第18話 天才画家

 リビングの五十嵐にキッチンから問いかける。


「お昼ご飯としてお弁当作るつもりなんだけど、五十嵐は何を食べたい?」

「私はまた唐揚げが食べたいです。というか唐揚げだけでもいいです」

「茶色のお弁当で良いの?」


 五十嵐くらいの年頃の女の子なら彩りは気にすると思う。


 まだ実家で暮らしてた高校生の頃、漁師をやっているお父さんがたまにお弁当を作ってくれることがあった。まさに男飯って感じの色合いだったから、普段は人目を気にしない学生時代の私でも流石に恥ずかしかった。


 そういえばお父さんも絵をやめるって伝えたら悲しそうにしてたな。お母さんもおじいんちゃんもおばあちゃんも、みんな悲しそうにしていた。


 嫌なことを思い出すから、ため息をつく。


「良いですよ。牧野さんが作ってくれるのなら、なんでも大好きです」

「分かった。ちょっとだけ待っててね」

「楽しみにしてます」


 いつもより気持ち急ぎ目にお弁当を作って、リビングに持って行く。それから身支度を整える。クローゼットの中から自分の服と、あと細身な五十嵐でも身につけられそうな服を探し出した。


「これ着て。休日なのに制服でうろうろするのは変でしょ。今日中に五十嵐に似合う服を買ってあげるから今はそれで我慢して」

「……牧野さんの服」


 手渡されたインナーやダウンなんかをなぜか五十嵐はまじまじとみつめていた。その様子を横目でみながら、私はパジャマを脱ぐ。


 五十嵐は目を見開きながらもじっと私をみていたけれど、ズボンが床に落ちて下着姿になると、視線を私の下半身に集中させた後、凄い勢いで背中を向けた。


「ちょ、ちょっと。何してるんですかっ」


 その声を聞いて、はっとする。意識が完全によそに向いていた。一人で過ごしていた時の癖で、リビングで服を脱いでしまったのだ。


 認めたくはないけれど、慣れないデートに浮足立っていたからなのだろう。慌てて床に落ちたパジャマを拾い上げて体を隠す。 


「……ご、ごめんっ」


 五十嵐はちらちらと振り向いては、恥ずかしそうに悶えている。そんな反応されたら私まで余計に恥ずかしくなってくるでしょっ。


「なんで五十嵐が恥ずかしがるんだよっ!」

「恥ずかしがりますよっ!」


 服を抱えたままどたどたと脱衣所まで走って行ってしまう。こんなつまらない失敗して、なんだか今朝の私は私じゃないみたい。いや、今朝に限った話じゃないか。五十嵐が現れてからずっとだ。


 顔をじんわりと熱くしながら着替え終わる。絵を描く予定だから、汚れてもいい灰色のパーカーと防寒性能の低そうなジーンズ。寒いだろうけどふわふわもこもこなのを履くわけにもいかない。デートとはいえ、コンクール用の絵を描くのだ。


 しばらくするとジト目な五十嵐が脱衣所から戻って来る。


「牧野さんの変態……」

「ごめん。私が悪かった。ついいつもの癖で」

「しかたないですね。許してあげます。さっきの光景は眼福……」


 眼福? ジト目で見つめていると五十嵐は首をぶんぶん振った。


「と、とても眼福とは呼べませんが、それでも私は寛大な天才美少女ですからっ!」

「そりゃ私のスタイルは五十嵐よりもずっと劣ってるけどさ……。そこまでいう?」


 ジト目で見つめるも、五十嵐は張り付いたみたいに強気な表情を崩さない。小さくため息をついてから、胸を張る五十嵐の服装に目を向ける。


 やっぱり服のサイズが大きいみたいで全体的にぶかぶかだ。でもそのおかげで萌え袖を拝むことができた。ちょこんと覗く指先が、五十嵐の美貌も相まって凄まじく可愛らしい。気付けば無意識につぶやいていた。


