第23話 魔獣ケフィル・ドゥール

 タルイス・テーグの隠れ里に到着して二日目の朝を迎えた。

 妖精郷で食事をると帰れなくなるとされるが、それはあくまで人間界から来た際の話。

 一行は丁重にもてなされ、果実を中心とした料理を味わった。


 朝食を終えると、目の下にクマをつくったアルールはエルスカとヴェルナと共に、宮殿の裏手から怪物退治に向かう。

 金髪の三人は女王たちのせいで熟睡できず、ティルトとカティナは安全のために残してきた。


 妖精たちは、濡れた服をきれいにすると約束し、代わりを貸し与えてくれた。

 今にも破けそうなほど繊細な生地きじだが、身がはずむように心地よい不思議な衣であった。


 向かう先は内湾とつながっており、ケフィル・ドゥールはおそらく偶然に、海底洞窟から侵入してきたと思われた。

 この名はカムリ語でまさに水馬を意味し、島北部に生息するケルピーと似るという。


 魚のようなヒレとうろこをもち、性格は極めて凶暴。

 主に海を棲家すみかとし、雷雨での目撃情報が多い。

 尾で巻きついた相手を水中に引きずり込み、頭からむさぼり食うそうだ。


「馬と魚の肉が食べれるなんて、じつにお得な生き物だな」


 ねぼけまなこのアルールがつぶやくと、ヴェルナは首を横に振った。


「この島の人たちは馬なんて食べないわよ。よほど飢えてなければね。両方を生で食べる文化があるなんて聞いたら、卒倒してしまうかも」


「ふむ、美味しかった記憶があるんだがな。ときおり最初に生まれ落ちた星の情景がよみがえるんだ。今の世界とは表裏一体のようだが、少なくとも別の地域らしい。いつか帰ることはかなうのだろうか」


「その考えは捨てたほうがいいかもね。この世界に住む人間は、異界からやってきて戻れなくなった者たちの末裔。無理に次元を渡ろうとすれば、肉体が朽ち果てるそうよ」


 幼馴染とふるさと談議に花が咲く。

 ふと、もうひとりが会話に混じれないと気づき、言葉をかける。


「ああ、すまないエルスカ。関係のない話をして」


「……え? どうか遠慮なさらず。それにしても転生とは不思議ですね。生前の記憶があるなんて」


「全部ではないけどね。物心つくと、魂から器に少しずつ情報が流れてくるんだ。一度に思い出すとあふれてしまうから、そうなっているのだろう」


 ヴェルナは「思い出さない人もいるけどね」と口をはさむ。

 アルールがそれには触れず「あの子に会いたい」と答えると、エルスカは「いつかきっと会えますよ」とほほ笑んだ。


 いつもそばで尽くしてくれる女性に想い人のことなど語るべきでない、と反省したところで海岸に到着した。


 タルイス・テーグが創り出したこの空間は、くり抜いた大岩の中に、光を発する物質が付着したような場所だった。

 岸辺は岩場となっており、波がゆっくりと打ちつけている。


 しばらく周囲を探ってみたが、ケフィル・ドゥールはどこにも見当たらない。

 やむなくアルールは海に潜ってみると言い出した。


「君たちはここ待っていてくれ」


「ほんとに大丈夫? 昨日の今日だし、不安しかないけど」


「問題ない、今日は変化へんげの呪文を使う。体をいくらか作り変え、クジラやイルカのような潜水を可能にするんだ。さすがに長居はできないが、小一時間程度でおぼれる心配はない」


「あたしは木剣ぼっけんしかないから、こっちに来られると不安だけどね」


「ヴェルナさまはわたくしがお守りいたします。どうかご武運を」


「任せたぞ。それでは行ってくる」


 水に入って呪文を唱え、大きく息を吸ってから潜水を開始する。

 先日の失敗を活かし、魔力が続く限り維持できる極めて強力なものだ。


 見かけは人魚のようだがエラはない。

 海水は地上の生物にとって猛毒にも等しく、そこから空気を取り込めるほど変化させるのは至難のわざ

 安易に構造をいじると知能にまで影響を及ぼし、戻れなくなる危険もあるのだ。


 昨夜は遅くまで歌と踊りに付き合わされ、だいぶ疲労は残っている。

 海中では使える魔法が限られるし、不安がないわけではない。

 しかし悔しさは怒りに変わり、神経が研ぎ澄まされている。

 こういう時の自分には自信があった。


 女王ヘイルウェンいわく、水中で襲ってきたプーカは変身が得意で、どこにでも現れて予想外のことをしでかすトリックスターだという。

 実際は小さくて弱い妖精のようだが、討伐ついでにらしめるつもりでいた。


 光と海草が織りなす神秘的な浅場を進んでいく。

 しばらくすると前方が急に暗くなり、明らかに境目となっているのが見てとれた。


 陸の妖精であるタルイス・テーグは海での行動が制限され、その領域は海岸から三海里までとされていた。

 上位種たる彼らは海水に触れるだけで泡と化すやわな存在ではないが、しゅによっては境界をまたぐだけで死滅するおそれもあるという。


 与えられた試練は、支配域に巣食う水馬を退治することであり、深場にまで潜る必要はなかった。


(なかなか見つからないな。いないならいないで結構なのだが――)


