第27話 竜のねぐら

 飛竜を捕まえにきたはずのアルールは、気づけばイタズラな妖精プーカたちと追いかけっこをしていた。

 彼らは常に一定の距離を保ち、近づけば飛んで逃げ、立ち止まれば舌を出したり尻をたたいて挑発する。


「くっそぉ、こいつら人をおちょくりやがって! 宇宙の果てまでぶっ飛ばしてやる! くらえ、【地爆壊フリドラッド・ダイアル】!」


 内心、また失敗するだろうと思ったが、案の定だった。

 やはりこの地の神々への祈願きがんが足りないせいだろうか。

 破壊力だけは随一の呪文は難なくかわされ、あえなく霧散してしまった。


「すばしっこい奴らめ。ならばこれはどうだ。欺瞞ぎまんの炎よ燃えさかれ。はじけろ、【冷獄炎フラム・オーエル】!」


 両手から青白い火球を次々に撃ち放つ。

 それらは無作為に動きまわり、互いにぶつかり合って大爆発を起こす。


 早々に直撃をくらった白プーカは、悲鳴をあげて草むらに転がった。

 逃げきったもう一匹に比べて少々どんくさいようだ。


「ひどい! なんてことするのよ!」

「アルールどの、それはさすがにやりすぎです!」


 背後から少女たちの抗議が飛んできた。


「よく見てくれ、驚いて気絶しただけだ。ひとくちに魔力といっても、いろんな元素が混じり合っている。いま燃焼させたものは、せいぜい四十度ほどにしかならない。あの程度で火傷やけどすることはないだろう」


 二度と手を出さないのであれば、命まで奪う気はない。

 先ほどの呪文は、見た目の派手さに反して威力は低いこけおどしであった。


 ヴェルナは半信半疑で近寄ると、白い体を抱き上げてつぶやく。


「本当だ。怪我ひとつしてない」


「どうやらそいつは、大して悪いやつじゃなさそうだ。問題はあの黒いほう」


「どうする気なの? なにもこんな小さな妖精にムキにならなくても」


「こっちは何度も殺されかけているんだぞ。わたしに手を出せばどうなるか、今ここで思い知らせてやる。君たちは自分で身を守ってくれ」


 アルールはそう言い残すと、煙の先に現れた黒プーカの追撃を開始する。

 相手は望むところだと言わんばかりに、空中でケラケラと笑って応えた。


 ときに妖精は、〝善良シーリー〟と〝邪悪アンシーリー〟とに分類されるが、目の前のこいつはまさに後者だ。

 高等生物でもあるまいし、ひとつのしゅで善悪が混じっているとは奇妙にも感じる。おそらくは特別な存在に違いない。


「今だ! その邪悪な魂胆こんたん、丸裸にしてやる。【元素解析ダダンソッディ】!」


 狭い岩間を抜けた隙をつき、お馴染みの呪文をかける。

 これは他者からはまったく見ることのできない魔法。相手は不発したと思ったか、こちらを指差してあざ笑う。


 だが導き出された結果を確認して、アルールは驚愕きょうがくした。

 対象を完璧にとらえたにもかかわらず、何ひとつとして判明しなかったのだ。


「馬鹿な! こいつはいったい何者だ。まさか本物のトリックスター……?」


 トリックスター。それは神話における、物語をかき乱す役目を担う者。

 これに類する存在は、占いで見通すことができないとされている。


 魔法といえど万能ではない。

 転生を繰り返して長い時を生きたアルールだが、所詮は人間。

 何をしでかすかわからないやからの内側を推し量るなど、とうてい不可能なのだ。


「あり得ない。たかが妖精が、お前ごときが神々の末裔まつえいだとでもいうのか!」


 黒プーカは急に背を向けて逃げ出した。

 ちょっかいをかけてくる意図は不明だが、このまま逃すわけにはいかない。

 なぜならトリックスターとは矛盾した存在であり、一面だけで判断してはならないからだ。


 小さな後ろ姿を追って、陽光の当たらない斜面を下っていく。

 ワイヴァーンたちが集う場所からはどんどん遠ざかっている。

 はたしてこのような遠回りをしていていいのだろうか。ふといだいた雑念を振り払ってひた走る。


 岩の多い場所へとやってきた。

 足を滑らせて怪我でもすれば元も子もない。速度を緩めても敵は相変わらず距離を保ち、引き離すつもりはないようだ。

 ならば急ぐ必要もないが、ヘソを曲げられても困る。息を切らしながら、そのままあとを追っていく。


 大岩を飛び越えて着地した直後、思わぬくぼみに足をとられてくじいてしまった。

 さいわい大したことはなかったが、気づいたときには相手を見失っていた。


「あいつ、いったいどこへ行ったんだ? こんなことなら飛んで追えばよかった」


 振り返れば少女たちがゆっくりと追いかけてくるのが見えた。

 こちらは軽装だが、ふたりは鎧を身にまとっている。はぐれたらかえって面倒なので、諦めて待つことにした。


 やがてやってきたヴェルナの腕の中に、白プーカの姿があった。

 目が合うなりほおを膨らませ、ぷいとそっぽを向く。さっきのことを根に持っているようだ。


「目を覚ましたか。でもどうして連れてきたんだ」


「だって放っておけないでしょ。この子には悪意があったわけじゃないんだし、ちゃんと謝りなさいよ」


 おそらくこの妖精は、自分よりはるかに長い時を生きているだろう。

 しかし小さな子供をいじめたようで、ばつが悪くなってきた。


「わかったよ、怖い思いさせてすまなかった。でも大したことなかったろう。そっちだってイタズラしたんだし、おあいこにしてくれないか?」


 言葉がわかるのか、それとも心が通じたのかは不明だが、相手はチラリとこちらをうかがった。

 ぬいぐるみのような見た目で、悪ささえしなければ愛らしい生き物である。

 試しに手を伸ばしてみると、前足のひづめでそっと触れてきた。


「よし、これで仲直りだな。ところで、お前の片割れがどこかに行ってしまったんだ。一緒に探しておくれ」


 白プーカはヴェルナの腕をすり抜けると、ふわふわ宙に浮かびながら移動し始めた。

 同族ゆえに何かしら手がかりをつかめているようだ。そのあとを追って、三人は斜面をさらに下っていく。


 岩場を超えて別の道から引き返した先に洞窟があった。

 どうやら黒プーカは小さな隙間を抜けてこの中に入ったらしい。これでは見失うのも無理はない。


「どこまで行ったんだか。どうせまた何かたくらんでいるに違いない……」


 光球を生み出して踏み入れば、中は意外と広い空間だった。

 洞窟といえばコウモリだが、なぜか姿は見当たらない。地面は比較的なだらかで、整地されているようにも思われる。


 暖かい山頂から一気に気温が下がり、凍えるような寒さだ。これでは飛竜がまう場所にはとても適していないだろう。

 もはや何をしにこの山へ訪れたのかわからなくなってきた。


 唐突に空気の流れが変わった。

 奥からかすかな音とともに熱気が伝わってくる。

 カティナは足を止めると、背負っていた盾を構えて言った。


「なんだかとても悪い予感がします。アルールどのは後ろに下がってください。貴殿に何かあれば、ティルトに大目玉をくらいます」


「それはこっちにも言えることだが、素直にそうさせてもらおう。ありがとう」


 ヴェルナも自身の得物を確認する。しかしアルールはさほど警戒していなかった。

 やがて現れたものは、なかば予想どおりであったからだ。


 大きな体躯たいくをもつ漆黒の生物が眠りについている。

 曲げた首を地に下ろし、ゆっくりと呼吸するたびに熱気が周囲に拡散されていく。

 前脚があることからワイヴァーンではなく、誰もが思いえがく正統派の竜だ。


「ブラック・ドラゴン!」


 カティナが小声で叫んだ。

 おそらくはあの黒い仔山羊――プーカ・ディーとでも呼ぼうか――が化けたものに違いない。


「またか。ほんとにりないやつだなぁ」


 四本の立派な角が生えており、きっちりはめ込まれた鱗の一つひとつが黒光りしている。

 うわさにたがわぬ、じつに見事な変身術。

 アルール深くため息をつくと前に進み出て、その巨大な頭部をポンポンと軽くたたいた。


「ほれ、だまされてここまで来てやったぞ。これで満足か?」


「ちょっと何してるのよ! あなた死ぬ気なの!?」

「アルールどの危険です! 下がってください!」


「大丈夫だよ、どうせまたあいつなんだから。まったく、お前の兄弟にも困ったものだな、そこの白いの」


 振り返って呼びかけると、ここまで導いてきた白い仔山羊――プーカ・グウィンは首をかしげた。


 常若とこわかの民タルイス・テーグの女王ヘイルウェンによれば、かつてこのアルビオン島にはたくさんのプーカがいたそうだ。

 妖精の総数は人間界の信心と相関関係をなし、もはや亜人と化したエルフ族などを除けば減少傾向にあるという。


 変身が得意なこの妖精族が集まれば、きっととんでもないことが起きるだろう。

 減って丁度よかったと思うと同時に、この才能はあんがい見習うものがあると感心していると――。


『アルール、後ろー!』


 またも少女たちが声を揃えた。

 言われて背後を振り向けば、あの黒プーカがしめしめと口元に前足を添えているではないか。


「ん? あ、お前は! そんなとこにいたのか! ということは、もしかしてこっちは……本物でいらっしゃる?」


 おそるおそる向き合うと同時に、黒竜は真っ赤な目を見開いた。


 ――まただ、またやられた。


 後悔の念をいだいた直後、相手は首をもたげて大きなあぎとを開いた。

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