第28話 失いたくなんてない

『五十嵐さん、娘さんが家出したみたいで。娘さんから送られてきたメッセージによると今は「牧野」って名前の人の所にいるらしくてね。もしかしたら瑞希なのかなって。家も近いし。五十嵐さん心配してるみたいなんだよ。もしも知ってたら教えて欲しい』


 自分で追い出しておいて、死んでしまいそうになるくらい五十嵐を追い詰めておいて。虫のいい話だとは思う。けど家に帰ってきて欲しいと思うだけの良心が残っているのなら、仲直りして五十嵐は輝きを失わずに済むかもしれない。


 でも私の口は無意識に嘘をついていた。


「……そうなんだ。それは心配だね」


 五十嵐なら私の隣にいる。今も私の手をぎゅっと恋人つなぎで握りしめている。恋人になる約束だってしたのだ。まだ、離れたくなんてない。 


『知らないか。てっきり瑞希なのかと思ったんだけど』


 もしかして気付かれてるの? 心がざわめく。


『あともう一つ用があって。今から会えないかな? 久しぶりに二人で話したいんだ。今どこにいるの? 家?』

「家の近くのショッピングモールだけど……」

『そうなんだ。ショッピングモールのどこ?』


 どうしてそんなことが気になるのだろう。疑問に思いながらも反射的に答えてしまう。


「二階の端っこのエスカレーターの近く。でも天宮って東京にいるんじゃないの?」

『ううん。ちょうどそこに来てる』


 自分の不用意さが嫌になった。大慌てで辺りを見渡す。私たちが今いる人気の少ない通路の向こう側には、たくさんの人が行き交っていた。反射的に天宮の姿を探してしまう。


『今度、瑞希の家の近くの会場で番組の撮影があってさ。正月特番なんだけど「巨匠」って生放送の番組で。私と五十嵐匠一さんが全国から挑戦者を募集して、ライブペインティングで対決するって企画なんだ。打ち合わせが近くであるから、何か買ってから瑞希の家にも寄ろうかと思って。まさかお土産もなしに行くわけにはいかないでしょ? 親友なんだから』


 声には親しみが籠っている。私が五十嵐と一緒だということを疑っているわけではないのなら、なんとか誤魔化さなければならない。


 これからもしばらく一緒に過ごせるんだって思って、たくさん服も買ったのに。もう別れてしまうのは寂しすぎる。大人げないとは思うけれど、せめてもう少しだけでいい。一緒にいたい。


 私と五十嵐の過ごす世界は全然違う。帰る家が同じだから今は繋がっていられる。けれどもしも離れれば関係は希薄になる。お父さんと仲直りなんてしたら、やがては自然消滅して五十嵐と離れることになってしまう。絶対にそうなる。


 私なんかが五十嵐を引き留められるとは思えない。別れるにしたってもう少し先だって思ってたのに、胸が締め付けられるみたいに苦しいのだ。無意識に五十嵐の手を握り締めてしまう。


「どうしたんですか?」

「なんでもないよ」   


 作り笑いを浮かべていると、五十嵐が頭を撫でてくれた。


 やっぱりこの子を手放したくなんてない。もしもいなくなれば私はもう生きていけない。どうにかして五十嵐を隠さないといけない。平静を装った声で問いかける。


「……いまどこ?」

『あと五秒くらい』


 慌てて通路の向こう側に目を向ける。こちらに気付いた天宮がニコニコと手を振っていた。変装のためか帽子をかぶって枠の太い黒縁の眼鏡をつけている。


 相変わらずスタイルが良い。五十嵐と同じくらい顔が小さくて手足が長くて、でも五十嵐とは対照的な豊満な胸はブラウンのロングコート越しでも分かるほどだ。ウェーブのかかったふわふわの長い髪はお姫様みたい。


 表情をこわばらせながらも笑顔を浮かべて、小さく手を振った。さりげなく五十嵐を背中に庇うも、不思議そうな顔で肩からぴょこんと天宮を覗き込んでいる。


 天宮が不審そうに首をかしげるから、慌てて五十嵐を隠す。でも手遅れだった。いぶかしむみたいに体を傾けながら歩いてくる。


「……その子、彩佳さんだよね?」


 普段は澄み渡る青空みたいな明るい声なのに、今は霧がかったみたいに薄暗かった。

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