第41話 竜の嵐

 巨大なホロスコープ上で繰り広げられた試練は、激しい死闘の末に決着がついた。

 精魂尽き果てた少年と少女が床にへたり込むと、黄金の魔竜は人に姿を変えて拍手する。


「すばらしい! すばらしい! アルール、君こそメガストロマンサーの称号にふさわしい!」


 すると、戦闘中に生み出された人工精霊タルパが、不満げに口を開く。


「ぼくのことは?」


「ふふふ、そうだなエイン。まるで想定外だったが、君も個として認めねばなるまい。もっとも、分裂すれば半分の存在に成り下がるがな」


「ようやく一人前になったつもりが、半人前になってしまったか……」


 そう言ってアルールは、反論する気力もなくガックリとうなだれた。


「言っておくけど、君と合体するつもりなんてないからね。これでぼくは、完全に自分の霊魂を得られたんだ。そうやすやすと手放すものか」


「わかっているよ、エイン。でも一緒の肉体には戻るんだろう?」


「今のところはね。でもいつかは自分の体をもちたいな」


 厄介なことになったものだ。

 とっさの判断で行なったタルパの作成は、のちのちまで尾を引きそうである。


 イマジナリー・フレンドとのかけ合いをほほ笑ましく見つめていたアタリアは、満足そうにうなずきながら本題を切り出す。


「さてと、これで試練は終わりだ。約束どおり、君たちにわが加護を授けよう。そして願わくば、いつか私の助けとならんことを」


「ええ、もちろん。でも、必ずしも肉体を失う必要はないでしょう。生前から仲間を集めることはできるのですから」


「そんなこころざしをもった者などいないと言ったのは君だぞ。だがまあ、そのとおりなのかもしれないな。私はとっくに諦めていたんだ。己の欲望に負けて大局を見失う者たちに」


「はは……」


 世界全体から見ればちっぽけな目標のために魔術を磨いてきた転生者は、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「それよりもうひとつの約束――最強の魔法を伝授しなくてはな。生命の可能性について思い出させてくれたお礼に、君たちを土星へと連れていってあげよう」


「いやいやいや、土星って! 行って帰るのにどれだけ時間がかかるんですか。地上に残してきた肉体が死んでしまいますよ」


「なあに、わが意識の仮想空間に過ぎない。私がアストラル旅行をしたときの映像記憶だ。きっと勉強になるぞ」


「なんとも途方がない……」


 あきれたアルールはエインと顔を見合わせた。

 どんなに魔術を学ぼうと、上には上がいる。あといくつ転生を繰り返せば、その領域に至れるのだろうか。


 アタリアはまた変化へんげして、飛竜程度の大きさになった。

 促されるままふたりがその背にまたがると、周囲の景色が変わり始める。


 地球や月は消え、代わりに巨大な星が現れた。美しいをもつガス状の惑星、土星である。

 本来ならばとても生身の生物が到達できない領域に、三人はゆっくりと接近していく。


 黄白色おうびゃくしょくをした星の南半球に、ひときわ白い輝きがあった。

 そこに向けて一直線、竜は頭を下にして急降下する。


 視界はあっという間に荒れ始め、激しい雷雨が渦巻く恐怖の世界に突入した。

 映像であることも忘れてアルールとエインが悲鳴をあげると、アタリアは水平に向きを変えて朗らかに笑う。


〝目を開けたまえ、恐れることは何もない。あれこそは『ドラゴン・ストーム』。地球外で発生する巨大旋風のひとつだ〟


 うっすらと見開けば、桁違いの大嵐が荒れ狂うさまが確認できた。

 乱気流の中にバリバリと光る雷。

 その威力、地球のおよそ一千倍。

 常軌じょうきを逸した光景にただただ唖然とする。


〝どうだい。少年はドラゴンという言葉が好きなのだろう? 何かインスピレーションは浮かんだかね〟


「……なんと申し上げましょうか。こんなものを持ち込めば、地球ごと壊れてしまいそうです。でも、そうですね。ここまで破壊的なものは考えたこともありませんでした。実際に使うかどうかはともかくとして、奥の手があれば心に余裕が生まれることでしょう」


 無から有を生み出すことはできず、呪文には大抵、元になったものがある。

 このようなかたちで教わるとは思ってもみなかったが、大いに想像力を刺激された。


 大嵐が映し出される異空間を飛びながら、エインと共に呪文の構成を考える。

 分離したとはいえ、これまで知識を共有し、試行錯誤してきた仲だ。おそらくそれはこれからも変わらなかった。


 やがてイメージがつかめてくると、アタリアは神妙な声色こわいろで語りかけてきた。


〝不思議だとは思わないか? 宇宙には、理屈や意味もわからない現象が、人知れず延々と繰り返されているのだ。その謎を解明できる存在が、もし地球にのみ誕生したとすれば、我々はまだ始まりの地点に立っているに過ぎない。一丸となっていれば、とうに別の惑星に移住できていたかもしれないというのにだ〟


