第35話 魂の頂
霊峰カダイル・イドリスの中腹、シン・カイのほとりにて繰り広げられた戦いは、思いもよらぬ加勢によって決着がついた。
ワイルドハントの首領ブレニン・シュイドを仕留めた黒竜セレン・セイティは、地上に降り立って人間の友人に尋ねる。
〝無事か? 思わず倒してしまったが、今のやつは何だ?〟
「グウィン・アプ・ニーズだ。妖精王を倒してしまうなんて、なんてことしてくれたんだ」
〝なんだって!?〟
無愛想な答えに黒竜はのけぞって驚く。
アルールは軽くかぶりを振ると、赤い瞳から視線を逸らしながら言った。
「冗談だよ。ほかにもワイルドハントがいたんだ。べつに自分でなんとかなったのだけどね。まあ一応、ありがとうと言っておく」
〝素直に感謝できんのか。かわいくないやつ〟
「うるさい。アルールとは、完全でなければならないのだ」
油断して
もちろん感謝はしているし、親しくなった竜とのあいだに絆を感じて嬉しくもあった。
しかし想定外の敵に不覚をとったことで、この後に続く魔竜アタリアの試練、更にはイルールとの決着に暗雲を感じ、すっかり気落ちしてしまったのだ。
なぜか微妙な空気となった人の子と竜を見て、エルスカは
やがて空から白竜フウィートルがやってきて、何かあったのかと自身の契約者に尋ねた。
「湖に潜んでいた敵にアルールさまが襲われそうになり、セレン・セイティが助けてくれたのよ」
〝なんだ、それだけか。ははーん、なるほど。手助けされて試練が失敗したような気分になったわけじゃな。ふふふ、おぬしもまだまだ子供よのう〟
フウィートルは純白の翼を震わせ、さもおかしそうに笑った。
魔力喪失による疲労が押し寄せてきたアルールは、何も答えずに目をつむる。
〝セレンはおぬしの危険を感じとり、わらわも追いつけない速度で湖に向かったのじゃ。なにも気落ちすることはなかろう。仲間の助けも実力のうちよ〟
「それではダメなんです。あんな雑魚に不覚をとっていては、この先なんてないんですよ。実際、セレン・セイティが来なければどうなっていたかわからない」
〝フハハッ、おぬしは大したタマじゃのう。ブレニン・シュイドが雑魚とは言いよるわい。かの者はエラリ全域に出没し、山々に魂を分けているともいわれている。セレンのブレス程度で始末できる相手ではないぞ〟
「なに……。少なくともカダイル・イドリスのやつは再起不能になったはずだ」
騎竜が馬鹿にされた気分がして苛立つ。
長き時を生きているにもかかわらず、支離滅裂な自分にも腹が立った。
エルスカにこのままでは勝てないと言われたときと同様、己の精神的な未熟さを痛感して嫌になる。
不完全なる完璧主義者アルールは、自己否定の塊であった。
〝生きとし生けるものは誰しも完全にはなれぬ。皆、不完全なまま死んでゆくのじゃ。おぬしの理想に口をはさむつもりはないがな〟
十倍の時を生きる古代竜に言われてはぐうの音も出ない。
ひとまず会話から逃げたくなり、わかったわかったと軽くうなずいて見せる。
後悔の念をいだいて生まれ変わり、今度こそはうまくやろうと気張っていた心は、はたから見れば乗り切ったところでバランスを崩してしまった。
心情を察したかのように黒竜が首を伸ばす。
アルールは思わずすがりつき、
「すまない、セレン・セイティ……」
〝みなまで言うな。お前の気持ちはよくわかる。私も己の力不足で家族を喪ったのだからな。だが、我々は生きている。命ある限り苦悩は続くだろう。今はやれることをやるべきではないか?〟
「ああ、そのとおりだ。ありがとう」
妹のティルトや手厳しいカティナがいなかったからこそ出た弱さだった。
ふと最初の人生において、つまづくと少女たちに慰められていた記憶がよみがえる。
霧はすっかり晴れ、雲の狭間から陽光が差し込んできた。
雄大な自然を前にして、己のちっぽけさを感じる転生者であった。
〝それでは、わらわたちは頂上で待っているぞ。残り半分、頑張って登ってくるのじゃ〟
「
フウィートルとセレン・セイティは大空に飛び立っていった。
すっかり疲れてしまったアルールは、その後ろ姿を見送りながらため息をつく。
雲の様子と風の流れから察するに、今夜は晴れになる可能性が高くなってきた。
巨人が天体観測をしたと
「霧が晴れて良い眺め。シン・カイが『閉じた湖』という意味なのがよくわかるわね」
岸辺に腰を下ろして休憩するヴェルナが言った。
湖は手前側を除き、三方を
〝アルール〟の意味は、〝完全〟、〝すべて〟そして〝死〟である。
転生によって幾度も変わる名前に代わるものとして自ら名づけたが、それがふさわしいかどうかは
自身がその言葉を知るきっかけを思い起こしながら体を休めるも、魂から記憶を引き出すには時間がかかりそうだった。
「完全にはなれない、か。君たちには見苦しいところを見せてしまったな。正直、やられたと思った。生きながらに
自嘲気味に話すと、幼馴染は首を横に振って答える。
「あなたの気質は嫌というほど知ってるから、とうとう始まったぐらいにしか思ってないわよ」
逆に竜人の娘はうなずき、励ますように言った。
「そういうこともありますよ。ですが、あれは決して偶然ではありません。仲間が多ければ多いほど必然となるのです。無理矢理に誰かを従えた王は、孤独とおわかりいただけたでしょう」
「うまくまとめたな」
「ふふふ。あんまり休み過ぎると足が動かなくなってしまいますよ。さあ、共に山頂を目指しましょう」
三人はようやく登山を再開した。
霊峰と呼ばれるだけあってエッセンスに満ち満ちていて、一歩進むごとにちからがみなぎってくるように感じられた。
火成岩がごろごろと転がっているが、カダイル・イドリスを含め、この島の山々は長らく活動を休止しているようだ。
岩に残る
山頂が近づくにつれ、アルールの足はどんどんと重くなっていく。しかし精神は返って活力を取り戻し、到着するころにはすっかり魔力も回復していた。
かつて人々が精霊と交信するために山を登ったという話は、じつに納得のいくところだ。
やがて見えてきたのは、まさにその証拠となるものであった。
石を積み上げて作った粗末な小屋がある。風を防ぐ扉こそ無いが、屋根は機能しているようだ。
いまだ霧で体が濡れたままだった三人は、中に入って休むことにした。
「――お疲れ。外は寒かったろう。まあ、ここも吹き抜けなんじゃがな」
小屋にはフウィートルのほかに、見慣れぬ少女がいた。角と尾があり、漆黒の肌に白い包帯が巻かれている。
輝く赤い瞳は、こちらと目が合うなり流れ星のようにさっとそっぽを向く。
「セレン・セイティ! どうしたんだ、その姿は?」
「ふれるな。寒いと言ったら、この女にまじないをかけられたのだ。まったくもって気に入らん」
顔をよく見せるように頼んでも、壁を向いてダンマリを貫く。
とうとう騎竜まで人型となり、アルールは乗りづらくなってしまったと感じた。
フウィートルはそんなことも気にせずに、持ってきた食事を石のテーブルへ広げていく。席に着くように促し、ほほ笑みをたたえながら両手を広げて言った。
「さてと、準備は整った。この地の名はペニーゲイター。まさに巨人が腰掛けた『
ついにたどり着いたカダイル・イドリスの山頂。
アルールは夜を待って横になり、幽体離脱で宇宙へ飛び出し、魔竜アタリアのもとへ向かう算段である。
はたしてそのようなことが実際に可能なのだろうか。失敗すれば狂気にふれると聞いて、不安がいや増す。
月蝕の時は、刻一刻と近づきつつあった。
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