第39話 アタリアの試練

 案の定、更なる試練を告げたアタリアに、アルールは諦観ていかんの面持ちで言葉を返す。


「覚悟はしていましたが、やはりそうなるんですね。でも、あんな桁違いの姿を見せられて、いったいどう戦えというのでしょう」


「まあそう言うな、同志よ。私は君を殺すつもりは毛頭もうとうないし、殺されるつもりも当然ない。それに今回の試練を乗り越えたあかつきには、わが秘術のひとつを伝授しようではないか。惑星からチカラを借りる、文字どおり最上級の呪文だ」


「まったく、いちいち規格外ですね。あなたに出会い、転生の仕組み――『ゾディアック・サイクル』とやらを知った今、魔術を極めたなんておごりは消えて無くなりました。それでもわたしは、いつも全力で向き合ってきたのです。まだまだ完全には程遠いですが、望むところですよ」


「そうこなくては! さっそく戦場を用意しよう」


 アタリアが声高に叫ぶと、いかなる技か、足元のホロスコープが徐々に拡大する。

 外周にあった星座の記号が次々と浮き上がり、透明な壁に張り付いていく。

 アルールの足元を中心にして、瞬く間に巨大な円形闘技場ができあがった。


「君の相手は私ではない。出でよ、アナビバゾン! カタビバゾン!」


 彼女の頭と尾から赤と青の気があふれ出て、それぞれ怪物の形を成していく。

 手足の無い蛇型の竜だ。共に大口を広げ、喉元のどもとから炎と冷気をちらつかせる。


 アタリアもまた竜の姿へと変貌へんぼうを遂げた。

 最初に見たときよりかはだいぶ小さいが、それでも戦場をぐるりと取り囲むほどの巨体である。


〝それでは、私は高みの見物とさせていただこう。こやつらは、太陽と月の交点から生まれし原初の蛇竜じゃりゅう――ウィルムなり。転生機構の中枢ちゅうすうになう技術者にして、わが側近である。言っておくが強いぞ〟


