第34話 霧の君主ブレニン・シュイド

 地上に垂れこめていた濃霧はいまや亡霊の大軍団と化した。

 ふたりの少女を抱えるアルールは、灰色の騎士たちが動き出すと同時に、地面へ垂直に降り立つ。


「まさかこんな場所で戦うつもり? 圧倒的に不利じゃない」


 ヴェルナが得物を抜きながら尋ねた。すぐそばには何が潜むかわからない湖。

 まさに背水の陣だが、空を飛ぶ敵は地面を除くあらゆる方面から攻め入ることができる。


「逃げきるのは無理だ。ここで迎え討とう。霧が相手なら蒸発させてしまえばいい」


 水の精霊が強い影響を及ぼすこの状況。大きく威力が減衰する火の霊力を底上げするためには、付与呪文エンチャントで自身を強化するのが手っ取り早い。


「偉大なるベレヌス、汝、輝くものよ。癒やしと破壊、その原初の智慧ちけいを我に与えたまえ。【火円陣キルフ・ダーン】!」


 指先に炎を灯して魔法陣をひと筆に描く。

 それは赤いオーラとなって自身にまとわりつき、ちりちりと肌を焼くような熱気が漂い始める。


 この地の伝承について、暇をぬってはエルスカに教えを乞うてきた。

 転生で得た知識と恵まれた血筋に神々の助けが加われば、恐れるものは何もない。


 灰色の軍団は霧の君主ブレニン・シュイドを先頭にして、上空を大まわりに駆け降りてくる。

 空飛ぶ亡霊といえど、機動力は生前の肉体に準じているらしい。


 一方、白犬クーン・アンヌンたちは頭を下にして一気に飛び降り、ところどころ中空に着地しながら、あるじに先んじて襲いかかってきた。


そこひに眠りし憤心ふんしんよ、その身でもってえきと成せ。ぜろ、【火炎球ペレン・ダーン】!」


 突き出した両の手から巨大な火の玉が生まれ、敵に触れるや爆発四散した。

 飛び散った破片はさらに別の敵にぶつかってはじけ、辺りを紅蓮ぐれんに染めあげる。


 先ほどは再生を繰り返していた妖犬たちが音をたてて蒸発していく。

 宙を舞った炎の残滓ざんしは、強烈な湿気によって地面を焦がすことなく消滅する。

 土地を傷つけずに敵だけ倒す、狙いどおりのさじ加減だ。


 ヴェルナもまた砲剣に負荷をかけ、全体に熱気をまとわせた。

 霧という返り血で刀身を冷やしつつ、武器をいためない塩梅あんばいを保って敵を両断する。

 彼女は彼女で、武器の扱いを熟知した転生者の勇姿をまざまざと見せつけた。


 要領を得たふたりは、本隊が来る前に先陣を次々になぎ払っていく。

 このままなら片づくのも時間の問題と思われた矢先、一匹が炎を突破してアルールの手首にみついてきた。


「ぐあ! バカな、こいつ火に耐性があるのか!?」


 エルスカが光のつぶてを撃ってクーン・アンヌンを引きがした。

 すぐさまそでをめくり、点となった噛み跡に治療を施す。


「お気をつけください。亡霊と幻影は似て非なるもの。霧に紛れて本物が潜んでいるようです」


「戦力を水増ししていやがったか。こいつは思った以上に厄介だ」


 悲鳴をあげてよろめいた白犬にヴェルナが突進し、その首をねた。

 すると純白の体から想像もできないどす黒い煙が湧き起こり、たちまち肉体が朽ちていく。


「耳を見て。赤いのが本物よ」


「なるほど、そうとわかれば話は早い」


「こっちはあたしに任せなさい。あなたはアレをよろしく」


 灰色の軍団が目前にまで迫っていた。彼らは一列に隊列を組み、すれ違いざまに次々と剣を振り下ろす。

 すかさず障壁で防ぐも一太刀ひとたちごとに亀裂きれつが入り、最後のひとりで粉々に砕け散った。


 すんでのところで刃をかわして背後を振り返ると、再び浮き上がった一団が折り返すのが見えた。どうやら今の攻撃を繰り返すつもりらしい。


「ただの幻影じゃないぞ。分身に自身の霊力を分け与えているのか……?」


 数こそ多いが、ばらばらに動かないだけに予測はつきやすい。アルールは先頭に向けて呪文を詠唱し始めた。


「そのまま突っ込んでこい。まとめて貫いてやる。くらえ、【飛焔槍グウェイフォン・ターン】!」


 一網打尽にすべく特大の炎を練りあげ、空に向かって解き放つ。

 無尽蔵の魔力から繰り出される、最大ブーストの一点火力。想像以上の強敵に出し惜しみはしていられない。


 見事に命中した魔槍は三体の騎士を立て続けに撃ち抜いた。

 だが、後続は左右に散開してこれをかわし、二列となって突っ込んできた。


「なに!?」


 予想外の動きに両腕でもって敵の攻撃を受け止める。

 魔術師にとっての最終手段――魔力変換。肉体こそ無傷だが、血の代わりに膨大な魔力が一気に消し飛んだ。


「ぐあああ!?」


「アルールさま!」


 よろめいた体をエルスカが支える。

 急激な喪失は神経への負担が大きく、意識を取り戻すまでは出血のように魔力が流れ続けた。イェイアン王子の器でなければとうに絶命していてもおかしくはない。


「だ、大丈夫だ。だが、強すぎる。亡霊とはわけが違うぞ。いったい何者なんだ、こいつは?」


「ブレニン・シュイドはその凶暴性しか語られることがありません。しかし王と呼ばれる以上は、ひょっとしたら亡者の集合体なのかも。狩った魂を内に取り込み、霧に分け与えて軍団としているのでしょう」


「見せかけだけの孤独な王か。しかし野放しにし過ぎたせいでとんでもない強さになったと……」


 第三陣をしのぎながら手立てを探る。同じことを繰り返しても、こちらが不利なだけだ。

 考えあぐねていると、背後で暇を持て余していたエルスカがそでを引いた。


「アルールさま。あなたはあの者と違い、決してひとりではありません。わたくしにも指示をお与えください」


「あいにく傷は負いたくないんだ。痛いのは御免だからな」


 戦士ならば癒やしを受けながら全力で攻撃にまわれるが、魔術師だとそうもいかない。痛みで集中を欠けば、呪文を唱えるのも困難となる。


「いえ、お怪我けがをしろというわけでは……。わたくしも何かお役に立ちたいのです」


「充分役にたっているじゃないか。だが、そうだな。亡者とあらば、癒やしの術で痛手を負わせられるかもしれない。犠牲者の魂をしずめることで、奴のちからをいくらかげるはずだ」


「わかりました、やってみます」


 エルスカは小さく気合を入れて呪文を唱え始める。

 生けるしかばねと呼ばれる者たちに回復の術が反転してかかるのは、おそらくこの世界にも通じる概念のはずだ。

 亡霊に効果があるかはともかく、状況が悪化するおそれもないだろう。


 しかし、まったく予期しないこと起きた。

 癒やしの暖気に包まれた騎士たちの体から、苦悶くもんに満ちた霊魂が次々とにじみ出てきたではないか。


「うっ、あれはこれまでの犠牲者か……?」


「ああ、なんてこと。子供の魂があんなに……」


 身の毛もよだつようなおぞましい光景だ。

 灰色をしたよろいの隙間から瘴気しょうきがあふれ、少年や少女の姿を成していく。衣服は破れ、傷だらけの手足にはかせがはめられている。


 子供を執拗しつように襲っていたのは明らかだ。弱者を狙ったのか、それとも別の思惑があったのかは定かでないが、ブレニン・シュイドが常軌じょうきいっした王なのは間違いない。


 転生を繰り返してきたアルールは、これまでの死を思い出して吐き気をもよおす。

 まるで〝十四歳の呪い〟をもたらしてきた元凶が現れたかのようだ。


 もちろん、殺されるのが大人ならよいわけではない。

 だが、選択肢も与えられずに若くして散っていった命を直視するのは、長き時を経ても苦痛にほかならなかった。


「なんてヤツだ。見るにえんな……」


「アルールさま、もはや手遅れです。癒やしではあの子たちを余計に苦しませるだけでございます」


「うむ、どうやらそのようだ。やむを得ん、すべてわたしがほうむる。いつわりの王にかすめ取られた魂をグウィン・アプ・ニーズのもとへ――死者の向かうべき冥界へと送り届けてやろう」


 ワイルドハントに正義と悪があるのかなど知るよしもない。しかし、妖精たちが仕える王と目の前の邪悪なまがい者を比べれば、おのずと答えは出たようなものだ。


 アルールはあらためて、火と癒やしの神ベレヌスに祈願した。焼き尽くすことで、せめてものとむらいとせねばなるまい。


「灰は灰に、影は影に。さまよえる魂よ、あるべきところにく去れかし。包み込め、【聖炎浄化フラム・サンクタイズ】!」


 白く輝く強烈な炎が亡者の騎士団をのみ込んだ。

 響きわたる、とらわれた者たちの阿鼻叫喚あびきょうかん

 アルールは固く目をつむってまばゆい光に耐え、死者の慟哭どうこくに耳を貸さず、ひたすら魔術を行使し続けた。


 やがて静寂が訪れ、ちからを止める。

 うっすらと目を見開いた先の空に、灰色の騎士団は跡形もなく消え去っていた。


「……やったか。たかが道中で、ここまで魔力を削がれるとは思わなかったぞ」


 額の汗をぬぐいため息をつき、エルスカの無事を確認する。

 クーン・アンヌンと戦っていたヴェルナを視線をやれば、群れのリーダーと思われる巨大な一体をちょうど仕留めるところだった。


 あちらこちらに残骸ざんがいが転がっており、心配するまでもなく大暴れしたようだ。

 頼れる味方であると同時に、怒らせればどうなるかは想像にかたくない。


「そっちも終わったようね」


「ああ、なんとかね。うん? エルスカ、どうした?」


「お待ちください、まだ気配が――」


 アルールは殺気を感じて背後を振り返る。


 直後、湖面を突き破って灰色の王が騎馬と共に現れ、剣を横なぎに振るった。

 とっさに少女をかばいながら、かろうじて障壁を張ろうとする。


(間に合わない――)


 死を覚悟した瞬間、真横から一直線に吹きつけた紅蓮の炎が敵をのみ込んだ。

 同時に強烈な風が押し寄せ、アルールたちは地面にたたきつけられる。


 颯爽さっそうと目の前を横切る黒い影。


 竜だ。

 視線を上げれば、セレン・セイティが旋回してこちらに向かってくるのが見える。


〝カハッ……。オ、オノレ……我ハ王ナリ……。我コソガ、あんぬんノ王……〟


 朽ちた肉体からもれ出るしゃがれ声。


 それが最期だった。

 とうにむくろと化していた白馬と共に横倒しになり、水面に大きな波紋を生みながら、ゆっくりとシン・カイのふちに沈み込んでゆく。


 灰色の王、またの名を霧の君主――ブレニン・シュイド。

 霊峰カダイル・イドリスに出没し、旅人、特に子供の魂を狩ってきた孤高のワイルドハントは、黒竜の劫火ごうかを浴びて滅びを迎えた。

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