探しながら、カメラは趣味にして一般企業に就職した方が良いんじゃないか、と諭すかもしれない。
何か悪いことをして雷を落とされるのを待つ子どものような気持ちの僕とは対照的に、じいちゃんはハリのある弾んだ声で「良いじゃないか!」と言った。
……へ? 僕は思わず顔を上げる。
こんなにも応援されるなんて、まったく想定していなかったから、言葉も出てこない……。
黙りこくった僕に、じいちゃんは不思議そうな顔を向け「ん? どうした?」と聞いてきた。
「えっと……、まさか肯定してくれるとは思ってなくて……。びっくりした」
僕は素直に答える。
「でも、どうして応援してくれるの?」
「どうしてとは?」
「だって僕、カメラの経験も知識もないし。突然そんな専門的な道に進みたいって言い出したら、普通止めるんじゃないの?」
「いやぁ! だって、初めてだろう。晋太朗が自分から何かをやりたいって言い出したのは!」
確かに、それはその通りだった。
今まで、周りの友達はみな何かしら熱中するものがあったのに、僕には何もなかった。そのことに悩んだ時期もあったけれど、僕は人よりも物事に対する興味が薄いから仕方ないのだろう、と諦めていた。
でも、あのとき。
僕が北海道で撮った写真でじいちゃんが感動しているのを見た、あの瞬間。
明らかに、今まで感じたことのない衝撃が体中を駆け巡ったのだ。
「やりたいと思えることがあるなら、やってみればいい! 何の行動も起こさずに悩んでいても、意味がないだろ」
「でも……、大学の友達はみんな一般企業に就職するし。そもそも今カメラの道を選んだら、大学に行った意味がなくなる気もするし……」
「大学に行ったら、サラリーマンにならないといけない決まりでもあるのか? 専門学校を出てないとカメラマンを目指しちゃいけない決まりでもあるのか?」
「いやっ、それはないけど……」
「それに、大学で学んだこととは関係のない分野に進んだとしても、晋太朗の大学生活が無駄になるわけじゃないだろう。そこでしか学べなかったこと、そこでしか出会えなかった友達、そこでしか身に付けられなかった知識。そういう全部が晋太朗の財産になるし、今後の人生で活きてくるときも来るさ」
じいちゃんの言葉は心強く、僕の背中をバンッと叩いてくれるようだった。
「知識や経験がなくても、目指せるかな?」
「誰でも最初は初心者だ!」
「ちゃんと、食べていけるくらい稼げるかな?」
「それは晋太朗の頑張り次第だな!」
「……父さん、なんて言うかな?」
「誠か? アイツなら大丈夫だ! 晋太朗が本気でやりたいと思ってることなら、応援してくれるさ!」
随分と簡単に言ってくれる。
「なんでそんなに自信満々なのさ……」
「なんでって、そりゃ──」
じいちゃんの自信には根拠がないと思っていた。
でも、違った。
「なんでって、そりゃ──。誠は美代子が育てた子だからな! 人の気持ちを汲み取る力には長けてる。頭ごなしに反対するようなことはしないさ!」
笑顔でそう言い切ったじいちゃんのおかげで、僕はようやく父さんに相談する決心がついた。
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