家移り

「そう言った経緯で、お二人は所有者不明の廃ビルに侵入したところ、先に見かけた不審な男に襲いかかられたため反撃をし、なおも抵抗する男に危険を感じたことから拘束。警察の到着を待った」

 ペンを置き、確認を取ると譲葉煙と猿田真申は何度も深く頷いた。これ以上は聴くな、そんな圧力を警察にかけたら取り調べが激化するだろうに、愚かな人たちだと思う。

「まあ、わかりましたよ。これでも三瀬に出入りしている側ですから、何があったのかは想像できます」

 立入禁止区域の人間は、化け物――彼らはイ形(イガタ)と総称している――がいることが当然の世界観で生きている。譲葉や猿田のように往来をする者は、イ形は一般には受け入れられず、兎角、国はイ形の存在を認めないことを知っている。

 それでも、時折こうした後始末が必要になるのは、彼らの根が粗暴だからだと言澱は思う。

 法に従って処分を受ければ変わるだろうかと考えはするが、他方でイ形が絡む事件の処理は手間が多い。結局、ほとんどの場合はそれらしい事実で覆い隠していく。歪みは大きいと理解しているが、歪んでいるのは言澱の所属からなので、今更正義を唱える気はない。

 おそらくそうした投げやりな態度を買われて、言澱は今もこの地位にいる。

「今回は貸し一つです。代わりに進捗を教えてください。ビル内に彼女たちの行方を示すものはなかったんですか?」

「なかった。サルが本上を見張っている間にビル内を見てまわったがそもそも2階3階は初めから廃墟だった。整ったように見えていたのは1階だけで、あの男は半年間廃墟に引きこもっていたんだ」

 そうだとすれば、本上俊夫が猿田に話した自分の店を持てたという話も真偽が問われる。

「今となっては廃墟ですが、件の女がいなくなるまでは俺や姐さんにも美容室に見えていた。少なくてもあのときまでは美容室の体裁を保っていた」

 県警の捜査資料の限りでは、あの建物で美容室を営んでいた形跡はない。1年前に所有者の法人が夜逃げして事業停止、その後、どういうわけか各階のテナントも姿を消して、幽霊ビルになった。客観的な資料では明らかな廃墟だ。だが、それらの情報から、この二人がイ形を追放する以前、本上俊夫の理想を基に作られた美容室があった可能性を否定することができない。

 イ形が絡むと起こる典型的な面倒である。大抵の人間はこの矛盾を消化しきれずにこの仕事を辞めていく。

 言澱から伝えられるコツはひとつ。否定できなかったことを気にしないことだ。

「ちなみに顧客名簿とか、接触した記録とかはどうですか? 少なくても本上は美容師をやっていたつもりだったんでしょう」

「それは県警も捜査中でしょう。あれは、ある種のつきまといだよ」

 そう投げやりな態度を取られると擁護しにくいのだ。イ形の話が出ても無視をすれば良いが、非協力的な態度を覆い隠すのは骨が折れる。

 譲葉煙は、話が早く、便利な協力者だが、時折子どものような態度をとるのが始末に悪い。

 他方で、譲葉の指摘は適切だ。廃ビルの2階から見つかった本上俊夫の所持品とみられるノートやポスターなどには、永海サチ、斉藤波絵、門真亜里砂、その他数名の女性の隠し撮り写真が大量に保管されていた。その全てが、門真亜里砂の自宅近くの駅ビルで撮影されており、本上は好みに合う女性を見つけては盗撮とつきまといを繰り返していたと思われる。

 つまり、本上俊夫自身が行方を知らずとも、その撮影場所と時間、行方不明の女性たちが駅ビル付近で活動していたことまでは確定できる事実というわけだ。そして、そこまでなら譲葉らが語らなくても証明ができる。この女は自分も罪に問われる瀬戸際だと言うことを無視して、結果だけをみている。職務に忠実な警官であるほど、イカれた人物に映るだろう。

「肝心の琴沖についてはほとんど写真がなかったよ。駅のホームを撮影した写真に写り込んでいて、丸が付けられていたくらいだ。沖は名前と顔が知られているから、近づくまでもなく特定できたんだろうな」

