第12話 凡作

 運命の巡りあわせだなんて思わない。でもいったい誰が想像しただろう。人を避けて、普通にこだわって、絵も諦めて、いつだって本当の自分をさらけ出さない。そんな私が今や、出会ってたった二日の五十嵐とこんな親密な距離感で絵を描いている。


 昨日までの私は自分が大嫌いだった。でも今はほんの少しは自分を好きになれている。全て五十嵐のおかげなのだ。穏やかな気持ちで華奢な体を後ろから抱きしめる。こんな風に人の温もりを全身で感じたのは、いつ以来だろうか。


「心を折ってくれるって約束はどうなったんですか?」


 膝の上に座ったまま、重ねられた右手で五十嵐はキャンバスに絵を描く。微笑みから発されるその声に非難の色はみえない。


「願うなら叶えるよ。でもできれば五十嵐には自分のことを好きになって欲しい。過去も才能もすべて含めて、自分を愛して欲しいんだ」


 筆の動きが手を通じて伝わってくる。キャンバスを覗き込むとそこには五十嵐にしては明らかに歪な絵が描かれていた。常識はずれの姿勢で、しかも私と手を重ねてるわけだから当然だ。


 でも五十嵐の表情は柔らかいままだった。


「見た目だってそうだよ。容姿も才能の一つでしょ。自分の一部なんだよ。そのせいで苦しんで欲しくない。自分を嫌いになって欲しくないんだ」


 不意に五十嵐が色っぽい流し目でみつめてくる。


「……私の顔、好きですか?」


 恥ずかしいけれどここは率直な感想をぶつけるしかない。


「好きだよ。可愛いし、スタイルだっていいし、髪の毛だってさらさらだし、匂いだってずっと嗅いでいたい。……これまで見てきた人の中で、誰よりも大好きだよ」


 顔の熱を我慢しながら気持ちをぶつけると、五十嵐は真っ赤になった。隠すみたいに頬に手を当てて、視線を惑わせている。


「そ、そうですか。そんなに私の見た目が好きなんですね」

「うん。大好きというか、もうほとんど愛してる」

「えっ」


 びくりと体を震わせた。流石に言い過ぎたかなと思う。けど言葉が足りなくて五十嵐がまた自分を傷付けてしまうくらいなら、恥ずかしい思いをしてでも私の感じる全てを伝えてあげたい。


「愛してる」


 もう一度つぶやくと五十嵐は凍り付いたみたいに、膝の上で動かなくなってしまった。けれど後ろからぎゅっと抱きしめたままでいると、突然ぴくりと動いて目を見開いた。


「……心臓の音。もしかして、牧野さんもドキドキしてます?」

「こんな風に誰かを抱きしめて、しかも愛してるとかいうの初めてだから」


 顔が熱い。完璧に恋人同士だ。というか恋人の中でも相当にいちゃついてるカップルのするようなことだ。私の「愛してる」はあくまで容姿に対してのことだけど、冷静でいられるわけがない。


 私が肯定すると、五十嵐は突然ニヤニヤと笑顔を浮かべた。


「なるほどなるほど。そういうことでしたか。正直に言ったらどうですか。下心もあるって。私の見た目、愛してるんですよね?」

「……そうだけど。でも下心? そんなのないよ」


 決してない。いや、たぶんない。確かに五十嵐は凄まじい美少女だけれど、私は女で女には恋をしない。なのに五十嵐は私の弁明も無視して嬉しそうに笑う。


「どうしてここまでしてくれるのが疑問で、ちょっと怖かったんです。でも今ようやくわかりました。私みたいな好みの美少女を家に連れ込めて、しかも密着までできてさぞ幸せなんでしょう」


 流し目が相変わらず色っぽくて、本当に五十嵐の言う通りなんじゃないか、なんて自分を疑ってしまう。落ち着いてきた顔の熱がまた再燃しそうになった。


 でも断じてそういうわけではない。誤解を招く発言はやめて欲しい。私は少女漫画好きであって百合漫画好きではない。願うのはツンデレ天才王女様ではなくて、白馬のスパダリ王子様なのだ。


「ドキドキしてるのはこんな距離感に慣れてないからだよ。友達一人しかいなかったし恋人も当然いない」

「ふふ。ダメな大人ですね」

「五十嵐がツンデレだってことは理解してるけど、ツンツンしてばかりだと嫌われるよ?」

「ツンデレじゃないです。ただただ馬鹿にしてるだけです」


 言葉でこそ馬鹿にしてくるけれど、五十嵐の表情はどこまでも優しい。将来、五十嵐と結婚する人はさぞ幸せになるのだろう。


 もっとも五十嵐と結婚するのに相応しいのは、かぐや姫みたいな無理難題に応えられる人だけなんだけどね。そうじゃなきゃ私が許さないし。絶対に幸せにしてくれる人にしか五十嵐をあげたくない。って、私はなんだ。五十嵐の親か。


「将来五十嵐と結婚する人はある意味大変だよね」

 

 思わずため息をつく。まさしく五十嵐の相手こそが理想の白馬の王子様たりえる人物なのだろう。ちょっと羨ましいな、なんて思っていると五十嵐は絵を描きながら微笑んだ。


「あなたくらいでしょうね。私と結婚できるのは」

「えっ」


 唐突な爆弾発言に心と体が停止してしまう。まさか私をからかおうとしているのか。私なんてせいぜい、物語の中盤で姫を救い出すのに失敗して事態を悪化させる駄王子だ。


 でもそっと横顔を覗き込むと、五十嵐の頬は真っ赤だ。あわあわと口を動かしたかと思うと、やってしまったと言わんばかりに目をぎゅっと閉じている。あれ、からかおうとしたわけじゃない? もしかして何も考えてなかったの? 無意識の発言?


「今のは聞かなかったことにっ……。というか勘違いしないでください。ただあなたが愚かで大馬鹿なお人好しだっていいたかっただけでっ。私を助けてくれるのは世界中を探してもきっとあなたくらいだって言いたかっただけで! というかそもそも何なんですか。愛してるって! 情熱的過ぎますよ!」


 素晴らしい滑舌の早口は、雪解け水みたいに透き通った声も合わさって芸術的だった。どうやら私をからかう意図なんてなかったみたいだ。でもだとするのなら、ますます解釈に困る。どういう反応をすればいいのか分からない。


 何を考えているか分からないのなら、もっと単純に考えるべきか。心理学は発展しているけど、結局人や状況によって考えることは大きく違うわけで。人の心を推し量ろうとするのは、人類にはまだ早い。


 今重要なのは、五十嵐が少しは私に心を開いてくれたってことだ。顔を真っ赤にして大慌てする五十嵐を、笑顔で見つめる。


「なに笑ってるんですかっ!」

「良かったって思って。少しは私に心を開いてくれたみたいだから」

「開いてないです。全然開いてないですっ! もう。早く描きますよ。その変な顔やめてください。気が散りますからっ!」

「変な顔とは失礼な。五十嵐みたいな美少女に言われると反論できないでしょ」


 目を細めて不満を表明していると、五十嵐は顔を背けてほほ笑んだ。


 隠したつもりなのかもしれないけど見えている。何のしがらみもない子供みたいな純粋な笑顔。ずっと陰のある顔ばかりみていたからか、私の瞳には太陽よりもキラキラして映った。


 五十嵐と二人で笑い合いながら描いた絵画は決して美しくはなかった。でも魂を削って描いたような凄惨さもなかった。どこにでもありふれた、陳腐だとさえ表現できてしまうような等身大の温もりだけが描かれている。


 見る人全てを優しく包んでくれるような凡作を、二人で大切に額縁に入れて壁に飾る。一緒にそれをみつめていると不意に五十嵐が口を開いた。


「……私の心を折るって約束についてなんですけど」


 視線を向けると五十嵐は微笑んでいた。


「もう守ってもらわなくても大丈夫です。たくさんの人を傷つけて大切な人に嫌われて、きちんとした罰も味わわずに呪いみたいな才能と一緒に生きていく。まだ怖いです。……でも、牧野さんと二人なら大丈夫かもしれません」


 思いもよらない言葉に目を見開く。もっと遠いと思っていた。でも五十嵐は私が想像するよりもずっと強い子だったみたいだ。まだ問題はたくさんあるけれど、それでも前に進んでくれた。


「そっか。嬉しいよ」


 笑顔でよしよしと頭を撫でてあげる。五十嵐は心から嬉しそうに目を閉じた。


「牧野さんも頑張ってくださいね」

「……頑張る?」


 首をかしげると、五十嵐はジト目で頬を膨らませた。


「諦めてしまった夢ですよ。負けそうになったらたくさん励ましてあげます。具体的な技術も、抽象的な感性だってできるかぎり教えてあげます。これからは二人で一緒に頑張りましょうね?」

「……うん」


 作り笑いで頷いた。夢のために頑張るなんて、もう私には無理だ。プロなんて目指せない。でも五十嵐に夢を叶えてもらうことならできる。そのためにもこれからたくさん、絵を描くことの楽しさを教えてあげないといけない。


 きっと今の五十嵐ならどこまでも羽ばたいてゆける。いつか私のことなんて忘れてしまうのかもしれない。でもそれが当然なのだ。私は取るに足らない凡人なのだから、顔も名前も忘れてしまっていい。だけどこれだけは覚えておいて欲しい。


 かつて君を救おうとした凡人が、確かにこの世界にいたってことを。


 第一章 夜明け前でも月は輝く 終


〇 〇 〇 〇


※ここまで読んでいただきありがとうございました。ひとまず一区切りです。最初は12万字で一章にする予定だったのですが、投稿しながら推敲しているうちにちょうど内容的にキリがいいことに気付いたので、ここで終わらせることにしました。


 第二章では恋愛要素も強くなっていきます。楽しんでいただけると嬉しいです。

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