第37話 十二宮図の間

「なんてデカさだ。これが伝説の魔竜、月喰つきぐらいのアタリア……?」


 幽体離脱で宇宙に飛び出たアルールがさまよった末に見つけたのは、とてつもなく巨大な黄金の竜だった。

 アストラル界の地球をぐるりと取り囲み、自らの尾を追って輪となっている。


 じっと目をつむって動く気配はないが、漂う気配から人工物ではなさそうだ。

 その雄大なシルエットを見ていると、なぜか既視感が湧き起こってきた。


「むう、いったいどういうわけだ? わが父グリンドゥールの紋章――『ア・ズライグ・オーア』にそっくりではないか……」


 妹ティルトの胸元に飾られていた前王国の紋章には、左を向いた黄金のワイヴァーンが描かれていた。

 目の前の存在もまた前肢ぜんしと翼が一体化しており、六肢をもつドラゴンとは一線を画している。


 かつて同じ帝国に支配されていたつながりがあるとはいえ、大陸の砂漠地帯に伝わるアタリアの伝承が、遠く離れたアルビオンの人々にまで届いていたかどうかは不明だ。

 偶然の一致か、それとも何らかの意図が介入しているのか。


 あらためて記憶と照らし合わせる。平面的な紋章では硬質なうろこで覆われていたが、実物には羽毛があるようだ。

 意匠いしょうに落とし込む過程で省略されたのか、そもそも同一の存在ではないのか、判断はつかない。


 〝七番目の息子の七番目の息子〟の伝承を信じたことからもわかるとおり、かの父王は魔術に傾倒していたそうだ。

 自分がここまでたどり着いた経緯を思えば、グリンドゥールもアタリアの存在を知っていた可能性が出てきた。


 少なくとも紋章に竜人族マドライグが関わっているとみて、まず間違いないだろう。

 忠義を尽くしながらも返り咲きを狙っていたグリシアル王と、その七人の娘たち。彼らの思惑がますますわからなくなってくる。


 謎は深まるが、こうして出会えた以上は、途方もないと思われていたこの旅にも希望がみえてきた。

 意を決して魔竜の鼻先まで向かい、魂のまま自然に呼びかけてみることにした。


〝あなたがアタリアか? わが名はアルール。最強と名高い魔竜の加護を受けに、はるばる地球からやってきた〟


 相手はまぶたを固く閉じて反応しない。

 あまりにも差がありすぎて、そよ風にも満たないのだろう。なにしろ相手は、地球を取り囲むほど巨大なのだから。


 ただでさえアストラル体の維持に魔力を費やしているが、背に腹は変えられない。

 アルールは震えるほどの大声で――実際の音とは異なるが――再度呼びかけてみた。


〝アタリアー! 返事をしてくれー!〟


 すると突然、魔竜は開眼した。

 目だけを動かしてこちらをとらえるや、黄金色の瞳でじっと凝視する。

 やはり人工物ではなく生命体だったのだ。


 アルールは今更ながら恐怖した。あの巨体ならば、鼻息ひとつで軽々と吹き飛ばされてしまう。

 仮に太陽に突っ込みでもすれば、魂であっても焼き尽くされてしまうだろう。


 宇宙空間で息などしないと気づいてホッとした矢先のことだった。

 アタリアは不意に大口を広げ、アルールは悲鳴をあげる間もなく一瞬でみ込まれてしまった。



       * * *



「う……。あ、あれ? 生きてる……?」


 アルールがおそるおそる目を開くと、周囲は開放的な薄闇に包まれていた。

 相変わらず地球と月に挟まれていて、遠くには星々がきらめいている。

 だが、先ほどまでの宇宙空間とは明らかに異なるのが見てとれた。


 足元に透明で円盤状の床があり、その中心に立っているようだ。

 歩を進めると、まるでガラスを踏みしめたような硬い音が響きわたる。


「まさか空気と重力がある? アストラル体なのにどうして。ここはいったい何なんだ。本当に魔竜の腹なのか……」


 床を見まわせば、外周にぐるりと金色の記号が描かれていた。

 向き合った弓矢、若葉、丸に乗った半円……。

 かつて地球で見たことがあり、その裏世界にも存在するものだ。


双魚そうぎょ白羊はくよう金牛きんぎゅう双児そうじ……。間違いない、黄道十二宮こうどうじゅうにきゅうだ。ホロスコープというやつだな。なんだってこんな人工物がアタリアの内部に?」


 考えたところで時間の無駄だった。

 ほとほと困り果てたアルールは、虚無の天井に向かって呼びかけてみる。


「誰か、誰かいないのか? 何が何だかさっぱりわからない。ここはどこだ。いったいどうすればいいんだ。誰か教えてくれ!」


 答えるものなどいやしない。己の声が透明な壁にぶつかり、静寂に包まれた室内に反響するだけ。


 自分は夢をみているのだろうか?

 もはやどこからが非現実だったのかもわからない。

 危うく理性を失いかけるが、一向に何も起きないので、逆に冷静になってきた。


「わたしはアストラル体で宇宙に旅立ち、アタリアを見つけたんだ。それだけは間違いないんだ。自信をもて、アルール。これはきっと試されている。この空間そのものが試練なんだ。きっとそうだ。そうに決まってる!」


 だとすれば、床の模様をどうにかすると変化が起きるかもしれない。

 あてもないので、とりあえず目についた天秤宮てんびんきゅうの記号に乗ってみることにした。


「うん、何も起きない」


 単にハズレを引いただけかもしれない。深くは考えないようにして、時計回りに踏んでいく。

 すると白羊宮の所で突然、記号の輝きが増した。


「これは……!?」


 当たったようだが、それだけである。

 そのまま歩き進めると、今度は処女宮の所で記号が輝き、白羊宮と金色の線で一直線に結ばれた。

 前進したものの、まるで理解不能だ。


 その次は宝瓶宮ほうへいきゅう巨蟹宮きょかいきゅうと続き、ひと筆に線が引かれていく。

 徐々に形を成していくのに従い、法則が理解できてくる。


「なるほど、五つおきなんだな。星型になってきた。完成したらどうなるのやら……」


 外周を回らずに次なる記号へ直接向かうと、すぐさま足元の線が伸びていく。わずかだが短縮できるようだ。

 それを繰り返してとうとう白羊宮に戻ってきて、床に金色の十二芒星じゅうにぼうせいが浮かび上がった。


 期待に胸をふくらませて見つめるが、輝きは消えてしまい、待てども何も起きる様子がない。

 ガッカリしたアルールは、だんだん不安になってきた。


「このまま出られなくなったらどうしよう。間違うと宇宙の彼方かなたに放り出されたりしないかな……」


 独り言で気を紛らわせるが、この先どうすればよいのかはまるで思いつかない。

 あらためて周囲を見まわすと、外側の景色が変化していると気づく。

 いつの間にか地球も月も無くなっていて、星々は円の中央で見た配置とは異なっていた。


 試しに隣の金牛宮に移動すれば、また別の光景に入れ替わる。

 床ばかり見ていたので気づかなかったが、移動するごとに天体の見え方が変わっていたようだ。


「この景色どこかで……。たしか二番目に転生した世界で見た夜空だ。ひょっとしてこれまで巡ってきた星々は、各星座のどこかなのだろうか……?」


 記憶の限りでは、地球から観測できる範囲に人類が住める星は見つかっていなかったはずだ。

 しかし、その裏次元ともなれば話は別である。なにしろ今は、地球と表裏一体の世界にいるのだから。


 懐かしみながら双児宮に移動すると、床が再び輝きだした。

 驚いて確認すれば、また始発点の白羊宮と線でつながっている。どうやらまだ終わりではなかったらしい。


「せっかくきれいだったのに、お次は何の線だろう?」


 今度は二つおきで線が結ばれ、二個の六角形ができあがった。完成と同時に輝きは消え、それっきりまた沈黙する。

 転生先の惑星で占星術こそ学んだが、地球の天文学や幾何学の知識にうといアルールには、まったく理解が及ばなかった。


 しかしこれまでの結果から察するに、たとえ間違ってもデメリットは別段ないように思える。

 ならばやることはひとつ。ひたすら外周を歩き続ければ、模様は勝手に仕上がっていくはずだ。


 回るごとに三つの正方形、四つの三角形と模様が刻まれていく。次第に線が増え、変化はわかりづらくなっていった。


 ふとジャイロマンシーなる占いを思い出す。

 体力が尽きるまで円を回り続け、倒れた個所で運命が決まるという過酷なものだ。


 アストラル体ゆえに肉体の疲労こそないが、いつ終わりを迎えるのか飽きが生じてくる。

 これは果てなく続く拷問ごうもんだ。己はどこかで摂理を踏み外し、創造神の怒りを買ったに違いない。


 意識が朦朧もうろうとしてきたその時、床が激しく輝きだした。

 ハッとして見つめれば、幾何学模様はこれ以上ないほどに線が交差し、円の中央に小さな輪ができあがっている。


「……光が消えない。ついに完成したのか? なんて輝きだ、まぶしすぎる! うわあああー!」


 突如、空間全体が目もくらむほどの黄金色に包まれた。

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