「くっ、二体とは卑怯ひきょうな……」


〝フハハハハ! さあ、転生者アルール。その宿業しゅくごうの一部始終を見せてもらおうか!〟


 高らかに笑う魔竜のすぐ真下で、天秤てんびんの記号が黄金色こがねいろに輝く。

 ゾディアック・サイクルを生み出した神にも等しきアタリアの試練が、いよいよ幕を開けた。


 最初に仕掛けたのは二体のウィルムだ。両者はからみ合いながら、炎と冷気のブレスを同時に解き放つ。

 それらは混じり合うことなく螺旋らせんをえがき、少年の背丈よりも巨大なうねりとなって襲いかかる。


「【浮遊アルノヴィオ】!」


 アルールは迷わず回避行動をとった。

 瞬時に複合属性の攻撃を受けきるのは難しい。魂を肉体から切り離している最中に、魔力で受けるわけにはいかなかった。


 残量を管理しながら戦うのは久しぶりだ。

 無尽蔵に魔力を貯め込めるイェイアン王子はやはり特異だった。


 今この時、己は〝七番目の息子の七番目の息子〟ではない。

 たったひとりで二体の怪物を相手するには、いつも以上に考えて立ち回る必要がある。


「まずは小手調べだ。【地爆壊フリドラッド・ダイアル】!」


 地をう相手に飛行状態は優位。巨体ゆえに鈍重なウィルムに向け、上から高火力の呪文をたたき込む。


 岩をも砕く攻撃は、絡み合った敵のど真ん中をとらえた。

 うろこで覆われた硬質な皮膚は大きく内側にめり込むも、柔らかい肉によって押し返される。


 わかったのは、アストラル界においても四大魔法が一定の効果があることと、やはりこの呪文は頼りにならないということだった。


 衝撃で解きほぐれた二体は、をずらして個々にブレスを吐いてくる。

 今度は避けきれないと判断したアルールは、自ら青い一体に向かい、水柱に突っ込んでいった。


「【水天幕シェン・ドゥール】!」


 オーラをまとい、同属性の攻撃を防ぐ基本的な呪文。

 別種のものを重ねがけすると互いに干渉し合う欠点があるが、そのぶん効果は覿面てきめんだ。


 水流を真っ向から受け止める一方で、炎のブレスから無様ぶざまに逃げ惑う。

 一対のウィルムは完璧なコンビネーションで、絶え間ない攻撃を繰り出した。


「くっ、かえって厄介やっかいになったな。固まっていればよいものを!」


 やはり複数を相手に孤独な戦いはつらいものがある。

 ワイルドハントを相手にひとりで戦い抜けなかったのを恥じていたが、急に仲間の存在が恋しくなってきた。


 とにかく今は、数を減らして一対一に持ち込まなければなるまい。しばらくは水の耐性を得たので、先に火の蛇竜アナビバゾンの動きを封じることにした。


「【影呪縛ルイミアド・キスゴッド】!」


 月光に照らされて浮かぶ影に魔力のくいを打ち込む。

 眠りのような精神干渉が効く生ぬるい相手ではないはずだ。

 太陽を源とする強力な魔法ならば、たとえ反射光であっても逃れることはできまい。


 床に張り付けられたアナビバゾンの動きがガクリと急停止した。

 一方、水の蛇竜カタビバゾンは、逃げるアルールを追って体をうねらせ始める。

 ひとまず隔離は成功だが、呪縛が解けるのは時間の問題だ。


「一気に行くぞ。【雷光槍グウェイフォン・メスト】!」


 右手に生み出した雷を敵の正面に目掛けて投げつける。

 カタビバゾンはそれをひとみにしたが、即座に感電してどうと地に伏した。


 しかし雷雲から脳天を貫く呪文とは異なり、これだけで致命打とはならない。

 止まった隙をつき、アルールはすかさず頭上へ飛びかかる。


「【精霊剣サヴン・イスブリッド】!」


 両手で握った特大の青白い刃を振り落とすと、蛇竜の頭はあっけなく落ちた。

 断面から血の代わりに、とてつもない量の水の霊気があふれ出る。


 分断された頭部はなおも大口を広げるが、もはや移動することはできない。

 胴体もただその場でのたうちまわるだけの物体と化した。


「たわいない、まずは一体目。次はお前だ!」


 アルールが剣を消して次なる相手に向き直ったとき、不意にアタリアが口をはさんだ。


〝さて、それはどうかな?〟


「む? それはどういう意味――」


 背後を振り返れば、頭部を失ったカタビバゾンの胴体が身を起こして小刻みに震えている。

 その断面からボコボコと水泡すいほうが膨れあがり、見る間に頭の形を成していく。


「馬鹿な!? 首が再生していく! 蛇は再生の象徴とはいえ、実際は切れたらそのままのはず。頭を取り戻すとは、なんという化け物だ……」


 間の悪いことに、足止めしていたアナビバゾンが動きを再開した。炎で影を打ち消し、呪文を打ち破ったのだ。


 挟み撃ちとなって状況は悪化した。好転の見込みがないまま防御に費やす魔力ほど、無駄なものはない。

 地球への帰還を考えれば、ある程度の余力も残す必要があった。


「胴体から再生し、落ちた頭部は朽ち果てた。ならば、は心臓だ!」


 プラナリアのように、切れば切るだけ増殖する生命体ではないのが唯一の救いだ。

 戦いのさなかに突破口を探り、着実に前進するのは楽しくもあった。


 外周に沿って追われながら、魂の深層に眠る知識を掘り起こす。

 蛇は、暮らす環境によって心臓の位置が異なるという。

 樹上のものは頭を下にし、水中には浮力がある。重力の影響により、血液を送る負荷がしゅごとに異なるのだ。


 アストラル界の宇宙にまう蛇竜のそれがどこかは見当もつかないが、気の流れを読めば糸口をつかめるはず。


「【元素解析ダダンソッディ】!」


 アナビバゾンの横にまわってお決まり呪文を唱える。

 するとその体には骨も血液も存在しなかったが、頭部から全長の三分の一のところで、火の霊力が濃くなっているのが見てとれた。


「そこだ! 【氷結槍グウェイフォン・イアー】!」


 右手に先端の鋭利な氷を生み出し、核に向かって投げつける。

 狙いたがわず、槍は見事に敵の急所をとらえた。


 氷は蛇竜のもつ熱によって瞬時に溶け、水蒸気となって立ち昇る。

 赤き巨体は激しく脈打ち、やがて力なく倒れて地響きをたてた。


「やったか……?」


 先程のこともあって確信がもてない。

 青いもう一匹をいなしながら目を配っていると、案の定、アナビバゾンは再生して再び起き上がった。


「どういうことだ。こいつらまさか不死身なのか?」


 するとアタリアが、笑いながらまた口をはさんだ。


〝いいや、何事にも終わりはある。君はなかなか鋭いが、あんがい大局を見据えるのは苦手なようだな〟


「なにぃ。言ってくれるな!」


〝おや、図星だったかな。そう怖い顔をしなさんな。このような戦いが初めてならば致し方ない。少々ヒントを差し上げよう〟


 戦場を取り巻く黄金の竜は、自らの尻尾を追ってぐるりと回転し、巨蟹宮きょかいきゅうの記号の上で頭を止める。

 すると直後に天が瞬いて、何か巨大な物体が床に落ちてきた。


 かにだ!

