第21話 五十嵐は赤ちゃんだよ

「私にはあなたしかいないんです。あなたに拒まれたら、あなたがいなくなったら、もうどうしようもなくなるんです。お願いです。私と付き合ってくれませんか?」


 今にも消えてしまいそうな儚い笑顔だった。五十嵐は馬鹿だ。好きでもない相手と恋人になってもただただ傷付くだけなのに。依存なんて正しくない。こんなに不幸になったのだ。五十嵐の人生に用意されているのが、偽りの幸せではだめだ。


「私のこと好きだっていうのならするけど、そんなわけないでしょ? これ以上傷ついて欲しくない。もしも私が五十嵐のこと好きになったとしても、絶対に付き合わないしキスだってしない」


 五十嵐は幸せになるべきだ。きっとこの世界のどこかにいるであろう、五十嵐に相応しい人と。五十嵐を心から好きになれて、世界で一番幸せにしてくれる人と。


「……美しすぎるというのも、考えものですよね」


 五十嵐は私から顔をそむけた。


「美しいというだけで距離をとられる。ガラス細工みたいに扱われたいわけじゃないんですよ。私だってただの人なんですから。そこまで丁寧にされたならむしろ苛立ちます」


 肌は雪みたいに白くてきめ細やかで、目も大きくてまつ毛だって長くて鼻だって高くて、唇だって薄桃色でみずみずしくて、……正直に言うと今すぐに奪ってしまいたいくらい魅力的だ。


 それでも私がキスをしないのは、丁寧に扱うとかそういうことじゃなくて、五十嵐の投げやりな態度を嫌っているからだ。


「五十嵐にはもっと相応しい幸せがあるよ」

「……出会ったときからそうでしたけど、未だに意味不明です。てっきり私に性的な興味を抱いた女好きのお姉さんなのかと思ってましたけど違うみたいだし」


 最初は体目当てだって思われてたんだ。確かに滅茶苦茶警戒してたもんね。でも客観的に考えればそう思われるのも当然だ。全くの赤の他人なのに家にまで泊めて、追いかけてまで連れ戻そうとするのだから。


「というかむしろそっちの方が安心できます。だって私の美貌に惹かれているのなら、それさえあれば見捨てられないってことじゃないですか」


 五十嵐はお弁当を全て食べ終えて、蓋を閉じた。手持無沙汰になったからか髪を梳きながら、街並みの向こうに広がる青い海をみつめている。

 

「……どうすれば見捨てないって分かってくれるの?」

「きっと何をしても無理ですよ。体目当てでもない。恋人にもなってくれない。揺らがない心のつながりができるほどの長い時間を過ごしたわけでもない。いつ嫌われてしまうのかびくびくしながら、刹那的な幸せを味わうだけです」


 なんてすれたセリフをすれた表情で口にするのが気にくわない。もしも離れていくのだとすれば、それはきっと五十嵐だ。私に五十嵐を引き留めるような力はない。五十嵐が私に寄りかかってくれるのは、あくまで味方が私しかいないからなのだ。


 もっと凄い人が現れたのなら、五十嵐はその人と幸せになれるはずなのだ。


「……五十嵐。こっち向いて」


 首をかしげながら私に顔を向けた。私は椅子の上を移動して、五十嵐との距離を縮める。至近距離でみつめていると、何を勘違いしたのか五十嵐は頬を赤くしながら目を閉じた。ついつい唇に目が向くけれどため息をつきながら首を横に振る。


 五十嵐のファーストキスは私のものじゃない。


 背中に腕を回して、胸に顔をうずめさせるように五十嵐を抱きしめた。


「むぐっ。柔らかい……。じゃなくてっ! なんですかこれっ!?」


 私の胸に包まれながらもごもごと口を動かす。吐息が吹きかかってむずがゆいし、恥ずかしい。けど離すつもりなんてないから、なおさら強く抱きしめる。


「今日から五十嵐は赤ちゃんだよ」

「えっ。……もしかしてそういう性癖の方だったんですか? でもそれなら私、将来的には牧野さんのおっぱいを吸うんですよね……」


 ドン引きしたような低い声をあげたかと思えば、急に悶えるみたいに足をばたばたさせていた。酷い勘違いをしているみたいだ。そういう意味じゃない。


「五十嵐は私に無償の愛を注がれる赤ちゃんなんだよ。今は恩返しだとかそういうのは気にしなくていい。ただただ愛されていればいいんだよ」

「……でもそれは」

「嫌だって言ってもやめないから。たくさんたくさん愛してあげて、いつか辛い気持ち忘れられるまで、絶対にやめてあげないからっ!」


 五十嵐の髪に浮かぶ白い天使の輪っかにキスを落とす。唇はだめでもこれくらいならいいはずだ。でも五十嵐はまたしても悶えるみたいにばたばた足を動かしていた。

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