 言澱の心中などお構いなしに、譲葉は、本上俊夫にかんする私見を述べる。仕方がないのでこちらの説明に素直に回答した旨を調書に示す。誰の監視もない応接スペースでの聴取を許可してくれた県警には頭が上がらない。

「ところで、本上俊夫はなんのためにこんなことをしていたんでしょうね。接触するわけでもなかったんでしょう」

「長嵜エミリに似た女性を探していたんだそうだよ。まあ、どこまで事実かわからないが、うち二人は客として美容室に来ていたとも話していたらしい」

 モデルと同じ女を捜して物色して回るその感性も理解しがたいし、外見が大きく異なる三人を同じモデルと似ているとする感覚も理解しがたかった。

「まあ、言澱のセンスや好みは知らないよ。それに私たちも長嵜エミリがどんな女なのかは知らない。言澱は知っているか。雑誌モデルの長嵜エミリ」

「知りませんよ。そもそもnowというファッション雑誌も存在していないのでしょう?」

 二人は顔を見合わせ、首をかしげた。廃ビルからそのまま警察署へ連行されて、1日。署から出ていなかった二人に尋ねるには難しい問いだったようだ。

「門真亜里砂さんにも話を伺っていまして、裏付捜査はしているんですよ。まぁなんというか、彼女と本上、いずれについても違法薬物の使用疑いが出ていましてね。心配なさらず、門真さんのほうは本上の迂遠なつきまといの結果、存在しない雑誌を読まされていたことに落ち着きそうです」

 代わりに、本上についてはあらぬ罪を大量に押しつけられているようにも思うが、彼らはそれをあらぬ罪と評することには否定的だ。イ形が活動するにあたっての楔は本上俊夫である以上、本上から出た錆らしい。

「ビルの捜索は続行しますし、本上の記憶も基に・・戻っていくでしょうから、これからも情報は増えるでしょう。とりあえず、今日のところはこれ以上の有益な情報はありませんね」

 二人の無言は肯定の意思とみなし、書き続けていた調書を二人に指し示す。

「不利なことはかいていないつもりです。問題なければサインを。三人とも見つかっていませんから前金以上の支払はなされませんが、ひとまず解放です」


 ―――――

「門真さんからの御礼の手紙と、金一封。言澱警視の報奨金はとり損ねましたけど、手間賃は回収できましたね」

 現金書留を片手に猿田が深いため息をついた。県警での二日間の聴取がよほど堪えたのだろうか。

「姐さんが余計な仕事持ってくるから疲れたんです」

 猿田の後ろでは山積みの段ボールが彼に開封されるのを心待ちにしている。猿田はこの三日間、大量の段ボールに詰められたヤドカリの模型から、ヒラギノオオニタハラヤシガニの模型を探し出す仕事をしている。ヒラギノオオニタハラは、昨年発見された新種のヤドカリで、個体数が極めて少ない。発見者の大仁田原博士は、繁殖前に好事家が集まるのを阻止するために本物そっくりの研究用のドローンを作成した。博士曰く、ドローンは本物と一部決定的に異なる姿をしているため、ドローンを展示することで乱獲を防ぐことができるのだという。

 ところが、今回、研究室の学生の不手際でドローンが類似の玩具のなかに紛れてしまった。バッテリー切れで動かなくなったドローンが市場流通する前に、模型の山から見つけ出して欲しいのだ。

 博士は譲葉たちがG県警本部に滞在中、ずっと警察にこのことを相談していたらしい。相談先が間違えているという納得は得られず頭を抱える生活安全課の職員をみて、言澱は彼らに譲葉と猿田を売り飛ばした。