 青色の甲羅をもったとてつもないサイズの怪物。

 あまり美味そうには見えないが、向こうは人間が好物のようで、こちらを見るなり大きなハサミをかみ合わせる。


「うおおおい!? なに余計なことしてくれてんだ! いったいこれのどこがヒントだー!」


〝時間が経つごとにまた何かが起きるぞ。早急に決着をつけないと、命の保証はできかねるなぁ。フハハハハ!〟


「なんて奴だ。そんなんだから仲間がいないんだぞ!」


〝ムカッ! いい度胸だ。オマケにこいつもくれてやる!〟


 アタリアは再び回転し、天蠍宮てんかつきゅうの所で止まった。

 すると今度は、巨大なさそりの怪物が降ってきたではないか。


「ぎゃああああ!? ゆるして! 今のは撤回いたします!」


〝いまさら謝っても遅いわ! ゆけ、アクベンス、アンタレス! あいつの大事なところをちょん切ってしまえ!〟


 口は災いの元。視野が狭いと言われた腹いせのつもりが、大変なことになってしまった。

 四体に増えた敵から逃げ惑いながら、子供じみた発言を後悔する。


 巨蟹アクベンスは口から泡を吹きながらハサミを打ち鳴らし、天蠍アンタレスは毒々しい尾を振り下ろす。

 加えてアナビバゾンの炎とカタビバゾンの水流が入り乱れ、戦場は混沌こんとんの様相を呈した。


「なんだかイニシャルがAばっかりだな。アタリア、少しはかぶりを気にしろ!」


〝天体でも生物でもアルファは最上位の証だ。アルール、君は一等星になれるかな?〟


「なってみせるさ。って、ああ!? カタビバゾンが落ち込んでる!」


 張り合っていると、たまに無関係の者が傷ついてしまうことがある。

 太陽と月の降交点こうこうてんから生まれた青き蛇竜は、頭を下げてうなだれてしまった。


「お詫びを込めて一掃してやろう。みな等しく灰と化せ! 【破滅塵シューフ・ディニストル】!」


 苦労の末に習得しても、使用がためらわれる魔術もある。

 強烈な負のオーラをぶつけて血肉をボロボロにしてしまうおぞましさから、地上では自ら封印していたものだ。


 おまけに莫大な魔力を消費してしまうが、今は緊急事態。なりふり構ってはいられない。アストラル界の怪物たちに情け容赦ようしゃのない一撃を浴びせかける。


 たちまち一面が色を失い、灰色の石像が四つ完成した。

 それまで動いていた存在が硬直するさまは、見ていて気持ちのいいものではない。


 やがてそれらにピシリと亀裂が入り、巨蟹と天蠍は木っ端微塵に砕け散る。

 だが、残り二体は元の状態で姿を現す。


「耐えたか。やはりお前たちは別格みたいだな」


 ほぼ即死と同等の呪文だが、防がれるとまるで効果はない。

 蛇竜たちの表層を覆っていたぬめりが身代わりとなって、灰燼かいじんの魔法はあっけなく霧散してしまった。


〝ほほう、やるじゃないか! やはり君はすばらしい! 肉体なんてとっとと捨ててしまえばいいのに!〟


 うれしそうに笑う黄金の竜には答えずに、アルールは魔力の残量を確かめて焦りをつのらす。

 だいぶ消費したというのに、肝心の敵はいまだ健在。倒す手がかりはつかめておらず、もはや試す余裕も残されていない。


(まずいぞ、いったいどうすればいいんだ。黄道十二宮ゾディアック・サイン記号シジルが関わっているのは間違いないが……)


 アタリアはまたも動き出し、今度は水瓶みずがめが落ちてきた。

 割れずに着地すると、底で回りながらゆっくりと速度を落としていく。


 中からまた怪物が現れるかと思いきや、本当にただの容器のようだ。

 青い蛇竜はそこに首を突っ込み、グビグビと音をたてて水を飲み込んでいく。


 すると水を得た魚、いや蛇竜は、今までとは明らかに異なる気配を漂わせ始めた。

 脱皮するかのごとく体をうねらせ、鎌首かまくびをもたげる。

 カタビバゾンはウィルム族の最上位アルファにこそなれなかったが、別種となる進化を遂げたのだ。


「ウッソだろ。まったく次から次へと!」


 喉元を膨らませた敵を見て嫌な予感がしたアルールは、前方に新たな障壁を展開した。

 直後、カタビバゾンのブレスは水を防ぐオーラを突き破り、張ったばかりの魔法と相殺そうさいされる。一手遅れれば危なかった。


〝ほれほれ、どうした。わが加護を受けるにはそのぐらい超えてくれなくては! でなければ、また赤子からやり直す羽目になるぞ!〟


「くっ……」


 助けてくれる仲間はいない。

 黒竜に救われておきながら助力など不要と豪語したのはつい数刻前だが、皮肉にも言ったとおりになってしまった。


 アタリアはあおるように周囲を回り、二匹の蛇竜は攻撃を繰り出し続ける。

 残された魔力でなにが可能かを考えながら、アルールはただ身を守ることしかできなかった。

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