第26話 稀なるもの
飛竜ヶ峰を談笑しながら登っていたアルールとヴェルナ、カティナの三人は、目指す魔獣の姿を前方にとらえて足を止めた。
前脚と翼が一体化した竜の一種――ワイヴァーンだ。
「いたぞ。だが、弱っているようにも見える」
全体が青白く、竜騎士たちが乗っていた
微動だにしない様子を見てヴェルナは構えた得物を納め、静かな口調で言った。
「死んでいるみたいね。年老いた個体だったのかも。近くまで行ってみましょう」
生体の前に
まだ腐敗はしておらず、体の構造をじっくりと観察することができた。
この生物に見慣れているカティナが説明を加える。
「大陸生まれの種を除き、飛竜は基本的にいわゆるブレスを吐きません。牙と尾には毒があり、これで大型獣すら仕留めるのです。日中は翼を広げて日光浴をするので、近づくには後ろからとなるでしょう」
アルールはいつものように魔術を用いて、全身をくまなく調査した。
鼻から尾の先まではおよそ七メートル。翼は巨大の一言であり、皮膜は丈夫かつ柔軟だ。
剥がれ落ちた鱗を拾い上げると想像以上に軽く、細かい空洞があるのか、小突くと乾いた音がした。
脳はそれなりの大きさがあり、少なくともシャチぐらいの知能はありそうだ。
航空力学的に飛翔は不可能とされる竜族だが、精霊が至るところに存在する世界ならば、魔法に類する何かしらの助けを得ているのだろう。
調べるのに夢中でいつまでも経っても始まらない。
少年の昔を知る少女は、やがて催促するように言った。
「真剣になっちゃって、まあ。相変わらず動物が好きねえ」
「脳に入り切らず失ったものもあるが、魔術に加えて生物の知識はもち越している。これは純粋な興味で止められないんだ」
「夢中になるのもいいけど、肝心の目的を忘れないようにね」
「もちろん。どうやら毒蛇がもつピット器官は無いみたいだな。熱感知されるおそれはなさそうだ。ここから先は隠密の魔法をかけるから、くれぐれもはぐれないようにしてくれ」
「見失ったら参考にならないじゃないの。なにかしら見えるようにしてよ」
「それもそうだ。魔法をかけてから、後ろ髪に飾りでも着けておこう」
隠密の呪文は、透明・静寂・消臭の三点セットである。
生物によって感知方法はさまざまで、対応したものが必要となる。
ちなみに竜の仲間が来れない原因となったフェロモンは、厳密にいえば匂いと異なる物質とされ、恋占いを極めた者でもなければ扱うのは難しい。
魔法を配り終えたアルールは髪を黒ヒモで蝶結びにし、ようやく探索を再開した。
ときおり振り返って少女たちを探知しながら、慎重に歩を進めていく。
さすがに〝飛竜ヶ峰〟と呼ばれるだけあって、羽を広げて休む姿が至る所で見られた。
小さな個体は確認できず、おそらく出産は別の場所と思われた。
気づかれずに顔立ちを調べてまわるが、いまいちピンとくるものはいない。
鱗が欠けているのは
やがて登り詰めると、日陰となった反対側の斜面が見えた。
日光浴が彼らの目的ならばこちらを探す必要はないと思った矢先、アルールはとんでもない個体を見つけてしまった。
(アルビノだ!)
赤い瞳で
白竜のように、目の色は本来に近い白変種とはまったくの別物。
古来より特別な存在とされるのもうなずける美しさに、つい惚れ惚れとする。
近づいてみればメスのようだ。
ほかの者から離れて
仲間にしたいのはやまやまだが、そっとしておきたい気持ちもある。
なにより戦いには不向きであろうし、魔法の道具はひとつだけだ。
泣く泣く諦め、出会えた幸運に感謝して立ち去ることにした。
(段々と顔つきの違いはわかるようになってきたが、これといったやつはいない。ヴェルナに怒られる前に妥協するべきか……)
たびたび想像の世界に入りびたる己を小突いてくる幼馴染。かつては厄介と感じていて、
二百年もさまよった今となっては、彼女のようなしっかり者を選ぶべきだったのではないかと思うこともある。
自分がもっとちゃんとしていれば、あのような悲劇も起こらなかったのだから。
彼女たちと結ばれたいという想いよりも、
そのために自分は強くあらねばならない。
完全を追い求めるのは、できないとわかっていながら、それを認めたくはないからだ。
他者をも自分の理想に合致させようという考えは、時の流れとともに
それでも探し求めてしまう成長のなさを自嘲しながら、砂利と草の山道を歩き続ける。
日差しに汗ばみ、程よい疲労におそわれながら見下ろす光景は、じつに雄大で心地よい。
今日はいい運動になった。視界に映った湖へ立ち寄ってから帰るのも悪くはないだろう。
諦めかけたその時、アルールはまた
(メラニズム!!)
メラニン色素の欠如したアルビノとは逆に、全身が黒化した変異個体である。
陽光に照らされて黒光りするさまは、男心をくすぐってやまない。
それが竜ともなれば、興奮しない者などこの世に存在するはずがない。
(ついに見つけた! わたしはお前のようなやつを探していたんだ! 絶対に仲間にしてやる。逃げるんじゃないぞ!)
はやる気持ちを抑えて背後にまわり、足輪を手にそろりそろりと近づいていく。
飛竜は二足脚で立って大きな翼と長い尾を伸ばし、のんびりと日光浴をしている。
体温維持のほかに寄生虫を退治する目的もあるのだろう。
漆黒のこの個体ならば、特に熱耐性が高いに違いない。
がら空きの後ろ脚を狙って隙間に忍び込もうとした瞬間、不意に尾が動いて
鋭い毒針が目の前をかすめて血の気が失せる。
しばらく息を潜めて観察するが、それきり動きはない。
単に気まぐれでずらしただけのようだ。ほっと胸をなで下ろし、再び距離を詰めていく。
ついに翼の下をくぐる。
ここまでくれば、あと一息。
広げた足輪を後ろ脚へゆっくり近づけ、最後は一気に突き出して手を離す。
カチャンと軽い音をたてて、妖精から
飛竜は一瞬だけ体を震わせたものの、暴れる様子もなく従順なしもべとなった。
「やった、やったー! ブラック・ワイヴァーンを捕まえたぞー!」
下から這い出すとともに隠密呪文を解除し、子供のように飛び上がって喜ぶ。
見守っていたふたりの反応を見るべく、魔法を解いてやる。
しかしヴェルナとカティナは、同時に指差して叫んだ。
『アルール、後ろー!』
「へ?」
振り返った先に、つい先程までいた飛竜など存在しなかった。
その代わりにモクモクと煙が立ち昇っている。
唖然とする少年の前に突然、何か小さな存在が飛び出してきて、甲高い笑い声を上げた。
小さな羽で宙に浮かび、腹を抱えて大笑いするのは、角の生えた一匹の黒い仔山羊――
「ぷ、プーカ!? またお前かあああああ!!」
タルイス・テーグの隠れ里へ行く途中、足を引きずり込んで溺れさせようとした凶悪な犯人。
魔獣ケフィル・ドゥールに化けて
基本的におとなしい性質で、負の感情をあまり表に出さない転生者が、ここまで怒りをあらわにするのは珍しいことだ。
「わたしの喜びを返せ、このクソったれが! もう許さんぞ、ギッタギタにやる! こっちに降りてこい、畜生め!」
虚空から見下ろしてあざ笑っていた相手は、不意に視線を外して手招きをした。
するとまた別の存在が飛んできて、黒い妖精の隣に並んだ。
白い仔山羊だ!
双子のようにほとんど同じ体格だが、顔立ちからメスのように見える。
なんとこいつらは、二匹もいたのだ。
「白のプーカだと!? ま、まさかさっきのアルビノは、お前が化けたものだったのか……?」
相手は前足の
邪悪さを隠そうともしない片割れよりも幾分か
にらみつけるとおびえたような表情を見せ、黒プーカの背後にまわった。
「本物だと思ってうれしかったのに……。ひとの純情をもてあそびやがって……」
神秘的なアルビノに出会ったときは素直に感動したし、勇ましいメラニズムを見つけた際は心から興奮した。
王位を回復するには人々に認めてもらわねばならないが、そのために特別な何かを見せつけるのは効果的である。
断じてかっこいいから自慢したいなどという浅はかな考えではなかったというのに、こいつらは崇高な想いを踏みにじったのだ。
足輪を拾い上げて惨めな気持ちに
「……絶対にゆるさん。今ここで始末してやる。覚悟しやがれ、プーカども!」
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