第37話 芸術に欲情する変態
ここまで五十嵐を追い詰めた人たちが憎い。永遠の孤独という牢獄に五十嵐を閉じ込めてしまったのだ。お前には愛される資格なんてないとばかりに、五十嵐に消えない傷を残してしまった。
「お願いです。私のこと、襲ってください。襲うのが嫌ならたくさん襲わせてください」
好きな人とそういうことをするときの顔ではなかった。焦燥感に溢れていて、見ているだけで息が苦しくなってくる。受け入れられるわけがない。
「今は無理だよ」
「……やっぱり私よりも天宮さんの方がいいんですか?」
「違う」
否定しても、今にも泣き出してしまいそうなくらいに目を潤ませる。大好きなんだって伝えたくて、私は五十嵐の頬に手を当てた。視線が合うと顔を赤くしながら、そっと目を閉じてくれた。
やっぱり緊張する。五十嵐は凄いよ。キスだけじゃなくてえっちまで誘えるんだから。でもそんな凄いことを強いてしまう辛い過去を、私は許せない。
シーツを握り締めながら、そっと唇を重ねた。橋の上では一瞬で分からなかったけれど、今はじんわりと熱が伝わってくる。五十嵐のそれだと思うとずっと味わっていたくなる。
でも不意に五十嵐は私の胸に手を伸ばしてくる。びっくりして力が抜けてしまうから、なし崩し的にベッドに押し倒された。覆いかぶさるみたいに唇を重ねる。唇から伸びてきた舌が必死で私の中に入ろうとしていた。胸から下っていった指先が私の内股をいやらしく撫でる。
体温も高くなるし、鼓動だって騒がしい。私だって五十嵐のことは好きなんだよ。本能が叫んでる。負けてしまえばいいって。でもそんなの五十嵐の幸せには繋がらない。
全力で五十嵐の肩を押して、引き剥がす。涙が私の頬に落ちた。拒まれたとでも思っているのだろうか。そんなわけない。すぐに背中に腕を回す。強く抱きしめてキスも愛撫もできないくらい密着する。ベッドで二人、横になったまま耳元でささやく。
「えっちはまだ早いって思ってるんでしょ? 私と交わりたいって思うのは、そうでもしないと私を自分に縛り付けられないって考えのせい?」
「……天宮さんがいれば、私なんていらないじゃないですか。私、牧野さんに助けられてばかりです。全然お返しできないじゃないですかっ」
華奢な体が腕の中で震える。全然わかってないんだ。そもそも全ては五十嵐のおかげなのに。もしも五十嵐と出会ってなければ、天宮の提案だって拒んでいたはずだ。
前に進めたのは、五十嵐が私を空虚な日常から解き放ってくれたから。私にまた絵を描くという選択肢を与えてくれたから。助けたって認識じゃないのかもしれない。でも私からすると五十嵐との出会いはまごうことない運命の出会いだったんだよ。
けど、きっと口にしたところで信じてくれないのだろう。
今の五十嵐は自分を肯定する全てを信じられないのだ。
「これからたくさんお返ししてくれればいいよ。流石に私の恋心までは疑ってないよね?」
「……はい。今だってえっちな顔してくれてますから」
「それならそばにいて欲しい。五十嵐が隣で可愛く笑ってくれるだけで幸せになれる」
笑顔で頭を撫でてあげると、ぎゅっと抱きしめてくる。
「……でもえっちはしてくれないんですよね?」
「出会って三日は早すぎる。もっとまじめな付き合いをしたいんだよ」
「えっちしてくれないなら代わりにたくさん束縛しますけど、それでもいいんですか?」
もう離さないと主張するみたいに、私の右足を股の間に挟んで全身で絡みついてくる。五十嵐の言う束縛が何なのかは分からないけれど、鎖につないで監禁するとかじゃない限りは受け入れられると思う。
「……束縛って、例えば?」
「毎日おはようのキスが欲しいですし、いってきますのキス、おやすみのキスも欲しいです。あと、私がキスしたいって思ったときはどんな状況でもキスしてください。例え人前だったとしてもです。会社の同僚がみてても、学校のクラスメイトがみてても」
早口で言い切ったかと思えば、一呼吸おいて付け足す。
「……あと、天宮さんの前でも」
明らかに嫉妬のこもった声だった。天宮の人となりを知っている私からすると、本当に的外れな感情でしかない。あいつはほとんどの人間を人間だとは思っていない。
「言い忘れてたけど天宮は人には恋しないよ?」
「えっ?」
「人にどう思われるかもあまり気にしてない。昔は絵だけが全てだって考えてた。だからこそ芸能人になるって伝えられた時は信じられなかったよ。でも私自身も挫折を経て大きく変わってたから、そういうものなのかなって深く考えずに受け止めてた」
五十嵐の体から安心したみたいに力が抜けるから、抱きしめるのをやめる。ベッドの上で横になったまま見つめ合う。
「……人には恋をしない? だったら何に恋するんですか?」
「芸術だよ。絵でも彫像でも音楽でも文学でも。あいつは根っからの芸術家で、中学の頃から既に画狂だった。初めて会った時からして、私じゃなくて私の描く絵ばかりみてた。目も合わなかったんだ。声かけても無視されるしさ。なんだこいつって思ったよ」
思い出すと自然と笑みが浮かぶ。
「最初は意味不明なやつだったけど、初めて天宮の絵をみた瞬間、同類だって思ったんだ。こいつも絵に人生を乗っ取られたんだって」
五十嵐は不服そうに頬を膨らませていた。
「そこだけ聞けば、ラブストーリーにしかならなさそうなんですけど」
「いや、どう考えてもそうはならないでしょ」
絵に狂った二人が出会うだけで、どうして色恋の香りを感じ取るんだ。
「よくあるじゃないですか。人ではなく芸術にしか興味を持てない人が、次第に芸術ではなくその作者に心を惹かれていくって展開」
言われてみれば。でも現実はそこまで甘くない。
「今は知らないけど昔の天宮、芸術に欲情する変態だよ?」
「えっ」
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