 そう思った瞬間に、敵は訪れるもの。

 前方を巨大な影が横切った。

 馬と魚が合わさった黒色の怪物。間違いない、あれがケフィル・ドゥールだ。


 水ならいくらでもある今、それを利用した氷の呪文で串刺しにするのが手っ取り早い。

 右手に三叉戟トライデント、左手に盾を生み出し、ヒレとなった足をくねらせて敵に迫っていく。


 肉体変化の呪文は強力だが、内臓への負担は大きい。

 魔力は無尽蔵といえど、なるべく短期決戦といきたいところだ。


 水馬はこちらに気づいたのか、まるで逃げるように深場へ潜っていく。

 一時的に追い出すだけでは退治とはいえまい。情けは捨てて、被害が出る前に討伐する必要がある。


 暗い視界を補うため瞳から光を発してあとを追うが、敵はつかず離れずの距離を保つ。

 凶暴と聞いていたアルールが違和感を覚えて速度を緩めると、相手も泳ぎをやめる。


(妙だな。臆病な個体というよりは誘っている動きだ。嫌な予感がする……)


 周囲はすっかり荒々しい海であり、完全に異なる妖精の領域だ。

 今のところは魚しか見えないが、別の存在に遭遇する危険も増し始める。


 洞窟に入った。

 すでに満腹でねぐらに戻るだけの可能性もあるが、集団で暮らすとしたら話が変わってくる。

 単独で行動するという話だが、陸での目撃情報でしかないのだ。


 そしてその不安は見事に的中した。

 追っていた個体の奥から、さらに巨大な灰色のケフィル・ドゥールが現れたではないか。


(まずい、つがいか!)


 だが、それは間違いだった。

 目の前の一頭が尾を振り払い、先住者の頭を激しく打ちつけた。

 相手は激怒するとともに体が輝きだし、暴れまわって侵入者に襲いかかる。


 小さな水馬は慌てて引き返すと、唐突に角の生えた黒い小妖精へと変化し、アルールの横をすり抜けていった。


(あれはまさかプーカ!? やりやがったな、あいつ!)


