第24話 矛盾
小さなころ家族と手を繋ぐことはあったけれど、これまで誰かと付き合ったことはない。人前でそんな大胆なことをすれば恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。
「恋人つなぎはだめだから」
「えー」
不満そうな声をあげてジト目でみつめてくる。可愛いけどそんな顔してもだめだ。
「恋人じゃないんだから当然でしょ?」
「いい加減自分を好きになったらどうですか。牧野さんは私に釣り合ってます。というか、むしろ私にはもったいないくらいですよ」
冗談なのかと思うけれど、表情は至って真剣だった。まだ自分を蔑んでいるのだろうか。でも五十嵐はお父さんだけじゃなくて家族全員から嫌われていたのだ。お母さんに至っては自分のせいで自殺したのだと考えている。
五十嵐は自分を信じるには傷つきすぎている。私も精一杯五十嵐を愛してあげるつもりだけれど、それでは根本的な解決にはならないのかもしれない。
「……恋人つなぎ、それでもだめなんですか?」
五十嵐は寂しそうな顔で私をみつめてくる。
「分かったよ。でも恋人にはならないからね?」
「むぅ。残念ですけど今はそれでいいです」
「今は、じゃなくてずっとだよ」
私がため息をつくと、五十嵐は不満げに頬を膨らませて私の手を握ってきた。指先を絡める恋人つなぎだから、熱がより直接的に伝わってくる。じんわりと頬が熱くなった。
「牧野さんこそ自分のこと嫌いなままじゃないですか。そういうの自分勝手っていうんですよ。人には好きになれって言うくせに、自分のことは好きにならない」
「私と五十嵐では持つものが違いすぎるでしょ」
「……私が天才だから恋人になってくれないんですか? だったらもしも私が全てを失ったら、私のこと好きになってくれるんですか?」
上目遣いで懇願するみたいにみつめてくる。五十嵐が全てを失うなんて、そんなことはあってはならない。手をぎゅっと握りしめて、真っすぐに五十嵐に伝える。
「絶対に失わせないよ。絵だって、お父さんのことだってそう。まだどうすればいいか分からないけど頑張るから。五十嵐が何のしがらみもなく天才として活躍できるように。私なんかに頼らなくてもよくなるように」
五十嵐にはどこまでも羽ばたいて欲しいのだ。自分の全てをかけた理想の絵画で人々を感動させる。それはもはや私には抱けない夢だ。
天才たちに立ち向かう情熱なんて、私の中には残ってはいない。
画材を車の後ろに運んでから車に乗る。助手席から五十嵐が問いかけてきた。
「牧野さんにとって、理想の自分ってなんなんですか?」
「……考えたこともない」
「だったら考えてください」
唇をかみしめて悔しそうに目を細めている。私よりもよほど辛そうなのだ。五十嵐も私を大切に思っているのかもしれない。だとしても、私が自分を好きになることはもう二度とない。
「そもそも理想の自分なんて青臭い考え、荒んだ大人は抱かないんだよ。子供の頃は私だって夢を持ってたけど、今は思いだすだけで辛くなる。だから考えさせないで欲しい。私のことを思ってくれるのならね」
自嘲的な笑みを浮かべると、五十嵐の表情は悲痛なほどに険しくなった。五十嵐のことは幸せにしたい。そのためならどんな嘘だってついてあげたい。けどそこに私が絡んでくるのなら、嘘はつけない。
「……牧野さんが自分を好きにならないのなら、私だってずっと嫌ったままでいますよ。お父さんと仲直りだってしませんし、絵だって嫌いなままです。ずっとずーっと自分を呪ってやりますからっ!」
目を見開いて五十嵐をみつめた。理解できない。どうして私なんかのためにそこまでしようと思うんだ。ため息をついてからエンジンをかける。ハンドルを握って色鮮やかな秋の山道を下ってゆく。
私が五十嵐に向けているのと同じくらい、五十嵐だって私を大切に思ってくれているのかもしれない。でも仮にそれが真実だとしても、受け入れられないだろう。
五十嵐の愛は、もっと優れた人に向けられるべきだ。例えば天宮とか。少なくとも私ではない。もちろん私が五十嵐に相応しい存在なら喜んで受け入れたと思う。けど現実にはそうではない。
五十嵐ほどの人の愛を無条件で受け入れられるほど、私は優れてないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます