第22話 人肌の安らぎ
「ふぅ。僥倖……。いえ、ひどい目にあいました。というか、牧野さんって意外とあるんですね」
ハグから解放された途端、五十嵐がセクハラおやじみたいなことを口にする。ジト目を向けると綺麗な顔が間近に広がる。私の肩に頭をもたれさせているのだ。ほんのり甘い匂いがして心が休まらない。
心臓がうるさいけれど何ともないふりをして、青い海に視線を逃がす。
「そういうのセクハラで訴えられるよ。最近はコンプラが厳しいんだから」
「それなら今度は牧野さんが私の胸に顔をうずめてみますか? そもそもセクハラなんてものが起きるのは、する側がされる側の気持ちを知らないからです」
なんてことを言うんだこの子は。確かにその意見はもっともだとは思うけれど、子供が大人に甘えるならともかく、その逆は事案だ。
というかそもそもだけど五十嵐にはうずもれるほどの胸があるようにはみえない。起伏もなく滝のようにすとんと落ちている。
「今なにかひどいこと考えませんでした?」
不服そうに眉をひそめてジト目でみつめてくる。
「私、着やせする方なんですよ? 牧野さんと同じで脱げば凄いんです」
「……脱げば凄いって。五十嵐って息を吐くようにセクハラするよね。勝手に頭の中で私を脱がしたってことでしょ? じゃなきゃそんな言葉出てこない」
私が笑うと、五十嵐は頬をほんのり赤らめて唇を尖らせた。
「……今朝リビングで突然下半身を露出した牧野さんのせいじゃないですか」
「変質者みたいな表現しないで」
思いだしたくもないことを思い出してしまって、顔が熱くなる。
「そもそも下をみたからってなにも関係ないでしょ」
「下をみてしまったのなら、上だって想像してしまう。人ってそういうものですよ。パズルが下半分だけ埋まってたら、上だって埋めたいって思うでしょう?」
なんなんだその理屈は。パズルは埋めることで達成感を得られるけど、私の上半分を想像して一体どんな利益を得られるんだ。やっぱり五十嵐は変わってる。そんな変わり者なところですら可愛いと思ってしまう私も、きっと変わり者だ。
寄りかかって来るのをやめたかと思うと、五十嵐はハグを待つみたいに腕を広げた。
「テレビでみたんです。好きな人にハグするとストレスが大きく減少するって」
「そんなにしたいの?」
「凄くしたいです。そもそも私だけが一方的にハグされて恥ずかしい思いをするのは不公平じゃないですか? 昨日も後ろからハグされましたし」
なんて言いながら、もう既に五十嵐は恥ずかしそうにしている。でも表情は本気だ。何が五十嵐をここまでかきたてるのかは分からないけれど、まぁこれくらいなら別にいい。偽りの幸せのために恋人になったりキスをするよりは百倍ましだ。
「分かったよ。好きにすればいい。これでも一応はデートなわけだしさ」
承諾すると五十嵐はためらいがちに私の背中に腕を回した。すぐに抱き寄せられて、五十嵐の胸が近づいてくる。まじまじとみつめるのには耐えられないから、不服ながらも目を閉じて寄りかかる。五十嵐の温もりが私の全身を包み込んだ。
ふにふにしてて思ったよりも柔らかいし、あながち着やせというのも嘘ではないのかもしれない。温かいし、五十嵐の匂いが濃くてなんだかくらくらしてくる。気付けば無意識のうちに五十嵐の背中に腕を回していた。
「……どう、ですか?」
不安げな声だから、私は顔をあげて上目遣いで五十嵐に微笑んだ。
「恥ずかしいけど、これは確かにストレス減るね」
「その、それ以外になにか感じることとかないですか?」
五十嵐は顔を真っ赤にしながらも、真剣なまなざしで私をみつめていた。
感じることか。深い海のような母性? いや、流石に気持ち悪いな。でも思い返せば、大きくなってからは抱きしめられることなんてほとんどなかった。一応あるにはあるけど、天宮のあれは犬にじゃれつかれてるみたいな感じだし。
「昔は友達にも抱きしめてもらうことが結構あったんだけどさ、でも……」
「えっ……」
どうしてか目を見開いてショックを受けている。世界が終わったみたいな顔だ。
「それ、本当に友達ですか? 彼女とかじゃなくて?」
「抱きしめるだけで彼女なら、私たちだって恋人になっちゃうでしょ?」
「た、たしかに。私たち抱きしめるだけじゃなくて、一緒のベッドで寝ちゃってますもんね。そんなのもう実質結婚じゃないですか……」
多感な高校生だからか、五十嵐は見ていて恥ずかしくなるほどに悶えていた。でも私と五十嵐が恋人になるなんてあり得ない。五十嵐が太陽なら私はただの石ころだ。
「だからあいつともただの友達だよ」
「……その友達ってどんな人なんですか?」
五十嵐の手が優しく私の後頭部を撫でてくれるから、温かくて柔らかいのも相まって、なんだか眠たくなってきた。ぼんやりとした意識で答える。
「……今のあいつは表向きはおしとやかなんだけど、本性は天真爛漫というか。学生時代も美人だからよく告白されてたね」
「私とどっちが綺麗ですか?」
私は長椅子の上に横になって五十嵐の太ももに頭を置いた。そのままじっと五十嵐を見上げる。五十嵐は下から見上げても綺麗だ。私のタイプであるってことも影響しているのかもしれない。初対面で見惚れてしまうほどには五十嵐の顔が好きなのだ。
「五十嵐の方が綺麗だよ」
「そうですか。まぁ当然ですよね。私ほどの美少女は見たことないですし」
どや顔で胸を張っている。なんだかうざったい表情だけどその通りだ。あんまりに可愛いから夢や幻みたいに思えてしまうこともある。腕を伸ばして五十嵐の髪に指先で触れた。
「五十嵐は全部綺麗だよね。目も眉も鼻も口も輪郭も肌も髪も声も……」
考えれば考えるだけ無限に浮かんでくる。一時間くらいならずっと五十嵐を褒めていられそうだ。でもそれを妨げるみたいに五十嵐の手のひらが私の顔を覆った。
「わーわー! 褒めごろすつもりですかっ! もうっ! というか何平然と膝枕させてるんですかっ。彼女ですか? 彼女なんですかっ!? 牧野さんのばか!」
わなわなと震えながら大騒ぎしている。手のひらで隠されて表情が見られないのが残念だ。五十嵐のことだからきっと天使みたいに可愛い顔をしていて、たくさん私をドキドキさせてくれるだろうに。にしても彼女か。……五十嵐の彼女。
「……ふふ。それも悪くないかもね」
現実には不可能だとしても、妄想の中だけなら悪くない。眠気がなくて意識がはっきりしていればこんなことは言わなかったのだろうけれど、眠いとどうしても本心が顔を出してしまう。
私は五十嵐が好きなのだと思う。恋人になってもいいくらいには。
「ま、またそんな冗談口にして。これまで散々拒んできたじゃないですか。私をからかおうって魂胆なんでしょう?」
五十嵐のお腹の方に寝返りをうって、目を閉じる。
「何か返事してくださいよ」
さわさわと髪を撫でてくれるから、なおさら眠くなってしまった。
「……少しだけ寝させて」
「赤ちゃんなのはどっちですかっ!」
五十嵐はため息をつきながらも、私がそうしたみたいに優しく頭にキスを落としてくれた。誰かに抱きしめてもらうのも、膝枕をしてもらうのも本当に久しぶりで。この安らぎの前には眠気をこらえられなかった。
五十嵐の匂いと温もりに包まれて、安らかな気分のまま私は眠りに落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます