第30話 訪問者
真夜中の山小屋に突如として響いたノック。
まるで予期せぬ訪問者にアルールとカティナが戸惑っていると、エルスカが台所から顔を出した。
「何か音が聞こえましたか?」
「……ああ、誰か来たみたいだ。どうすればいい? わたしは隠れるべきか」
小声で返すと、カティナが黙ってこちらにまわり、ひざ上で眠るティルトを抱きかかえてくれた。
アルールは静かに席を立ち、不安げに扉を見つめる。
「――私だ。早く開けてくれ」
また声がした。やや陰気な雰囲気の人物に思える。
エルスカは「ああ」とうなずいて「大丈夫です」と答え、扉に向かった。
開かれた先に現れたのは、目元まですっぽりと暗色のフードをかぶった女性だった。
白い肌と長い黒髪がうかがえるが、それだけではない。
明らかに人ならざる角と尾が生えているではないか。
「竜人? それとも竜が化けた人だろうか……」
「おや、君がアルールだね。なるほど、たしかにかわいらしい坊やだ。私の名はディブラス。人間観察を趣味とする、つまらぬ竜人さ」
「うん? まさか、あなたが石ころ姫?」
この世界における育ての親について、エルスカが尋ねに行った人物である。
「そうそう、宝石になれなかった単なる石ころだ。今でも姫だなんて呼ぶのはエルスカだけだがね。君の乳母についてわかったことがある。直接会って話したいと思い、はるばるやって来たというわけだ」
「なんだって……。これは失礼しました。どうぞ中へお入りください」
ディブラスを名乗る女性は、アルールが温めた席にどっかりと腰を下ろした。少ない荷物を床に置き、机の上にある遊戯盤を眺めてうなずく。
「ほほう、グウィズブイルをしていたのか。さしずめ、これでグリフィズ王との仲を深めようという
「そのとおりです。よくわかりましたね」
「まあね。君はカティナだな。その眠っている子はティルト――いや、グリンドゥールの娘ミヴァンウィーというべきか」
「……よくご存知で。なにやら大事なお話があるようですね。自分たちは下がらせていただきます」
従者はあるじを抱き上げ、寝室へと去っていった。
入れ替わりに赤毛の少女がやってきて、訪問者の顔をまじまじと見つめる。
「何事? お客さん?」
「君は転生戦士を名乗るヴェルナだな。うわさはかねがね聞いている。なに、私はエルスカの知り合いで、協力者だよ。そう身構える必要はない」
人間のことなら何でも知っているという話だが、あながち誇張ではなさそうだ。
彼女は、そばに寄ったエルスカに「水でいい」短く告げ、手を温める。
アルールとヴェルナは向かいの席につき、この謎めいた女性から話をうかがうことにした。
「大体の事情は聴いているよ。君たちは転生者で、古くからの付き合いらしいな。ああ、もちろん言うまでもなく、他人に教えたりはしていない。私は竜人族から離れて、人間の集落で情報屋をしている。この仕事は信用が第一だからね、口は固いほうさ」
戻ってきたエルスカからコップを受け取ると一口だけ含み、座るように促す。
上を向いた瞬間、妙齢の整った顔立ちがわずかに見えた。
「さっそく本題に入ろう。現在、君の乳母シアナは、かつての君と同様に幽閉されている。場所はイルールの拠点、王都キャスレスのどこかと見られている」
「やはりそうでしたか。良かった、無事だったのですね」
「それが、そうとも言いきれない。もし行動を起こすつもりならば、悠長なことはしていられないだろう。君がどこまで本気なのかは知らないがね」
「……わたしには転生者としての目的があります。正直なところ、王の地位にさほど興味はありませんでした。しかし、わたしたち親子を苦しめた連中をゆるすつもりなど
「ふむ、あまり煮えきらない覚悟だな。君はかの王国ストラスクライドの正統なる王位継承者だが、同時に民にとって敵国カムリの王子でもある。帝王学を学ぶ機会を奪われたこともあり、
アルールは、自身がいまだ中途半端な考えであるとエルスカに明かすのを申し訳なく思った。
王になると威勢よく言い放ったときもあったが、イルールを支持する民を見て、険しい現実を思い知らされたのだ。
「まあいい、私には無用の話だ。本題に戻ろう。君の脱走は、敵にとって想定外だった。今は血まなこになって探しているが、かねてよりうかがっていた侵攻の機会を逃したくはないらしい。そこにつけ入る隙がある」
「敵対勢力に囲まれていると言っていましたが、どこかに侵略するつもりなんですか?」
「グリンドゥールの第二王子マドッグが治めるアルバだろうな。まず間違いない」
「うーん。わたしは兄弟のこともこの島についても、まだほとんど知らないのです。いったいどのような状況なのでしょう」
「アルバは抵抗勢力が根強く、グリンドゥールも完全には
大剣クレイモアを掲げる屈強な戦士たちを思い出す。
誇り高い彼らは、血筋に関わらず、他国の指揮下にある者を正統なる王と認めるつもりはないらしい。
「第二王子マドッグは、第一王子グリフィズと仲が悪く冷徹な人物と思われているが、そんなことはない。
「それはつまり、グリフィズはマドッグを助けないと思われているという意味ですか?」
「そのとおりさ。君がグリフィズと面会するのは、アルバに向かうイルールの軍を背後から急襲し、挟み討ちにするつもりなのかと思ったが、まったく知らなかったのだな」
何も考えていなかった。竜を仲間にして浮かれていた自分が恥ずかしい。
アルールは
「いずれにせよ、これで流れははっきりしたかな。君は
ディブラスは卓上の
こちらに視線を向け、心を見透かすような黒い瞳を輝かせた。
「しかし幸か不幸か、君は魔術を極めた転生者だった。アルールよ、イェイアンの器を借りて何かを成し遂げるというならば、その境遇に報いなければなるまい。肉体とは決して己だけのものではないと心得よ。自身を取り巻くすべてに感謝の念を忘れてはならない」
そこまで言うと、急に顔を
「……なんて、
これで話は終わりとばかりに、彼女は水を飲み始める。
知りたい情報が一度に押し寄せてきたアルールは、ひとまず「ありがとうございます」と述べてから、じっくりと考えを整理した。
ディブラスがまとめたように、意外と話は単純である。難しくしているのは自分の迷いに過ぎない。
ためらう原因はひとつだ。
アルールの転生は、なにか特別な崇拝によって成り立っているわけではない。
それでも、戦いによる
これまで、魔獣を討ち倒してその肉を食らい、敵対者を
もはや手遅れかもしれないが、これから向かう先は更なる覚悟が必要だ。
自ら罪と感じる行いをすれば、己の魂が砕けてしまいそうな気がした。
エルスカは居心地が悪そうにうつむいている。
おそらく彼女は、親から与えられた使命を全うすべく、こちらに無理難題を押しつけている自覚があるに違いない。
彼女からは愛情を感じるが、そもそも竜人が人間の王家に肩入れする理由がいまいちはっきりしないのも気にかかる。
竜人王グリシアルは、人間の王グリンドゥールに助けられた見返りに、七人の娘を補佐として差し出した。
ふたりの王が共に
「――ねえ、ひとつ聞きたいんだけど」
唐突にヴェルナが口を開いた。
エルスカが代表して「なんでしょう」と聞き返す。
「
もっともな意見だ。アルールは軽くうなずくと、自分の考えを述べた。
「わたしの場合、いちど行った土地には意識を飛ばすことができる。しかし前に生まれ落ちた星で、見知らぬ場所へと幽体で旅をする人物と出会ったことがある。わたしも習ったが、距離によっては肉体に戻れず、命を落とす危険もある恐ろしい呪文だ。それに魂が移動すれば、魔術で簡単に感知できてしまう」
「ふうん。なら安心していいのかな」
「たぶんね。少なくともこちらの動向は把握されていない、と思いたいな」
話が終わると、今度はエルスカがおずおずと言葉をつむぎ出した。
「アルールさま、気分を害されるかもしれませんが、お伝えしなければなりません。現状では、あなたさまはイルールと一対一でも勝つことはできません。竜に関わるものならば、わたくしには予見できてしまうのです」
当然、魔術に自信のある転生者は不愉快に思った。
肉体は同じ十五歳とはいえ、こちらは二百年以上もの時を生きている。それでいて負けるなど、じつに認めがたい話だ。
「君の予言を信じていないわけではない。結局のところ己を客観視するのは難しいから、耳が痛い意見を無視するほど未熟ではないつもりだ。しかし教えてくれ、なぜそう言いきれるんだ。そもそも奴にも竜のちからがそなわっているのか?」
「血ではなく加護でございます。イルールは各地の竜を倒してまわり、魂を集めていると思われます。おそらくそれは、ある古代竜と契約を交わしているからに違いありません。その名は、
「それが奴の守護竜なのか?」
「ええ、おそらく。そしてあなたさまには、自身に加護を
アルールはいささか
地位を奪ったうえに、図らずも自分と似た名前の
「なら簡単な話だ。次の目標は守護竜探しというわけだな。ぜひ最強のやつを教えてくれ。力を示し、必ずや仲間にしてみせる」
「それがあいにく、この島で最も偉大とされる赤き竜は、グリフィズさまを守護しておいでです。竜王の多くは、グリンドゥールさまとの戦いで負った傷を癒やすため、長き眠りについてございます」
「父上ー!」
すべての
他国の姫を手当たり次第に
国は王子を立てて七つに分裂し、その遺産を狙われて第七王子たる自分は幽閉されていたのである。
「フウィートルじゃダメなの?」とヴェルナが口をはさむ。
「残念ながらわたくしと契約をしております。一頭の竜につき、加護はひとりきりなのです。それに彼女は癒やし手であって、アルールさまの戦い方には向いていないでしょう」
「ううむ。ほかにはいないのか? 古代竜は減ってしまったと聞いてはいるが……」
「わたくしの知る限り、すでに各王子を守護しておいでです。彼らが王として認められたのも、竜を従えて実力を示して見せたからです。少なくともこの島には、目覚めている古代竜はもう残っていないのです」
「そ、そんな。第七王子はどこまで不運なんだ。イェイアンは
「自分のことでしょうが!」
幼馴染がすかさず横槍を入れる。
一歩ずつ努力を積み重ねてきたが、肝心の守護竜がいないとは、なんと無謀な野望だ。
エルスカは「申し訳ございません」と頭を下げ、王位奪還計画は
完全にお通夜の空気となり、部屋に重たい沈黙が流れる。
もう残された手はないのだろうか。
諦めかけたその時、それまで黙っていたディブラスが口を開いた。
「いるぞ。たったひとり、君にふさわしい最強の竜がな」
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