「だからあなたは、先行してこの裏世界で、別惑星に転生できる仕組みを作ったのですね。もはや神といっても過言ではない」


〝まさか。この宇宙というゲームにおいて、自身も一介のプレイヤーに過ぎんよ。人類はすでに数千年も前に私を発見していた。しかし今や忘れ去られて久しい。君のような者が現れるとは感無量だ〟


 あまりに規格外の存在ゆえ、信じられなくなるのは無理もない。

 アルールの脳裏に地球を取り巻くあの姿がよぎり、ふと内部にあった最初の仕掛けを思い起こした。


「あなたは何を意図して、あの十二芒星じゅうにぼうせいの問題をお作りになったのですか?」


〝それはだな、絶対に解けないものとして、だよ。十二もの星を渡り歩き、たどり着ける者などありはしないと思っていた。見たところ、君の魂の年輪はまだまだ幼いようだ。図らずも効率的な転生をしたようだな〟


「わたしは不幸な死を十四回繰り返し、十五の世界を見てきました。それらの星々は、いずれも別物であったように思います。地球の表裏と十二星座はわかるとして、残るひとつはなんだったのでしょう?」


「なんのことはない、へびつかい座だな。かの星座は古代から黄道こうどうにあることが知られてきたが、占星術においては外すのが正統とされてきた。だが何事もイレギュラーはつきもの。万が一に備えて、私はそこも数に入れておいたのさ」


「なるほど、ジョーカーみたいなものでしょうか。異なる流派も尊重されているのですね」


〝この世は魂の奪い合い。私は比較的善良なものを選んで、わがゾディアック・サイクルに組み込んできた。それでも境遇によっては次々と脱落していってしまうのだ。ライバルのなかには、あえて罪深い魂を狙うものもいる。君がいつまでも善人であることを祈るよ〟


 アタリアはそう言うと映像を止め、空間を十二宮図の間に戻して床へと着地した。

 ふたりを降ろすとまた人の姿となり、手のひらを向けて言葉を促す。


「どうだった? 最強の呪文は編み出せたかね」


「ええ、すばらしい体験をさせていただき、誠にありがとうございます。我らが作った呪文の名は、『ストルム・ドライグ』。意味はそのままですが、竜を紋章とする王家に生まれた者として、ふさわしいものになったと思います」


 そこでふと、グリンドゥールの紋章を思い出す。


「ところでアタリアさま、ひとつ質問をさせてください。現世げんせでのわが父は、黄金の飛竜を紋章とし、それがあなたの姿とかぶるのです。なにかつながりがあるのでしょうか?」


「はて。人々は私の存在を忘れ去ったとばかり思っていたが、時に祈願する者も残っていたのかもしれない。だが少なくとも、わが元にたどり着いたのは君が初めてだ。おそらくは君の父も魔術の才を磨いていたが、力及ばず、息子に望みを託したのだろう」


 〝七番目の息子の七番目の息子〟を認識していただけあって、グリンドゥールも魔術に傾倒していたのは確かなようだ。

 彼の紋章がアタリアを意味していたのなら、親子二代でたどり着いたといえる。

 アルールは心のなかで、顔も知らない父親に感謝した。


 魔竜はそんな少年をじっと見つめていたが、地球と月の様子をちらとうかがうと、とうとう別れの言葉を切り出した。


「さてと、そろそろ月蝕が終わる頃合いだ。じきにこの空間も閉じなくてはならない。永住するならともかく、戻るなら早くしたほうがいいぞ」


「もうそんな時間なのですね。ああ、最後にもうひとつだけ。あなたはいったい何者なのですか? あまりにも存在が大きすぎて、出逢えた今も理解が遠く及びません」


「ふむ、そうだな。正確にいえば私は個ではなく、集合知といったところか。貪欲に知識を吸収していた者が、学び足りないまま命を落とし、死後さまよっていた。やがて同じ意識をもった者同士が融合し、このようになった……と考えている。正直なところ、自分でも確かなことはわからないのだよ」


「なるほど……。まだまだ探究心が尽きないのですね」


「さよう。それは君たちも同じだろう、同志よ。これからも日々、研鑽けんさんに励むがいい。そしていずれ私と共に、全宇宙の記憶――後代の者たちがいうアカシック・レコードを収集し、記録する作業に加わってくれたまえ」


「ははは、あまりにも壮大で笑うしかありません。その末席を目指して努力いたします。それでは、本当にありがとうございました」


 アルールが丁重にお辞儀をすると、かたわらのエインがボソリとつぶやく。


「ぼくはここに残ろうかなぁ」


「冗談じゃない。敵を倒すまでは一緒にいてもらうぞ」


「真に受けないでくれ。それじゃあアタリアさま、宇宙から加護をよろしく頼むよ」


「ああ、任せるがよい。悔いなき人生を謳歌おうかすることだ」


 こうしてアルールの魂は、タルパとふたつになって、カダイル・イドリスの山頂へと帰ってきた。

 肉体に戻って空を見上げれば、赤黒かった月はすっかり本来の色となっている。


 自分に寄り添って寝入る少女たちにほほ笑むと、夜が明けるまで、美しい満月を静かに眺めていた。

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