「……にしても五十嵐やっぱり可愛いね」

「なっ……。いきなりなんですかっ」


 ちょこんと飛び出した指先が萌え袖をぎゅっと握りしめている。


「……ごめん。でも五十嵐だって自覚してるでしょ?」

「それはそうですけど、そういうことじゃないんですっ!」


 オーバーリアクションなくらいに顔を赤らめてもじもじしているのだ。どれだけ私のことが好きなんだよ、と突っ込みたくなる。五十嵐ならもっといい人はいるだろうに。


「女同士なんだからそこまで反応しなくても」

「……牧野さんも可愛いです」

「え?」

「服もよく似合ってます。可愛いです。すっごく可愛いですっ!」


 五十嵐は恥ずかしさを誤魔化すみたいに乱暴に私の手を握った。


「はやく一緒に行きましょうっ!」


 そのままの勢いで、どうしてか半分キレながら手をぐいぐい引っ張っていく。あまりに可愛いから、微笑みながら頷く。すると五十嵐も照れくさそうに頬を緩めた。


 エアコンとテレビを切ってから、五十嵐に引っ張られるようにして玄関に向かう。扉を開いて廊下に出た五十嵐は秋の朝の澄んだ空気を、肺の奥まで深く吸い込んでから微笑む。


「今日は楽しい一日にしましょうね」


 優しく頭を撫でてあげると、五十嵐は無邪気に笑った。二人で手を繋いだままエレベーターに乗って、マンションの駐車場に向かう。


「流石に画材を背負って歩いていくってのは辛いでしょ。そもそも今日の目的地は歩いていけるような距離じゃないし、最寄りの駅からも遠い」

「でもやっぱり意外です。ここって割と都会だから車なくても困らないじゃないですか」

「故郷が田舎だからね。免許を取るのも車を持つのも当然って価値観だった。この街に住むならいらないってことには後から気付いた」


 それでも車を手放さない程度には、私は絵画に対して後悔を残していた。元気が残ってる休日はたまに一人で美術館や景勝地を巡っていたのだ。


 後ろに画材を積み込んでから運転席に乗り込む。五十嵐は迷わず助手席に座っていた。家族で車を使う時は助手席に座っていたのだろうか。 


 今日は胸がすくほどの快晴だった。青空の下、車を走らせて灰色のビルが立ち並ぶ市街地を抜けると、ちょっとした山道に差し掛かる。

 

 そこを登っていると、秋色に染まった木々の間から煌めく海がみえた。五十嵐は目をキラキラさせて海と街をみつめていた。横顔はいつにもまして綺麗にみえた。


 山の上の駐車場に車を止める。土曜日だけれど閑散としていた。向こうの芝生には小さな東屋と落下防止用の柵が建っているだけで、景色を妨げるものは何もない。


「17年も住んでるのにこんな場所初めて知りました」

「いい場所でしょ」


 車を降りると五十嵐はすぐ嬉しそうに私に寄りかかってきた。人がいないから腕まで組んでくる。それだけで顔が熱くなってしまうのは何とかしたい。でもいつまでたっても慣れる気がしない。五十嵐はきっと世界の誰よりも可愛いのだ。


 とはいえ、べたべたされると動き辛い。


「ちょっと。動けないでしょ」

「これは牧野さんを惚れさせるためのデートでもあるんですよ? 牧野さんだって私を惚れさせるつもりでデートしてください」

「……どういうこと?」

「私に自分のこと好きになってもらいたいんですよね? 牧野さんにたくさんアプローチしてもらえたら、好きになれるかもしれないです」


 甘えるみたいな声で微笑む。別に恋人として愛してあげる必要はないと思うけど。でも黙り込んでいると不服そうに頬を膨らませてしまう。仕方なく頷いてあげた。


「……分かったよ。とりあえず今は離れて。画材運ばないとだから」

「残念ですけど、分かりました」


 二人で後ろに積んである画材を抱える。五十嵐と二人で芝生を歩いて、海と街を一望できる東屋に向かった。その下には机と長椅子があるから二人で腰かける。


 今日はいつもより気温が高い。吹く風は程よい涼しさだった。イーゼルを展開してから、キャンバスを設置した。その瞬間、五十嵐からはこれまでの軽い態度が消える。


 一人の天才画家が私の隣に現れた。

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