第27話 天宮からの着信
人気のない衣類売り場を歩いて、五十嵐に似合いそうな可愛い服を販売している店に向かう。そもそも私たちがここに来たのは服を買うためなのだ。人目を盗んで試着室でいちゃいちゃするためではない。
「あの、牧野さん。今の私たちって恋人なんですか? それとも友達?」
恋人つなぎをじっとみつめながら五十嵐がささやいた。その表情は不安と期待に染まっていて、握った手にも力が籠っている。
「……今はまだ恋人じゃない。でも全てを終わらせたなら、そのあとでも私と付き合いたいって思うのなら、恋人になってもいいよ」
周りに人がいないのを確かめてから、五十嵐の頬にキスをした。
「えへへ。分かりました。キスに免じて信じてあげます」
あざとい笑い声で可愛い笑顔を浮かべている。頬にキスをするだけでも一大事だというのに、こんな心を開ききったような笑顔もみせてくれるのだ。照れくさくて顔が熱くなる。けれどチクリとした罪悪感も覚える。
でもそれは私にはどうしようもないもの。可能性は無限大ではない。人は思ったよりも窮屈で、それを打ち破ってくれるのが夢だってことも知ってる。でも私は五年前に翼をもがれてしまった。
もう地を這うことしかできないのだ。五十嵐と一緒に空は飛べない。
人混みを抜けて、アラサーが足を運ばないような若者向けの店にたどり着いた。休日なだけあって中には若い女の子たちがたくさんいる。
「混じってきなよ。私は外で待ってる。お金渡すから」
「一緒に来てくださいよ。恥ずかしいじゃないですか。そもそも牧野さんが服を選んでくれるって約束でしたよね?」
人の行き交う通路で小さな子供みたいに手を引っ張る五十嵐。地味な服を着させてるだけだから、恥ずかしいというのも分かる。
もっとも五十嵐が着ればどんな服だって輝いて見える。今だって五十嵐と同年代の女の子がキラキラした目で見惚れている。
友達と「あの子モデルさんみたい」なんて言葉を交わしているのが聞こえてきた。だとするなら地味な私は「マネージャーみたい」とでも思われているのだろうか。
「……あの人たち、牧野さんの良さが分からないんでしょうか」
なんて隣で五十嵐がぼそりと口にするから、苦言を呈する。
「私は平凡だよ。もしも綺麗にみえるのならそれは五十嵐が私に……」
惚れてるから、なんて言いそうになって口をつぐむ。惚気ているみたいで恥ずかしい。
「客観的にみても美人ですよ。主観的には私よりも綺麗だって思いますけどね。誰かに取られてしまわないか不安なくらいです」
艶めかしい笑顔を浮かべて、私の首のキスマークを指先で撫でてきた。「牧野さんは私だけのものです」とでも言いたげだ。横を通り過ぎるくらいな気にならない赤色だけど、少しでも注意を向けられたのなら私たちの関係を見抜かれてしまうだろう。
慌てて手のひらで隠す。私は遠慮したのに、五十嵐は無秩序に惚気てくるのだ。顔が熱い。どう反応すればいいんだよ……。褒められるのになんてなれてないし、絵ばかり描いていたせいで恋人だっていたことはない。いなし方なんて全然わからない。
横目で五十嵐をみつめて黙り込んでいると、目が合った。
「もしかしてまたいちゃいちゃしたくなりました?」
恋人つなぎをやめて、ぎゅっと腕を組んでくる。目をとろんとさせていて、人に見せてはいけない顔になっている。とっさに自分の体で五十嵐を隠した。こんな顔、私以外にはみせて欲しくない。
「……浮かれているのは分かるけれど、流石に時と場所はわきまえるべきだよ。一人で街を歩いてるとき、たまにイチャイチャしてるカップルみることあるでしょ? どんな風に思った? あんな風にはなりたくないなって思ったでしょ?」
冷静に諭してあげると、五十嵐は恥ずかしそうに俯いてしまった。まだ子供なのだ。すぐに浮かれて前後不覚になる。大人として私が常識を教えてあげないといけない。
「……とりあえず二人で店に入りましょうか」
「五十嵐を一人にさせるのはなんだか不安だからね」
私たちは恋人つなぎのまま店に入った。よくよく考えてみれば恋人つなぎを許容している時点で私も同類だとは思うのだけれど、でも今はこのままでいたかった。
店から出てくると、五十嵐の衣服が入った袋で私の両手は塞がっていた。五十嵐ならどれを着ても似合う。可愛い服をみるたび着て欲しくなって、買いすぎてしまったのだ。
「私の体は一つだけですよ? そんなにたくさん買ってどうするつもりなんですか」
お金を無駄遣いしたと思っているのか、五十嵐は不服そうだ。
「怒らないでよ。制服姿の五十嵐も可愛いけど、もっと色々な五十嵐をみたいんだ」
微笑むと五十嵐は嬉しそうに笑ってゆらゆらと体を揺らした。
「だったら私にもたくさんの牧野さんをみせてくださいね?」
「……うん」
手を差し出すから、片方の袋を五十嵐に手渡した。空いた手でごくごく自然に恋人つなぎをする。これまでの人生で五本の指に入る程度には、幸せな時間だった。
人の行き交う通路を歩いて、私向けの落ち着いた服の店に入る。五十嵐の好みに合わせてつつがなく購入を終えると、気付けば時間は午後五時を過ぎていた。イルミネーションをみるにはちょうどいい頃合いだ。
そろそろショッピングモールを出ようかと考え始めたとき、スマホが震えた。
五十嵐と一緒に人の少ない通路に入って、脇のソファに荷物を置く。それから画面を確認する。かつて私の心を折った絵の天才、天宮の二文字が表示されていた。心臓をきゅっと掴まれたようになる。
「誰ですか?」
「……友達。ごめんね。デート中なのに」
小さく頭をさげると、五十嵐は口元を緩めた。
「本当にデートだって思ってくれてるんですね。嬉しいです」
「当たり前でしょ。たくさん口付けされて、首には自分の物だって主張するみたいなキスマークだってつけられたんだから。これでデートじゃないって思う方が無理だよ」
思い出すだけで顔が熱くなる。五十嵐も顔を真っ赤にしていた。ため息をついてから電話に出る。
「もしもし?」
『おぉ凄い。瑞希の声だ』
「そりゃ電話なんだから……」
大昔の人かと突っ込みたくなるのをこらえる。天宮はテレビでは猫をかぶっているけれど、私の前ではおとぼけた発言も多い。
「わざわざ電話をかけてきたってことは、何か理由があるんでしょ」
テレビに出始めたころは『出演するから見てくれてると嬉しい』なんて電話で伝えてくれたっけ。でも最近の天宮はテレビで多忙だから、重要な話をするとき以外はいつもメッセージを送って来る。
『五十嵐彩佳さんって知ってる? 五十嵐匠一さんの娘なんだけど』
反射的に隣にいる五十嵐に目を向ける。客観的にみて、私と五十嵐の関係は公にできるようなものではない。家出少女と、それを親元に返すこともせず恋仲になっているOL。そもそも私たちは一緒に過ごせるような立場ではないのだ。
天宮の意図はまだ分からない。でも嫌な予感がしてならなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます