第28話 黒き竜
プーカを追ってやってきた洞窟の奥深く。
眠っていた黒竜は妖精が化けたものではなく、なんと本物だった。
炎を浴びると思って身構えるアルール。
だが竜は、まるで予期せぬ言葉を口にした。
〝殺せ〟
「……何だって?」
顔を覆った両腕をおそるおそる下げ、思わず聞き返す。
考えてみれば竜がブレスを吐くためには、喉を膨らませて空気を取り込む予備動作があるはずだ。
〝まさかここまで追ってくるとは……。人間、お前の勝ちだ。私にはもう戦う力は残されていない。さあ、わが首を取るがよい〟
「どういうことだ? 誰かに追われて逃げてきたのか?」
〝む……。お前はわが言葉がわかるのか〟
「奇遇なことにね。わたしは君を殺しにきたわけじゃない。よかったら事情を教えてくれないか?」
まったく想定外の事態となった。
黒竜に戦う意思はなさそうなので、盾の裏で震える少女たちに呼びかける。
ふたりは
〝ふむ、いったいどこから語ろうか。私はもともと、島北部の山で平和に暮らしていた。だがある日、突として人間たちがやってきて、仲間を皆殺しにした。私は彼らを見捨て、命からがらここまで逃げてきた。じつに情けないことだ……〟
「なるほど、なんとなく理解した。大変な目に遭ったな。怪我でもしているのか?」
〝ああ。尾の付け根に何かが食い込んでいて、ひどく痛むのだ。だいぶ血を失ってしまった。もう長くはないだろう……〟
後ろにまわってみれば、一本の折れた槍が深く突き刺さっている。
人間の手なら抜くのはそう難しくはなさそうだ。
「見た感じ命の危機はなさそうだが、引き抜くと血が止まらないかもしれないな。わたしも癒やしの術を使えなくもないが、竜に通じるかは定かでない。よし、エルスカたちをここに呼ぶとしよう」
近場であれば、通じ合う者同士で意識のやりとりをするのはそう難しくもない。
呼びかけてみると、遠見の術で動向を追っていた彼女たちは、すぐにやってくると伝えてきた。
「間もなく癒やしの得意な仲間が到着するから、それまで頑張ってくれ。ところで、君たちを襲ってきたのは、いったいどういう人間だったんだ?」
〝そうだな……。最初は前カムリの第七王子を名乗り、油断を誘われた。我らが竜王を打ち負かしたかの勇者――グリンドゥールとは、不可侵の
「間違いなくイルールたちだ。そいつは今の地位を奪ったまがい者で、どうも竜を殺してまわっているらしい。いったい何を
〝そうか、知らぬ間に入れ替わっていたのだな。ほかの仲間もやられているのか?〟
「なんでも水竜を仕留めたと聞いた。あいつも返り血を浴びたいのだろうか」
〝それはないだろう。多くは魔法で殺された。私は母に逃がされたが、飛竜にまたがる者に襲われた。竜族ともあろうものが人間に付き従うとは、所詮、下等生物か……〟
人と猿のような関係なのだろうか。
メステン・メリンをかわいがるフウィートルに比べ、この黒竜はだいぶ精神性が幼い印象を受けた。ひょっとしたら、こちらよりも若いのかもしれない。
やがてエルスカたちがやってきた。案の定、人の姿をした稲妻の飛竜はひどくおびえ、竜族の力関係は歴然としているのが見てとれる。
ゆえに、同じく人に化けた白竜を前にして、黒竜は驚きを隠さなかった。
〝まさか、あなたさまは古代竜! 人間、お前はいったい何者だ……?〟
「そういえばまだ名乗っていなかったな。わたしはアルール。またの名をグリンドゥールの息子イェイアン。『七番目の息子の七番目の息子』として予言を受け、地位を奪われて長らく幽閉されていた者だ」
「……なるほど、そういうことか。それで合点がいった。わが名はセレン・セイティ、
不意に黒竜は顔をしかめて身をよじった。もたげていた首を地に下ろし、体を震わせる。
それを見たエルスカは、慌ててあいだに割り込んできた。
「さあ、今はそこまでにして、早く治療を始めましょう。まずはあの槍を抜かなければなりません。どなたかお願いできますか?」
アルールはうなずくと、すぐに竜の尾にまたがって傷口に向かった。
振り落とされればただではすまないが、眠りの呪文をかけられたのか、身動きひとつしない。
おそらく穂先には返しがあるが、抜かなければ始まらない。
ひとりでやるのは諦めて、妹の助けを借りる。
すると悲しいかな、ティルトは一瞬でそれを引き抜き、場に微妙な空気が流れた。
そこからは、絶大な癒やしのちからをもつ〝七番目の娘の七番目の娘〟――エルスカの出番である。
手のひらから放たれた光によって肉体が瞬く間に再生していく。
欠けた
さすがの転生者も、この腕前には驚きを隠せなかった。
以前、首さえつながっていれば治せると豪語したのも、あながち冗談ではなさそうだ。
そしてすっかり治療が終わるや、彼女はセレン・セイティを目覚めさせた。
黒竜は意識が戻ると全身を動かして状態を確かめ、癒やし手に深々とこうべを垂れる。
〝だいぶ楽になった、ありがとう。エルスカ、あなたは竜人なのだな。正直にいえば、我らはあなた方を
「まあ、同族でしょうか。我らマドライグは、力で竜に劣り、知恵で人に敗れた者たち。そう思われるのも無理はありません」
〝
セレン・セイティは首をもたげて人の子に向き合う。
血を失ったせいか覇気はないが、竜にしては線が細く、異種といえど美しさを感じる顔立ちをしていた。
「イタズラなプーカを追ってきたんだ。あれ? あいつらどこに行ったんだ……」
〝ふふ、あの小さき者たちにかどわかされたか。彼らは、かつて風を
「ふむ、とても神だったとは思えない連中だが、あの変身能力だけは侮れない。じつをいえば、わたしは飛竜を捕まえにやってきたのだ。えり好みしてさまよっているうちに、奴らにだまされて君を見つけたんだ」
ぜひ自分の騎竜となってくれはしないかと尋ねる気は起きなかった。
動物的な飛竜とは異なり、目の前の黒竜は知恵をもった上位種だ。先ほどの言葉からも、決して人にはなびかない気高さが見てとれた。
いつまでも切り出さない様子にしびれを切らしたティルトが腕をつついてくる。
仲間を巻き込みここまでやってきて、手ぶらで帰るわけにもいかない。気乗りはしないが、ダメ元で一応、頼んでみることにした。
「単刀直入に申し上げる。誇り高き黒竜セレン・セイティよ。わたしたちと共に来ないか?」
〝それはつまり、この私の背にお前を乗せろという意味か? 断る。感謝こそすれど、仲間を殺した人間になど屈するつもりはない〟
「まあ、そりゃあそうだろうな……」
するとすかさず、ティルトが
「ちょっと待ってよ。助けてもらっておいてそんな態度――」
「まあまあ、竜には竜の行く道がある。心身に深い傷を負っているんだ。そっとしておいてやろう」
妹の口を手で
あるじを攻撃されたと勘違いした小さな子供――メステン・メリンは、アルールの横腹に頭突きをくらわせてきた。
「ぐはっ! おい、やめろって――」
〝ひとつ聞かせてくれ〟
なんとか仲間に飛竜の子を引き離してもらうと、地に倒れ込みながら黒竜に尋ね返す。
「な、なんだ……?」
〝話を整理すれば、イルールとやらはお前の敵なのだな?〟
「ああ、そうだ。わが魂は
〝ほう、転生者とな。して、お前はそいつをどうしたいと思っている?〟
「さて、どうしてくれようか。エルスカは、魔術を極めたこのわたしに、イルールには勝てないとのたまいおった。ゆえに今は、力をつけるべく遠回りの旅をしている。飛竜探しもその一環だった。奴とはいちど相見えたが、あの野郎、知ってか知らずか、こちらを見て笑いやがったのだ。次に会ったとき、どうするかは自分でもわからんな」
苛立ちながら答えると、セレン・セイティは急に高らかに笑い声を上げた。
〝フハハハハ! 気に入った! お前ならば必ずや
そう言って立ち上がると、漆黒の両翼を羽ばたかせて強風を巻き起こす。
人の子と化けた竜たちは、あおられてたちまち総崩れになった。
のしのしと歩き始めた黒竜に踏みつけられないよう逃げ惑い、光の差し込む方へと全力で駆けていく。
何はともあれ、こうしてアルールは自らの騎獣を手に入れることができた。
程なくしてこの黒竜が
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