非日常の終わりと日常の始まり
第34話 呪いを解く方法
「瑞希なら今度こそは私を乗り越えてくれるって信じてる。……信じてるからね」
強引な態度はどこへやら、春の昼下がりみたいに穏やかに笑って私を抱きしめ返した。けど振動するスマホを確認したかと思えば大急ぎで走っていった。
「ごめん。これから五十嵐さん達と打ち合わせだからっ!」
遠ざかる後ろ姿をみつめながら思う。せっかくの大舞台なのだ。全力で自分の限界に挑戦したい。それがかつて夢を追い求めていた幼い私への、一番の贖罪だと思う。
もちろん希望だってある。天宮の与えてくれた翼が、また私をあの輝かしい世界に連れ戻してくれるのではないか。諦めて大人になったふりをしていた。でも結局私は大人じゃなくて、今も夢を捨てきれていない。
欄干の向こう側に広がる海をみつめる。雲間から差し込む月の光でキラキラ輝いていた。手を伸ばすには遠いけれど、伸ばさないのももったいない。心の奥底がきらめいた。失ったはずの情熱がまた熱く燃えあがろうとしている。
「本当にあいつは馬鹿だよ」
きらめく光を握り締める。気付けば口元が緩んでいた。親友、という呼び名が頭の中に反響する。そんなわけないって思ってたんだ。今だってまだ自分が天宮の親友に相応しいとは思えない。けどここまで頑張ってくれるのなら、私も応えてあげたい。
またかつてのように、胸を張って隣を歩けるようになりたいのだ。
「……羨ましいです」
五十嵐はどこか寂しそうに微笑んでいた。友情はもっとも遠い感情なのかもしれない。五十嵐には私にとっての天宮がいないのだ。
「私が親友になってあげるよ」
「でも私たちは恋人ですよ?」
「恋人だからって親友になれないってわけじゃないでしょ? 友情と恋愛は両立するってこと、これからたくさん教えてあげるから期待しててね」
優しく頭を撫でてあげると、切なそうに微笑んで私の手に頬を寄せた。
「また前に進むことを選んだのなら私を越えてください。才能は呪いなんかじゃないんだって証明してください。努力で乗り越えられるものなんだって。……私が生まれたことは悪なんかじゃないんだって」
圧倒的な才能ゆえにお母さんが死んでしまった。お父さんも憎悪をまき散らした。五十嵐は自分の才能を呪いだと、人から可能性を奪ってしまう高すぎる壁なのだと今も思っている。
でもその壁をただの凡人な私が乗り越えたら? 五十嵐を踏み台にして、更なる傑作を生みだしたのなら? きっとその瞬間五十嵐の絵の才能は、呪いから祝福へと転ずる。
「そうだね。私、今度こそ五十嵐の心を折るから」
三日前、似たようなセリフを私は口にした。あの時のはただの時間稼ぎだった。偽物の希望だった。でも今は違うのだ。
本気で五十嵐を救いたいって思ってる。人生の全てを絵に捧げてでも、いつか必ず五十嵐の才能も呪いも全てぶっとばしてやるんだって。確証なんてない。でも諦めるつもりもない。
「どこまで飛べるのかは分からないけど、五十嵐の親友になれるように頑張るね。私はもう、諦めない。だから五十嵐も幸せになることを諦めないで」
もう川面は淀んでいない。月の光を反射して、夜空の星のように瞬いていた。
ほんのひと時の沈黙の後に、五十嵐は微笑んだ。
「……本当に牧野さんは凄い人です。分かりました。私も頑張ります。だから牧野さん。恋人としても怠けちゃだめですよ? これからもたくさんいちゃいちゃしましょうね」
隣で五十嵐がニコニコするからなんだか恥ずかしくなって、頬を指先でつついてやる。けど不意にその可愛い唇に意識が向いて思い出す。私たちはファーストキスをしてしまったのだ。五十嵐の唇の柔らかさを思い出して、悶えながら自分の唇に触れる。
顔が熱くて五十嵐の顔を見ることができない。五十嵐も思いだしたのかうつむいて悶えていた。けどすぐに顔をあげたかと思うと真っ赤な顔できっ、と睨みつけてくる。
「あんなのがファーストキスだなんて認めません。やり直しを要求しますっ。少なくとも今日中には正しいファーストキスをしますからねっ!」
「正しいファーストキスってなんだよっ」
思わず突っ込みを入れる。またキスできるのは嬉しいけど心臓が耐えられるか分からない。というよりキスをするような間柄なのに、私たち同じベッドで寝るんだよね? ……色々とまずい気がする。
いやらしい妄想ばかり浮かんでくるから、やっぱり五十嵐を直視できない。これで27歳だっていうんだから、本当に大人げない。まるで思春期の男子だ。
でも五十嵐も同じことを考えてしまったのか、耳まで真っ赤にしてちらちらと私に視線を向けている。私はジト目で五十嵐に問いかけた。
「……五十嵐、いやらしいこと考えてるでしょ」
「牧野さんだって。さっきから全然目を合わせてくれないじゃないですか」
「正しいキスとか意味不明なこと言ってくるから」
でも五十嵐の言い分も分からないでもない。ファーストキスは胸焼けするくらいに甘い方が良いに決まってる。さっきのはあまりに淡白すぎる。全然足りてない。むしろかえって欲求を刺激されてしまったのだ。
「どうせ我慢できなくなるくせに、何すかしたこと言ってるんですか。一緒のベッドで寝るんですよ? 今日こそ本当に襲われちゃうかもしれません」
わざとらしく体を庇う。図星だから何も言い返せない。理性がもつ自信がない。もう私には五十嵐を遠ざける理由がないのだ。情熱を燃やす自分は好きだから、自己否定の鎧で隠していた恋心も色々な欲望も全てが露わになってしまっている。
「だったらソファで寝るよ」
ぼそりとつぶやく。この言葉が最後の抵抗だった。でも五十嵐は唇を尖らせたかと思うと、腕を組んできて体を寄せたのだ。体温が伝わってきて全身が熱くなった。懇願するみたいな上目遣いでささやいてくる。
「一緒がいいです。……その、滅茶苦茶に襲ってくれていいですから」
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