 曰く、私たちはもっと官憲に協力的であるべきらしい。

「私がカニ嫌いなのは知ってるだろ」

「姐さん。これ模型ですからね。それにヤドカリはカニなんですか?」

 よくわからない。ただ、両手が鋏なのは気に食わないので、譲葉のなかでは二つは一緒だ。

 半日以上ヤドカリの模型と対峙して疲れたのか、猿田は書留を譲葉に差し出すと開封中の段ボールの上に腰掛けた

「でも、よかったっすね。思ったよりも早く解決したし、門真さんの手紙の山も消えて」

「イ形か同業が絡んでない方があり得なかったからね。一発で当たりを引けたのは幸運、なのかな」

 運が良かったで済ませて良いかは少しだけ引っかかる。譲葉は、猿田が整理し損ねて床に転がったままのヤドカリの模型を手に取った。

「消えたと言えば、門真さんのブロマイド、あのままで良いんですかね」

「あのままって?」

 猿田は携帯で撮影した顔のない女のブロマイド画像を示す。

「俺の携帯にはまだ画像が残っているんですよ」

「呪われるぞ」

「茶化さないでくださいよ。ほかの督促状とかの写真は、いつもの通り、あのイ形を追放した段階でデータごと消えてます。でも、この画像は消えなかった。つまり、あれはイ形の影響とは別に存在していた」

 そう。長嵜エミリ宛で作られた本上俊夫のダイレクトメールと同様に。

「ということはですよ、門真さんはまだあのブロマイドを長嵜エミリとして部屋に飾ってるのかなって」

 さあ、それはどうだろうか。携帯の画像は譲葉たちが現地で確認したときのまま顔がない。正気なら飾っておきたい写真ではないだろう。

「サルはさ、長嵜エミリってなんだったと思う?」

「唐突になんですか」

「いいから。そのブロマイドは長嵜エミリか?」

「違うでしょう。誰がどう見てもこれは永海サチ。言澱警視が見せてくれたようにSNSには同じ構図で撮影した彼女の画像もあるから確実でしょ」

「永海サチが長嵜エミリの可能性がない理由は?」

「痛いところつきますね。これは半分くらい勘ですが、本上俊夫の反応です。あいつ、永海サチ、斉藤波絵、琴沖鳩、門真さんの四人を見分けていた」

「そりゃ四人とも違う人物だもの見分けるでしょう」

「ああ、説明が足りなかったすね。あいつは顔じゃなくて体型で4人を見分けていたんです。そして、体型の差分で彼女たちと長嵜エミリの違いを見ていた」

 長嵜エミリには顔がないから、か。

「つまり、本上俊夫は女性の身体だけで人物を同定できたってわけか」

「なんかそうやって表現すると気持ち悪いですけどね。そして、もう1つ。本上はあのイ形は長嵜エミリではないと断言しましたが、その理由はイ形には顔がなかったからです。要するに、あのイ形は長嵜エミリと同じ、あるいはかなり似た体つきにだった」

 根拠の置き所が誤っていなければ、一応は筋が通っている。“出発点が正しければ”という留保がつく時点で山勘だが、さりとて緻密な推論を立てるには情報が少ない。

「サルの言い分はわかったよ。少なくても、私たちが遭遇した顔のない女と、このブロマイドの女性は同じ体型とは言えない。故に、ブロマイドの女性、永海サチ=長嵜エミリ説は否定される」

「そうですね。まあ、その理屈を押し通すなら、斉藤波絵も違うと思います。残るは琴沖、門真さんあるいはその他の第三者」

「最後の説が安泰だな」

「そうですね。だから、長嵜エミリは本上がおかしくなった原因ではあるけれど、三人の失踪や、門真さんに督促状が届き続けたこととは直接関わらない。彼女たちと線があったのはあくまで、本上に憑いた顔のない女だけだと俺は思ってます」

 意外に考えられているし、彼らしい回答だ。譲葉は、手に掴んだヤドカリの模型を猿田に投げつけた。オオニタハラではないと思うが、猿田が必死にキャッチして傷を確認する様子を見ていると大切な仕事なのに滑稽に思えてくる。

「あのさ、サル」

「なんですか?」

「君の仮説を元に考えたとき、門真さんがそのブロマイドを保有していた理由を1つだけ思いついたんだ」

「根拠は?」

「全くないね。強いて言えば、琴沖鳩は本上みたいな男に引っかかるタマじゃないということくらいかな」

 そりゃ、全然根拠がない話ですね。

 猿田はこの話は終わりと言わんばかりに立ち上がり、段ボールの開梱作業に戻った。彼が始めた会話なのに、必死に作業に没頭しようとしている。

 まあ、いまのところ他人を害するイ形は見当たらない。思索はこのくらいにしておいても罰はない。

 譲葉は、書留をスーツの内ポケットにしまい、猿田の作業部屋を後にした。


 ――――――――

 居酒屋クスクス。

 あの奇妙な数日間、何度も名前を聞いていたのに、不思議なことに訪れたのは今日が初めてだった。

 ビルの4階、テラスの先に突き出た出入口は、そこだけ日本家屋のように装飾されていて面白い。メニューはどう見ても洋食中心なのもチグハグで、人を選ぶ居酒屋だなと思った。

 探し屋と一緒に、後に本上幽霊ビルと呼ばれる建物を訪れたあと、謎の引落は全て戻ってきて、部屋に溜まった書類も大半が消滅した。残ったのは、口座から引き出した多額の現金と、本当に誤送付されていた幾ばくかのダイレクトメールだけだ。

 数ヶ月にわたる不安がなかったことになったのは寂しい気もするが、肩の荷が下りたのは確かだった。

 1日だけ精一杯だらけることにして、翌日からは会社に戻った。警察で聴いた話によれば、本上俊夫は私の行動範囲を把握していたらしく、私は会社の外では社章を外すようになったし、通勤ルートを複数パターンもつことにした。本上俊夫は勾留中でも、第三者との間で類似のトラブルは起こりうる。

 そうして、ほんの少しだけ生活パターンが変わり、週に一通手紙が届けばよい安定した日常が戻ってきた。一月ほど経って、あの頃届いていた宛先違いのダイレクトメールを整理していて、一通、変わった手紙が入っているのに気がついた。

 この前の経験から、むやみに関わらない方がよいが、このまま誤った送り先に届いたままなのも忍びない。誤送付している旨を書き添えて送付元へ返送すると、後日、お礼の手紙が届いた。近隣に来る予定があるのでお礼がしたい。そんな誘いに興味を持って、私はクスクスの前にいる。

 譲葉たちに話したら烈火のごとく叱られるか、呆れた顔をされるに違いない。だから、言い訳がましく場所はクスクスにした。ここならあの店員が、私を止めてくれそうな、そんな気がしたのだ。

「おや、あのときの。探しもの見つかってよかった」

 店員は思っていたより若かった。もしかして学生だろうか。彼は私に会ったことがないのに私のことを覚えていて、私の無事を喜んでくれた。待ち合わせをしていると告げると、彼は部屋の奥に座るニット帽を被った女性が待ち人だと思うと教えてくれた。

「あの人、会うの初めてなんですが大丈夫ですかね」

 抽象的な質問をしてしまって申し訳なかったが、彼の意見を聞きたかった。

「ううん。難しい質問だね。おねいさん、僕からひとつ聴いてもいい?」

 店員は奥の彼女と私を見比べて何度か首をかしげる。

「おねいさん、今は誰?・・・・?」

 不思議な質問だと思った。今も昔も私は私だ。

「私は長嵜亜里砂。って、そもそもあなた私の名前知らないじゃない」

 店員は目を丸くして、胸の前で両の掌を合わせた。

「長嵜さんなら大丈夫だと思うよ」

 彼の言葉は相変わらずわからなかったけれど、勇気は出た。私は、彼に礼を言って、そしてお酒の注文を伝えた上で、奥の席に向かった。ニット帽の女性が向かいの席に近づいた私に気がついて顔を上げる。

「もしかして、手紙を返送してくれた?」

「長嵜亜里砂です。えっと…」

「常磐と言います。この度は本当にありがとうございました」

 ニット帽の女性は丁寧に頭を下げた。常磐さん。どこか懐かしい名字の彼女が微笑む。


 あのアパートも長い。気立ても良さそうだし、今度は彼女のところにしよう。

 店員が注文した酒を持ってくる。

 グラスを掲げて、私は新しい出会いに感謝した。

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私の名前を訊いてくれ 若草八雲 @yakumo_p

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