 文句を言っている場合ではない。慌てて槍を前方に突き出して盾を構え、攻防一体の姿勢をとる。


 敵はすんなりと穂先かわし、激しい一撃をお見舞いしてきた。

 氷の盾は粉々に砕け散り、アルールは洞窟の外まで一気に押し流されてしまう。


 肉体を強化したとはいえ、焼刃やきばの戦士では太刀打ちできない。穴に向かって槍を投げ入れると、素直に魔法で戦うことにする。


 でたらめの攻撃を回避した洞窟のあるじは、巣穴を飛び出るとすぐさまこちらにかぶりつこうとした。


 待ち伏せ型の怪物ゆえ、このような状況では持ち味を活かせない。

 アルールはこれを難なくかわすと、全身に向けて氷の魔弾を発射する。


 すべて命中したものの、水中で銃弾の威力ががれるように、かすり傷ひとつ負わせられなかった。あえなく散った氷が上方へ浮き上がっていく。


 わりと行き当たりばったりな転生者は、ここに来て攻撃方法に迷った。

 火や水はもちろん使い物にならないし、地や風も有効打にはなり得ない。


 最も効果的な雷はこちらも感電しかねないし、魔法といえど物理的な影響を受けやすい氷が難しいとなると、光や闇といった呪文に絞られる。


 だがこれらは精神的優位を保てる状況でなければ、いまいち威力が出ないという難点があった。

 ちからを借りるべき神々の知識が乏しい現状では、己の精神力だけが頼りだが、いまだ海の恐怖が残っている。

 意識すれば発動する四大しだい精霊の魔術とは、使う脳が根本的に異なるのだ。


 幸いなことに、四つ足で大部分が陸上生物であるケフィル・ドゥールの動きは、思ったほど素早くはない。魚の尾を得た今なら逃げきるのは可能に思えた。


 不意打ちが得意な生物の多くが、普段は鈍重なことを思えば、陸上におびき出せればこちらに分がある。

 水中での戦いは諦め、自らをエサに戦場を変えるのが得策だ。


 水上を目指して一目散。振り返らずとも、すぐ背後を迫ってくる気配を否が応でも感じとれる。


 そろそろ海面が近い距離感だが、一向に明るくはならない。

 もしや別の洞窟に来てしまったかと思い始めた時、大量の空気が口から入ってきた。


 海上だ。

 空は黒雲に覆われ、強風に混じって小雨が吹き付けている。

 明らかにタルイス・テーグの領域とは別の場所。無我夢中で進路を誤ったようだ。


 だが作戦は変わらない。すぐさま遠見の術で陸地を確認し、そこに頭を向ける。

 泳ぎを再開した直後、間一髪、大きな水しぶきとともに敵が海面に躍り出た。


 手で必死に水をかいていると、先ほどより速度が落ちたことに気づく。

 泳ぎの不得手なアルールは、遊泳よりも潜水のほうが早いようだ。

 肉体を強化しても感覚が伴わなければ意味はない。浅く沈んで陸地を目指す。


 空はときおり明滅し、水中にまで落雷の気配が伝わってくる。

 無心で泳ぎ、やがてとうとう砂浜が近づいてきた。


 勇んで討伐に出たものの、邪魔者にだまされた挙句、ここまで逃げてばかりでる。

 こんな情けない姿を仲間に見られないでよかった。


 足が付くほど浅くなってきたので、変身を解除してひた走る。

 思ったとおり、一気に内臓へ負担が押し寄せてきた。

 激しい水音はすぐ背後に迫り、足を止めれば命はない。


「【浮遊アルノヴィオ】!」


 卑怯者ひきょうものとそしられようが、勝ちが最優先。

 敵が届かぬ位置にまで浮き上がると、ようやく相手の姿をまともに見ることができた。


 ケフィル・ドゥール。人魚と並べばじつに絵になるであろう美しい魔物だ。

 灰色の毛皮に血管を浮き上がらせて激昂げきこうするさまは、安全地帯に逃げてもなお恐怖の念を禁じ得ない。


「おっと、忘れちゃいけない【元素解析ダダンソッディ】」


 こんな怪物を間近に観察する機会はまたとないはずだ。全身をくまなく透視し、脳内の図鑑に詳細を刻み込む。


 異種を掛け合わせた合成獣キメラのようだが、全体は哺乳類に近いことを思えば、収斂しゅうれん進化で魚に近づいたといえる。

 それでいて陸上用の四肢は失っておらず、持久力と遊泳力を兼ね備えた高等生物だ。


 深場にひそんでいたが、呼吸のためにときおり水面に上がってくるに違いない。

 なにより特徴的なのは、左右に分かれたその二枚の背ビレ――


「ち、違う! 翼だ!」


 ゆらめいていた薄い膜が広がる。

 ケフィル・ドゥールは唐突に飛び立ち、大口を開けて襲いかかってきた。


 不覚をとったアルールは後方へ飛びのくも、胸ぐらを噛みつかれ、妖精からたまわった衣装が盛大に破けてしまう。


 悲鳴をあげて砂浜に落下。

 敵はすぐさま降り立つと、下半身のすそをくわえて海へと引きずり込んでいく。


「やめろー! 脱げちゃう、脱げちゃう!」


 このままでは何がとは言わないが丸出しになってしまう。

 誰も見ていないとはいえ、そうなれば大惨事である。


 だが、溺死できしさせてから安全に喰らう習性のおかげで、冷静に考える猶予ゆうよが生まれた。

 たとえこの身がはだけても、それで命が助かるのならば安い対価なのではないか。

 なにしろ誰も見ていないのだから。


「背に腹はかえられん! ええーい、どうにでもなれー!」


 アルールは抑えていた手を緩める。

 と同時に、下衣をくわえたケフィル・ドゥールは大きく引き下がり、音をたてて海に入った。


 敵は水中、こちらは地上。おまけに天にはおあつらえ向きの雷雲まである。

 ならばやることはひとつ。


「くたばれ馬鹿野郎ー! はじけ散れ、【爆雷陣ストルム・ダラナイ】!」


 無数のいかずちを小範囲に降り注がせる情け容赦ない呪文。

 黒雲から幾度も黄色い閃光がほとばしり、水馬の脳天に命中する。


 辺り一帯がビカビカと瞬く。

 打たれるたびにのけぞっていた灰色の体は、やがて真っ黒に焦げ上がり、水音とともに浅瀬へどうと倒れ込む。


 美しさの裏に潜む残酷な魔獣ケフィル・ドゥールは、魔道の申し子の前に屈した。


「危なかった。誰も見てなくてよかった……」


 危機一髪であった。命だけでなく尊厳も。


 ほっと息を吐いて冷や汗をぬぐうと同時に、背後から大歓声があがった。

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